細野晴臣が
狭山市の自宅でのレコーディングで、
アメリカの空気を創造した
『HOSONO HOUSE』
“狭山アメリカ村”の自宅で録音
どうしてその狭山市の“HOSONO HOUSE”で初のソロアルバムを録ることになったのかと言えば、それ以前、つまり、はっぴいえんどの頃、細野自身がスタジオで録る音に飽きていたからだという。飽きたというと少し語弊があるかもしれないが、当時、氏自身がスタジオで出来上がる音に慣れてしまって面白みを感じられなくなっていたとか。そのことをエンジニアの吉野金次氏と話している中で、“自宅で録ってみたらどうだろう”というアイディアが出てきたという。早速、自宅で自身のプレイをテープレコーダーに録ってみたところ、その音像はとてもリラックスしたものであったことで、細尾晴臣のソロ1stアルバムは“HOSONO HOUSE”での宅録が決まった。本当の米国ではなかったが、日本の住宅とはまったく雰囲気の異なる、かつて米国人が暮らしていた場所で作業したこと自体に高揚感もあったのだろう。のちに細野は『HOSONO HOUSE』のことを“バーチャルアメリカンカントリーを狭山で作った”と述べている。
『HOSONO HOUSE』の数年前、1968年に発表されたThe Bandの『Music from Big Pink』の影響も小さいものでなかったと聞く。このアルバムタイトルにある“Big Pink”とは、一時期The Band とBob Dylanが借りていた住宅の通称。アルバム自体はその“Big Pink”でレコーディングされたものではないとのことだが、Wikipediaには以下のように紹介されている。[サイケデリックブーム真っ盛りの1968年初めにレコーディングされた。しかしその流れとは正反対に、ザ・バンドのメンバーは従来のR&Bやゴスペルなどの黒人音楽と、カントリーやトラデイショナルソングなどの白人音楽とが融合したサウンドを作り上げた]([]はWikipediaからの引用)。米国でカントリーロックが盛り上がり始めた時期でもあり、その辺りも『HOSONO HOUSE』に影響を与えた。レコーディングに参加した鈴木茂、林立夫、松任谷正隆ら、のちのキャラメル・ママ→ティン・パン・アレーのメンバー、ペダル・スティール・ギターの名手、駒沢裕城をレコーディング現場である自宅に招き入れ、細野自らミルで豆を挽いたコーヒーを振る舞ってくれたという。氏がいかにリラックスしていたかという微笑ましいエピソードだが、その時のBGMにはThe Band『Music from Big Pink』もよく流れていたそうだ。