尾崎亜美の『STOP MOTION』は
“天才少女”が潜在能力を
如何なく発揮した傑作中の傑作

『STOP MOTION』('78)/尾崎亜美

『STOP MOTION』('78)/尾崎亜美

9月15日、尾崎亜美がデビュー45周年記念アルバム『Bon appetit』をリリースしたとあって、今週はその尾崎亜美の作品から一枚を取り上げる。リアルタイムで彼女のデビューを目撃したリスナーには、やはり『SHADY』のインパクトが強く、尾崎亜美と言えば『SHADY』なのかもしれないが、ここは『STOP MOTION』とした。その理由は初期の彼女のプロフィールとともに以下に記した。いずれにしても“天才”と呼ばれた彼女の資質は作品にはっきりと表れているのは間違いない。

名うての音楽家からの寵愛

1976年、シングル「冥想」でデビューした時から“天才少女”と呼ばれていた尾崎亜美。その前年の1975年に発売された荒井由実(現:松任谷由実)のシングル「あの日にかえりたい」がチャート1位となり、折からの“ユーミンブーム”→“ニューミュージックの到来”という時代の流れの中で、“ポスト・ユーミン”としても大いに期待された。その期待の大きさは彼女のデビューアルバム『SHADY』に集った制作陣の顔触れを見てもよく分かる。プロデューサーは当時オフコースも担当していた武藤敏史で、アレンジャーはこの頃もちろんユーミン作品を手掛けていた松任谷正隆。LPの帯には“オール・コンセプション&アレンジメントの松任谷正隆”とあったというから、松任谷は単なる編曲担当ではなく、プロデューサー寄りのポジションでもあったのだろう。

レコーディングに参加したミュージシャンは、松任谷(Key)を筆頭に、鈴木 茂(Gu)、林立夫(Dr)という、細野晴臣を除いたキャラメル・ママ=ティン・パン・アレーのメンバー。初期ユーミンのバックバンドがそのままスライドしている。ベースは、そのティン・パン・アレーのレコーディングの他、鈴木 茂&ハックルバックのメンバーでもあった田中章弘(Ba)らが弾いている他、パーカッションに[アルバム「MISSLIM」以降、ユーミンのアルバムには欠かせない存在のスタジオ・ミュージシャンとして参加]していた斎藤ノブ(Per)、コーラスにはハイ・ファイ・セットの他、“AMII'S Army”名義で山下達郎と吉田美奈子も名を連ねている([]はWikipediaからの引用)。現在に至る邦楽シーンを創り上げてきたと言っても過言ではない面子である。

ティン・パン・アレーのメンバーに関して言えば、松任谷は次作2nd『MIND DROPS』(1977年)ではアレンジャー&キーボーディストのみならずプロデューサーとして参加しているし、鈴木、林はそこからしばらく彼女のアルバム制作に加わっている(6th『MERIDIAN-MELON』(1980年)まではミュージシャンとしてクレジットされていることを確認できた)。鈴木と尾崎は1992年の“桃姫BAND”結成に参加した上、2000年にはユニット“The DELTA-WING”も結成しているので、音楽活動において欠かせないパートナーであるようだ(ちなみに“桃姫BAND”“The DELTA-WING”のメンバーであり、元サディスティック・ミカ・バンドの小原礼(Ba)が尾崎の夫である)。

というわけで、当初はそのデビューアルバム『SHADY』を紹介しようかと考え、まずザっと聴いてみた。この時、彼女は19歳。アルバムの発売がその年の8月だから、録音したのはおそらく高校を卒業したばかりの頃か、もしかするとまだ高校在籍中の時だったかもしれない。そう考えると、のちの彼女の作品に比べれば幼さは否めないものの、歌唱力、表現力は確かだし、何よりも(オープニングのインストを除いて)全て彼女自身が作詞作曲を手掛けているのだから、“天才少女”と呼ばれたことにも十分に頷ける。サウンドも的確だと思う。何と言うか下世話さみたいなものが皆無。今でも流行歌なるものに適度な下世話さは必要で、それが大衆性にもつながっていると思うのだが、『SHADY』にはそういう感じがないのである。

ちなみに1976年の年間シングルチャートを見てみると、1位:子門真人「およげ!たいやきくん」、2位:ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」、3位: 都はるみ「北の宿から」、4位:太田裕美「木綿のハンカチーフ」、5位:二葉百合子「岸壁の母」とある。ジャンルこそバラバラだが、各々いずれも独特のキャッチーさを有している。その辺に比較すると、『SHADY』収録曲は派手さに乏しい。「私を呼んで」や「追いかけてきたけれど」といったソウル系のナンバーは音数も多く、決して地味な音像ではないけれども、子供でも分かるキャッチーさを有しているかと言ったら、それはどうでもなかろう。別にそれが悪いとは言ってない。この辺は件のユーミンブーム”→“ニューミュージックの到来”という時代の流れの中、巷の流行とは別のものを作ろうという意識が強かったのだろう。加えて言えば、『SHADY』というタイトルのアルバムである。全編カラッと明るく…というわけにはいかない。そういう背景もあって、あの音像だったと思われる。

OKMusic編集部

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