PERSONZのポジションを決定付けた
3rdアルバム『NO MORE TEARS』

2015年6月25日に1991年以来、約24年ぶりとなる日本武道館ワンマン公演を行なうことが決定したPERSONZ。2011年3月11日の東日本大震災が引き金となり、「歌の力でみんなを元気にしたい」と“DREAMERS ONLY SPECIAL”というプロジェクトを始動させ、精力的に全国各地を回り、「もう1度、日本武道館でライヴをやる!」と宣言したが、結成31周年でその夢を実現させることになった。そんなPERSONZの代表作と言えば、やはり大ヒットシングル「DEAR FRIENDS」が収録され、オリコンウィークリーチャートで初登場2位を記録した3rdアルバム『NO MORE TEARS』だろう。

変わらないPERSONZの輝く
メロディーと不屈の精神

PERSONZのライヴを久しぶりに観たのは2013年10月、ソールドアウトとなった渋谷公会堂でのライヴだった。渋公に彼らが立つのも24年ぶりだったのだが、驚いたのはその魅力が少しも色あせていないことだった。特に姉御肌ヴォーカリスト、JILLのオーラと声量はまったく衰えを見せず、むしろ年月を重ねて、歌に艶と深みが出ている分、説得力が倍増。スパンコールの衣装に帽子でくるくる回りながら歌ったり、ゴージャスな照明の中、早変わりの演出でモデルのようなポージングで楽しませたりと、持ち前のエンターテインメント精神でオーディエンスを魅了した。ちなみにPERSONZはニューウェイヴ全盛の1984年に結成されたロックバンド。前年の1983年にJILLと本田毅(Gu)が組んだ前身バンドにAUTO-MODの渡邊貢(Ba)と藤田勉(Dr)が加わるかたちで活動をスタートさせ、1987年にメジャーデビューを果たした。1992年に一時、本田が脱退したこともあったが、2002年に復帰し、現在もオリジナルメンバーでライヴを中心に活動を行なっている。数々のヒット曲、代表曲を披露した渋谷公会堂でJILLは「震災があってもツアーを続けていた頃に目標を持とうと思いました。そんな時に日本武道館に行ってみたいと思ったんです」と話し、「一緒に行こうよ!」と呼びかけ、「DEAR FRIENDS」で本編を締めた。彼女の強い信念とどんな壁がたちはだかるときでも屈しなかったポジティブスピリッツがなければ、武道館にもう1度立つというビジョンはあり得なかっただろう。それは夢を見続けること、信じることをやめないことをメッセージし続けたPERSONZらしいアティテュードであり、ファンはもちろん、多くのバンドにも勇気を与える挑戦でもあった。そして、有言実行、PERSONZはみごと夢を現実のものとしたのである。

アルバム『NO MORE TEARS』

TBS系ドラマ『ママハハ・ブギ』の主題歌に起用され、PERSONZの名が世間に幅広く知られることになった大ヒット曲「DEAR FRIENDS」やパナソニックのCMソングとしてオンエアされた「7 COLORS(Over The Rainbow)」や、今もライヴの定番曲である「TOKYO’S GLORIOUS」が収録された彼らのヒストリーを振り返る上ではずせない一枚。今、改めて聴いて思うことはバンドのソングライター、本田毅と渡邊貢が生み出してきた楽曲のメロディーと歌を活かすアレンジが時代を超える普遍の輝きを持っていること。そして、JILLのビブラートをきかせない独特の歌い回し、女子力が高いのに包容力のあるヴォーカルがやはり、ハンパない吸引力を持っていることである。ニューウェイヴ、テクノの影響を感じさせるサウンドアプローチと人力のバンドグルーブがブレンドされた風通しのいいポップなナンバーが目白押しなのでアッという間に聴き終わってしまうと思う。ちなみに「7 COLORS」は果てしなく広がるガーリーな夢を七色の虹に例えたビートが心地いい開放感たっぷりのナンバー。「DEAR FRIENDS」は傷付いた友人(仲間)に向けたあたたかいメッセージが染みる曲(高揚感のあるサウンドとのマッチングも絶妙だった)で、JILLは同性からも熱狂的な支持を受ける存在となった。メッセージ性がありながら清々しく、湿気のないポジティヴなPERSONZの世界は不滅である。

著者:山本弘子

OKMusic編集部

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