GLAYが大ブームを巻き起こす中で
生まれた『pure soul』に
見るGLAYらしさ

『pure soul』(’98)/GLAY
20世紀末の邦楽シーンを席巻
昨日も暑かったが、1999年7月31日も暑かった。振り返れば、1999年7月31日は当時のGLAYの人気を目の当たりにした1日だった。1997年10月にリリースした初のベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』が480万枚超を売上げて当時のアルバム売上の日本記録を更新。それ以前にもアリーナツアーを行なっていたGLAYだが、1998年には全国46都市53公演のホールツアー、全国7都市13公演のスタジアムツアー、さらに1999年には全国4都市15公演のドームツアーとそのスケールをどんどん大きくしていった。ただ、その数字を見ているだけではそれがどのくらいすごいのか、正直言ってピンと来なかったようなところはある。規模が大きすぎて実感できなかったのだ。
しかし、1999年7月31日の『GLAY EXPO '99 SURVIVAL』では“GLAYがどれほど人気があるか!?”を目視で体感することができた。終演後、バスで都内まで戻ったのだが、ステージに向かって左手、ZOZOマリンスタジアム側の道路を進みながら会場内を眺めると、車窓外の風景から人波が途切れない。会場内に居た時は観客の全体像が掴めなかったが、バスの車内は座席位置も高く、会場全体が見渡せたことで奥行きのでかさも分かった。また、筆者が居たブロックはステージ前だったのだが、その真逆の位置にあった展示ブースまで随分難儀して歩いた記憶もある。距離もそうだが、人が行き交っていて、そうスムーズに進めなかった気がする。今も幕張メッセへ行くと、“あの暑い最中、よく歩いたな”と思うくらいだ。後にも先に一カ所にあれほど人が集まった光景を眼前にしたのはあの時だけだし、当時のGLAYの人気がとにかく規格外だったことを思い出す夏の記憶である。
1997年から1999年において、GLAYは間違いなく日本の音楽シーンの頂点に登り詰めた。GLAYのアルバムから1枚を選ぶとなると、やはりこの時期のものとなろう。5thアルバム『HEAVY GAUGE』(1999年)もかなり興味深い作品ではあるものの、順当に考えれば、ベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』から『GLAY EXPO '99 SURVIVAL』に至る過程で発表された4th『pure soul』(1998年)が選ばれるのではなかろうか。ホール~スタジアム~ドームとGLAYが自身のコンサートをスケールアップさせてきたのは本作が冠されたツアーであり、『pure soul』が当時のGLAYの大きな推進力であったことは間違いない。本作がGLAYのオリジナルアルバムとして最高売上を記録していることがそれを証明していると思う。
ポップでロックなGLAYらしい作品
アナログ盤で言えば、大きく分けてA面がポップサイドでB面がハードサイドといった感じで、ポピュラリティーを兼ね備えたロックバンド、GLAYならではと言える構成である(M7「誘惑」からロックナンバーへと“誘っている”のは偶然であろうが、面白い並びだ)。聞けば、アルバム用に用意されたデモ曲はかなり多かったらしく、そこから収録曲をチョイスすることで1作品としてのシルエットを描きやすかったとも推測できるが、それにしてもおそらくは超多忙だった中、自身の世界観を示したところにGLAYの矜持を垣間見れる。
The Beatlesからの影響
そんなふう風に考えると、M1「YOU MAY DREAM」は楽曲そのものはまったく似てないが、そのスケール感やオープニングナンバーらしさは「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」、あるいは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」からの影響かもしれない(と今思った)。あと、シタール風なギターを聴くことができるM10「3年後」は「ラヴ・ユー・トゥ(Love You To)」ほどインドインドしてないが、TERUの歌に幻想的な深めのディレイがかかっているのと併せてサイケデリックな印象で、これにも少なからずThe Beatlesからの影響はあるだろう。
もっとも称えなければならないのは──これは『pure soul』に限らず、GLAYの特徴と言えるだろうが、そうしたThe Beatlesへの敬愛を示しつつも、The Beatlesフリークがたまに陥るマニアックサイドに堕ちていないところだと思う。それこそ大ヒットシングルでもあるM4「SOUL LOVE」があれだけThe Beatlesエッセンスが注入されているにもかかわらず、今も彼らを語る時、The Beatlesの話でGLAYそのもののバンド像が矮小化されることがないのは、楽曲の主軸が分かりやすくキャッチーなメロディーであるからこそ、であろう。“ポピュラリティ>マニアック”の構図が徹底しつつも、ロックバンドが持っていてしかるべきスタンダードなロックマナーの取り込み具合が絶妙だからこそ、GLAYは大衆からの圧倒的な支持を得たのだろう。改めて『pure soul』を聴いてみてそんなことを思った。
現在にもつながる汎用性の高い歌詞
《ふいに心を奪った瞬間の あのトキメキよりも眩しい程に/いつか出逢う 夢の中 心のままに/待ちこがれていた あなたをこうして Wow…》《あの日心が触れ合う喜びに 生まれてくる愛にとまどいながら/動き出した2つの影は Wow… 夕映えに長く/さんざめく気持ち おさえきれずにいる hu…》(M4「SOUL LOVE」)。
《時に愛は2人を試してる Because I love you/キワどい視線を振り切って WOW/嘘も真実も駆け引きさえも いらない/今はオマエが誘うままに Oh 溺れてみたい》《KISSから始まる夜は熱く Because I love you/犯した罪さえ愛したい WOW/名前も過去も心でさえも いらない/求め会う2つのカラダがある oh それだけでいい》(M7「誘惑」)。
また、M2「ビリビリクラッシュメン」やM8「COME ON!!」、M9「FRIEDCHICKEN & BEER」のように正直言って意味不明で、それゆえにロックっぽさを醸し出している歌詞がある一方で、それまでロックが扱わなかったような題材をメロディーに乗せているのはGLAYの発明であり、最大のオリジナリティーであったと言える。具体的には以下の部分にそれがあった。
《親(あなた)の言葉も聴こえなくなるほど遠くに来ました/幼い頃の子守歌を手に》《人の優しさに触れた時 なぜか想い出すことがある/初めて独り歩き出した 幼い僕を見つめるその愛》(M6「pure soul」)。
《古びたアルバム 開いた僕は/若かった両親と 今じゃ歳もそう変わらない/昭和という時代に 僕らをかかえて走った/そんな貴女の生きがいが 染みて泣きたくなる》(M11「I'm in Love」)。
今でこそロックにしてもヒップホップにしても、親、家族への情愛を綴ったナンバーは珍しくないが、この頃までは少なくとも男性のロックは反抗を歌うのが主流であったと思う(女性ロックバンドだと、REBECCAの「MOON」とかPRINCESS PRINCESSの「パパ」があった)。GLAYはその壁を破った。最初にアルバム『pure soul』を聴いた時、もっとも印象に残ったのはそこだったし、驚きを隠せなかった記憶があるが、そうした新機軸もGLAYが幅広い世代に支持されていった要因のひとつであったことは間違いないし、それが20万人ライヴにもまったく影響しなかったわけではなかろう。また、GLAYが今もアリーナツアー、大規模ライヴイベントを開催しているのは、シングル「BELOVED」や「HOWEVER」は元より、20年前にM6「pure soul」やM11「I'm in Love」を発表したことと無関係ではないと思う。M11「I'm in Love」は今もコンサートでのシンガロングの定番だ。そんなふうに考えても、やはりアルバム『pure soul』はGLAYにとっての最重要作品と言っても過言ではないのかもしれない。
TEXT:帆苅智之
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