山下久美子、『LOVE and HATE』は
作曲家と編曲家との
一体感のもとで生まれた名盤

『LOVE and HATE』('94)/山下久美子
ある時期での成熟を見せた作品
https://okmusic.jp/news/52037
しかしながら、『LOVE and HATE』を聴き終えた今なら断言できる。これはとても優れたアルバムである。『Sophia』(1983年)も山下久美子の名盤だろうが、『Sophia』が初期の名盤なら、『LOVE and HATE』は──それを中期とか第何期とか呼んでいいのかどうかは分からないけれども、彼女の歴史において別のフェイズを迎えた段階での傑作であることは間違いない。そのフェイズとは具体的に言えば、布袋寅泰をプロデューサーに迎えていた時期である。布袋は『1986』から彼女のサウンドプロデューサーを務め、17th『SUCCESS MOON』(1995年)まで携わっていたが、最初のコラボレーションから8年を経て、『LOVE and HATE』はその関係が成熟したものとなったことを示したアルバムであったように思う。もしかすると、ひとつの到達点であったと言ってもいいかもしれない。発表されてから4半世紀以上が経った今も、聴けば聴くほどに、山下久美子の代表作であり、名盤であると確信する出来栄えである。
ひと筋縄ではない多彩なアレンジ
M2「DRIVE ME CRAZY」は、アルバム2曲目という位置とその楽曲タイトル、さらにはM1「宝石」からの流れを想像すると、ビートから始まりそうなものだが、そうなっていないのがいい。抑制の効いたアコギのイントロから始まり、1番は弾き語りというスタイル。1番終わりからバンドサウンドが入ってくる。この辺は実際どういう意図があったのか分からないけれど、少なくとも勢いだけで迫っていない印象はあるし、“総立ちの久美子”とは少し趣が異なる山下久美子の作品であることも提示されているようにも感じる。かと思えば、M3「情熱」はまたビートを効かせてくる。一瞬“またモータウン?”と思わせつつ(※リズム隊はそれを踏襲しつつ)、今度はラテンフレイバー。コーラスも相俟ってまさに情熱なイメージだ。しかも、ブラスセクションはソウルミュージック風で、The Blues Brothersのカバーでも知られるOtis Reddingの「I Can't Turn You Loose」を感じさせるフレーズが印象的に入っていたりもする。落ち着いた派手さと言ったらいいだろうか。サビメロは爽やかさすら感じさせるし、一筋縄ではいかないアレンジを聴かせてくれる。
やわらかなメロディーのミディアムバラードM4「'Cos I Miss You (That's All)」を挟んで、M5「抱きしめたい」はロックンロール! パッと聴きは、アップライトベースが全体を引っ張る3コードのR&R展開を想像するが、こちらもひと筋縄ではいかない。そもそも想像するような展開ではない上に、Cメロのある構造で、そこにストリングスを重ねているという念の入れようだ(?)。文字通りのスローバラードであるM6「スローダンス」は、想像の遥か上を行っていると言っていいだろうか。歌はメロディアスでバラード然としたものである一方、終始前面に出ているストリングスがクラシック音楽のようでもあり、映画の劇伴のようでもあり、もちろんポップミュージック的でもあるという、何ともカテゴライズしづらい仕上がりである。長尺のイントロや、Cメロ(?)のサイケな感じもさることながら、とりわけ印象的なのはアウトロである。ドラマチックと言えばドラマチックだが、はっきり言えばどこか不穏な雰囲気すらあって、“愛憎”と名付けられたアルバムの世界観をより深く感じさせるような気もする。この辺は世界的なアレンジャーであるSimon Haleの面目躍如であろうし、彼の手腕が最も分かりやすく確認できるところではなかろうか。