山下久美子、『LOVE and HATE』は
作曲家と編曲家との
一体感のもとで生まれた名盤

『LOVE and HATE』('94)/山下久美子

『LOVE and HATE』('94)/山下久美子

山下久美子の40周年記念作品『愛☆溢れて! ~Full Of Lovable People~』が10月21日に発売となった。その中身は『40th Anniversary Best「愛☆溢れて!」』というベスト盤(新曲も収録)に始まり、『LoveYou Live☆ "Sweet Rockin' Best of Live 2018"』はライヴ盤、7thアルバム『アニマ・アニムス』の楽曲で構成されたビデオクリップ集の初DVD化『黄金伝説』という3枚組の大ボリューム。周年記念の祝祭に相応しいファン必携のアイテムと言っていいだろう。…というわけで、今回はその山下久美子のディスコグラフィの中から名盤をピックアップしようと試みようということになったのだが──。

ある時期での成熟を見せた作品

前述の通り、今年デビュー40周年を迎えたロックシンガーの草分け的存在と言っていい彼女である。オリジナルアルバムだけでも1st『バスルームから愛をこめて』から数えること、実に20枚。ミニアルバム、ライヴアルバム、カバーアルバム、コラボレーションアルバムを含めればもっとある。よって、山下久美子作品の中から1枚を選ぶのもなかなか至難の業であり、すでに『バスルームから愛をこめて』は本コーナーで紹介済みのため、“『JOY FOR U』っすかね?”“『1986』のほうが分かりやすいでしょうか?”“いや、「宝石」が入っている『LOVE and HATE』もいい”“『Sophia』も久美子さんのひとつの到達点でしょうけど”とチョイスするにあたって、これがわりと喧々諤々となった(※そうは言っても筆者と担当編集さんとの間だけで、しかも上記の台詞は概ね担当さんのものだけど…)。
■『バスルームから愛をこめて』
https://okmusic.jp/news/52037
まぁ、そんな時は大体何を選んでも間違いないところではあって、いっそのこと、彼女自身が“一番反抗的な時代”だったと振り返る『アニマ・アニムス』(1984年)辺りでもいいのかとの思いが頭を過ったりもしたが、ここは冒険せずに『LOVE and HATE』とした。そこに何か明確な基準があったわけではない。強いて言えば、“やっぱり「宝石」はいい楽曲だなぁ”と思ったのと、今回発売された40周年記念作品『愛☆溢れて! ~Full Of Lovable People~』のDISC1“40th Anniversary Best「愛☆溢れて!」”に、「情熱」「鼓動~HEART BEAT(Re-mix)」「リアルな夢?」と『LOVE and HATE』収録曲が比較的多く見受けられることから、ベストを聴いてオリジナルアルバムに興味を持った人は、まず『LOVE and HATE』へ行くのがスムーズかなという程度の理由だ。

しかしながら、『LOVE and HATE』を聴き終えた今なら断言できる。これはとても優れたアルバムである。『Sophia』(1983年)も山下久美子の名盤だろうが、『Sophia』が初期の名盤なら、『LOVE and HATE』は──それを中期とか第何期とか呼んでいいのかどうかは分からないけれども、彼女の歴史において別のフェイズを迎えた段階での傑作であることは間違いない。そのフェイズとは具体的に言えば、布袋寅泰をプロデューサーに迎えていた時期である。布袋は『1986』から彼女のサウンドプロデューサーを務め、17th『SUCCESS MOON』(1995年)まで携わっていたが、最初のコラボレーションから8年を経て、『LOVE and HATE』はその関係が成熟したものとなったことを示したアルバムであったように思う。もしかすると、ひとつの到達点であったと言ってもいいかもしれない。発表されてから4半世紀以上が経った今も、聴けば聴くほどに、山下久美子の代表作であり、名盤であると確信する出来栄えである。

ひと筋縄ではない多彩なアレンジ

全13曲収録。いかにも1990年代らしい60分を超える大作ではあるものの、楽曲が個性的でバラエティーに富んでいるのが本作の優れた点ではあろう。オープニングのM1「宝石」からモータウンビートを効かせているのはその象徴と言ってもいい。ブラスセクションも相俟って全体に溌剌とした印象のサウンドは、デビュー時に“総立ちの久美子”と言われた彼女の快活なライヴパフォーマンスを彷彿させるところである。アルバムの出だしとしてもこの上なくばっちりだろう。

M2「DRIVE ME CRAZY」は、アルバム2曲目という位置とその楽曲タイトル、さらにはM1「宝石」からの流れを想像すると、ビートから始まりそうなものだが、そうなっていないのがいい。抑制の効いたアコギのイントロから始まり、1番は弾き語りというスタイル。1番終わりからバンドサウンドが入ってくる。この辺は実際どういう意図があったのか分からないけれど、少なくとも勢いだけで迫っていない印象はあるし、“総立ちの久美子”とは少し趣が異なる山下久美子の作品であることも提示されているようにも感じる。かと思えば、M3「情熱」はまたビートを効かせてくる。一瞬“またモータウン?”と思わせつつ(※リズム隊はそれを踏襲しつつ)、今度はラテンフレイバー。コーラスも相俟ってまさに情熱なイメージだ。しかも、ブラスセクションはソウルミュージック風で、The Blues Brothersのカバーでも知られるOtis Reddingの「I Can't Turn You Loose」を感じさせるフレーズが印象的に入っていたりもする。落ち着いた派手さと言ったらいいだろうか。サビメロは爽やかさすら感じさせるし、一筋縄ではいかないアレンジを聴かせてくれる。

やわらかなメロディーのミディアムバラードM4「'Cos I Miss You (That's All)」を挟んで、M5「抱きしめたい」はロックンロール! パッと聴きは、アップライトベースが全体を引っ張る3コードのR&R展開を想像するが、こちらもひと筋縄ではいかない。そもそも想像するような展開ではない上に、Cメロのある構造で、そこにストリングスを重ねているという念の入れようだ(?)。文字通りのスローバラードであるM6「スローダンス」は、想像の遥か上を行っていると言っていいだろうか。歌はメロディアスでバラード然としたものである一方、終始前面に出ているストリングスがクラシック音楽のようでもあり、映画の劇伴のようでもあり、もちろんポップミュージック的でもあるという、何ともカテゴライズしづらい仕上がりである。長尺のイントロや、Cメロ(?)のサイケな感じもさることながら、とりわけ印象的なのはアウトロである。ドラマチックと言えばドラマチックだが、はっきり言えばどこか不穏な雰囲気すらあって、“愛憎”と名付けられたアルバムの世界観をより深く感じさせるような気もする。この辺は世界的なアレンジャーであるSimon Haleの面目躍如であろうし、彼の手腕が最も分かりやすく確認できるところではなかろうか。

OKMusic編集部

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