『インソムニア』に、
鬼束ちひろにしか
作り出せなかった
歌詞世界の本質を見る

『インソムニア』('01)/鬼束ちひろ

『インソムニア』('01)/鬼束ちひろ

鬼束ちひろのデビュー20周年を記念して制作されたオールタイムベストアルバム『REQUIEM AND SILENCE』が2月20日に発売される。“死者のためのミサと沈黙”、あるいは“葬送曲と静寂”というタイトルが何とも彼女らしい感じであるが、本稿では彼女のデビューアルバム『インソムニア』にスポットを当て、鬼束ちひろの歌詞、その性質について考えてみた。

歌詞に並ぶエッジの立った言葉

『インソムニア』を聴いて、つくづく鬼束ちひろは歌詞の人なんだなぁと思った。本稿は、以下そう思った理由を記しつつ、鬼束ちひろのデビュー作である『インソムニア』の特徴と、彼女のアーティストとしての特性を探ってみようとする試みである。まず大本と言えるその歌詞の内容を見てみよう。気になった箇所を抜粋してみた。

《I am GOD’S CHILD/この腐敗した世界に堕とされた/How do I live on such a field?/こんなもののために生まれたんじゃない》《効かない薬ばかり転がってるけど/ここに声も無いのに/一体何を信じれば?》《不愉快に冷たい壁とか/次はどれに弱さを許す?》(M1「月光」)。

《なんて愚かな汗に まみれているのよ/それじゃ この空がいくら広くてもしょうがないわ》《両足につけた鉛の重さにさえ 慣れてしまってる/自分を救ってやれれば》《ここは平坦で遠くまで見えるけど/光は当たらない だからその窓を割って行こう/栄光はこの手の中 そんなとこにはないわ/ひどく汚れたその足の痛みに気づいて》(M3「BACK DOOR」)。

《もしも貴方を 憎むことが出来るなら/こんな浅い海で 溺れる自分に気付くけど/きっと私は夢中で呼吸をして》《行かないで この想いが痛むのは/私がまだ崩れ落ちずにここに生きてるから/消えないで》《心を殴り倒して 何が分かると言うの?/どうやって楽になればいい?》(M4「edge」)。

《吐き気に潰れて行く中で/柔らかな手の平に触れる/どうか完全なものたちが/そこら中に溢れないように》《盲目の日々に呑まれながら/私を呼ぶ声が怖かった/どうか光り輝くものたちが/二人を侵してしまう前に》(M5「We can go」)。

《干からびた笑顔/細い両腕は/何度でも毒にまみれながら》《犠牲など慣れているわ/抵抗などできなかった/血を流す心に気づかないように生きればいい》(M7「シャイン」)。

《弱ってたこの身体から/零れ落ちた刺が/足元を飾り/立ちすくんだまま/映った鏡の/いくつものヒビに文句も言えずに》《誰か言って/上手く信じさせて/「全ては狂っているんだから」と/1人にしないで/神様 貴方がいるなら/私を遠くへ逃がして/下さい》(M8「Cage」)

《今は貴方のひざにもたれ 悪魔が来ない事を祈ってる/ねぇ『大丈夫だ』って言って》《残酷に続いてくこの路で 例えば私が宝石になったら/その手で炎の中に投げて》《邪魔なモノはすぐにでも消えてしまうの ガラクタで居させて》(M10「眩暈」)。

大分多くを引用してしまったが、気になるところがそれだけ多いのだとご理解いただきたい。《愚かな汗》とか《盲目の日々》とか、その文学的表現もさることながら、エッジの立った言葉が目立つ。ここまで多いと意図的にそうした言葉を選んでいるのだろう。また、恋愛を綴ったと思しき内容にしても、そうではないと思われる歌詞にしても、ほぼ等しくこうした表現が出てくるので、決して悪戯に用いているわけじゃないことも想像できる。

どうしてこういう表現を多用しているのかというと、これは彼女の癖としか言いようがないだろう。そこに何か明確な思想があるかどうかは本人に確認してみないと分からない。だが、はっきりとしていることはそのエッジはほぼ確実に聴き手に刺さるということだ。“ん?”という程度のちょっとした引っ掛かりから、胸の奥底にズバッと食い込んで致命傷を負わせるようなものまで、受け手によってインパクトはさまざまであろうが、間違いなくそのエッジは鋭角的だ。これが彼女の歌詞の最大の特徴と言っていいと思う。デビュー時でこれほど明確に刃のあるシンガーソングライターもそう多くなかろう。こういう傾向の歌詞をもってよく“刃を隠し持った”という表現をするけれども、『インソムニア』の場合、隠しているような印象はない。それどころか、個人的には“刃ですけど何か?”くらいの開き直りにも似たものを感じる。

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着