玉置浩二の
全てが詰まっていると言っても
過言ではない愛にあふれた
傑作『CAFE JAPAN』

『CAFE JAPAN』('96)/玉置浩二

『CAFE JAPAN』('96)/玉置浩二

12月23日、玉置浩二、6年振りのニューアルバム『Chocolate cosmos』がリリースされた。この新作は鈴木雅之のソロデビュー30周年曲である「泣きたいよ」や、TUBEに提供した壮大なバラード「スコール」など、玉置氏が他アーティストに提供した楽曲を新たなアレンジで新録したセルフカバー集であり、氏が創作する楽曲の幅広さが感じられる作品に仕上がっているという。幅広いと言えば、今回紹介する『CAFE JAPAN』も玉置浩二のアーティスト、ミュージシャンとしての奥深い潜在能力が如何なく発揮されたアルバムである。氏の過去作の中では名盤と呼ぶに相応しい傑作であろう。

アルバムから滲み出る愉悦

いきなりベタなことを言わせてもらうが、音を楽しんで音楽である。作者にしても、演者にしても、楽しんで曲作りをしてほしいし、演奏を楽しんでほしいものだ。もちろん作詞作曲には産みの苦しみが伴うとも聞いているし、楽器を操るためにはそれ相応の努力が必要なことも分かる。苦しい状況の中で素晴らしい旋律が生まれた例もあると聞くから、それは悪しざまに否定できるものでもなかろう。しかし、だからと言って、端からいやいやながらに作曲したり演奏したりするのは違うとは思う。それは間違いなく聴き手に伝わるものだ。多少、芳しくない楽曲であっても演奏テクニックがイマイチであっても、楽しんで作ったものを楽しく演奏するのならば、魅力は何割かアップするのではなかろうか。

『CAFE JAPAN』を聴き終えてそんなことを感じたので、まずはそれをそのまま書いてみた。無論、本作に収録された楽曲はもとより、安全地帯のナンバー、さらにはV6「愛なんだ」や中森明菜「サザン・ウインド」などの他者への提供曲を含めて多数のヒット曲を産み出している玉置浩二を指して、凡百な作家などと言うつもりもないし、同業者であるアーティストたちからも“日本一歌が上手い”と評される氏の歌唱力をイマイチなどと言ったら罰が当たる。玉置浩二が極めて優秀なシンガーソングライターであることは誰もが認める疑いようもない事実。それは大前提中の大前提として、その上で楽しく作詞作曲し、楽しく演奏し歌っているのが伝わってくる──それが『CAFE JAPAN』というアルバムだと思う。仮に優れた作品を“楽しさ(x)×才能(n)”→“xn”という指数で表すとしたら、玉置浩二はそもそもnの数値が人一倍高いわけで、xも高くなればその指数はずば抜けて大きくなる。そういうことだ。

理系ではない輩が安易に数式に喩えたことで返って分かりづらくなった気がするがそれはさておき、端的に言えば、『CAFE JAPAN』はとても魅力的な作品であり、それには件の“楽しさ”が大きく関係していると思われるのだ。外形からでもそれは伝わってくるところではないかと思う。『CAFE JAPAN』のジャケ写のポップさは誰もが認めるはずだろう。これだけでも玉置浩二が心底楽しんでいるように思えてならない。ジャケ写は[表はギターを抱えた魔法使い、白いアイマスクを付けたコートの男、中国人等のコスプレ姿、裏は麦わら帽をかぶった農夫がおにぎりを食べているコスプレ姿]である。M3「田園」のPVでも玉置氏がこの姿を披露していたことを覚えている方もいらっしゃるかもしれない。また、[このキャラクターたちには設定があり、カフェ・ジャパンの裏で農家を営んでいる農夫がカフェ・ジャパンの支配人でありオーナー、中国服の男は謎のマネージャーとなっている。また、玉置は「このカフェ・ジャパンに人生で迷ったヤツが来る!」と語り、仮面の男はその中の一人であるという。また本作のコンセプトとして「仮面の男はカフェ・ジャパンに来た事で救われ、『自分はこれでいいんだ』と最後に仮面を取って晴れやかな顔になる、その時空には虹がかかっている」という構想であると玉置は語っている]そうである。その姿を見た共同プロデューサーの須藤晃氏は[「玉置さん、ほんとにいいんですか?」という感想を持った]というから、玉置氏自身がノリノリだったこともうかがえる。楽しんでやっていたのである(ここまでの[]は全てWikipediaからの引用であり、それは志田歩著『玉置浩二 ★幸せになるために生まれてきたんだから』から引用である模様)。

肝心のアルバムの中身に関してもそうだ。クレジットを見ると、本作収録曲の演奏はほぼ玉置氏本人が手掛けているのである。もちろん自身が全て演奏しているからと言ってそれがすなわち楽しいことだとも限らないとは思う。玉置浩二クラスでそんなことはあり得ないとは思うが、コストの問題で参加ミュージシャンの人数を抑えることだって考えられなくもない(少なくとも本作ではそんなことはなかった…と念押ししておく)。ただ、キーボードと打ち込み以外をほとんど自身で演奏するに至っては、これはどう考えても自発的にやっていることだろう。本作以降もしばらくこのスタイルでアルバムを制作し続けたこともその証左。このやり方が相当しっくりきたからに間違いない。歌だけに留まらず、アコギもエレキもベースも弾き、ドラムも叩く。いい意味でプレイヤーの楽しさを独占していると言っていいし、何よりもその音に氏の愉悦があふれているように感じられるのだ。

「田園」の巧みな楽曲構成

『CAFE JAPAN』はM1「ファミリー」から始まる。ライヴハウスかジャズクラブか、それほど大きくはない会場に居る人たちのざわめき。そこから、アドリブ的というか音合わせ風というか、そんなバンドサウンドが重なり、“Koji Tamaki! Yeah!”のシャウトから楽曲がスタートするという、シアトリカルな雰囲気である。ブラスセクションも入って音数は多いが、テンポは緩やかで、全体的には落ち着いたジャジーなバラードといった印象。

《街から街へと 夜汽車に乗って/涙と笑いをもって 暮らしてきたけど/そろそろ 帰ろか》《遠慮なくやろう これからは/心ゆくまで 別れと出逢いに踊ろう/ありがとう さよならって》(M1「ファミリー」)。

歌詞は決して明るいだけではない感じだが、これは『CAFE JAPAN』発売と同じ年に亡くなった、玉置氏も共演した故フランキー堺に向けたレクイエム的なナンバーであるということが関係しているからだろう。バラード調なのもそこに起因しているのかもしれない。だが、その聴き応えはしんみりとしすぎていないし、しっかりポップだ。ギターもピアノも、もちろん歌もメロディアス。耳に馴染むメロディーを聴くことが出来る。躍動感もある。玉置氏はM1「ファミリー」でボーカルの他、エレキギター、アコギ、ドラムを演奏している。生バンド風の演出を施しているものの、通常のレコーディングと同様に重ね録りをしているわけだが、それを感じさせないグルービーなサウンドなのである。この辺は演者(つまり玉置浩二)の心意気が伝わってくるようだ。

タイトルチューンM2「CAFE JAPAN」はアップテンポのダンスナンバー。全体的にはソウルテイストを感じさせつつも、単にブラックミュージックだけではない、ごった煮な感じのロックサウンドで迫る。誤解を恐れずに言えば、1980年代半ばの中森明菜楽曲の匂いもあり、随所で登場するスキッとした疾走感がカッコ良い(玉置氏は中森明菜「サザン・ウインド」の作者なので同じ匂いがするのも当然だが…)。

続くM3「田園」は、言わずと知れた玉置浩二の代表曲。そのポップでキャッチーなサビメロに関してはもはや説明不要ではあろうが、そのサビの盛り上がりに向けてとても上手く構成されていることを今回改めて感じた。ハミング、スキャットも彩るキラキラしたイントロは、楽曲の幕開けとしてリスナーを期待させるに十分なポップさである一方、意外なほどにA、Bメロは抑制が効いている。しかしながら、AからBへと徐々に加速していき、例のサビへと辿り着く。しかも、そのサビもそのまま突き抜けるのではなく、《ビルに飲み込まれ》以下の箇所で一旦落ち着いて、再びキャッチーな部分が登場する。用意周到だったのかどうか分からないが、サビを強調する構成がお見事な印象である。ポップミュージックの何たるかを理解している人の手練れた仕事っぷりと言えるのではなかろうか。もちろん、そうしたある意味でジェットコースターのような歌メロのアップダウンは、卓越した歌唱力があってこそ実現したものであることは言うまでもない。M3「田園」が玉置浩二の代表曲となったことも、考えれば当たり前である。

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着