『桜咲く街物語』の非凡さ、多彩さを
改めて知り、“放牧”中の
いきものがかりに想いを馳せる
(※「鉄砲がきく」:休養していた競走馬が復帰初戦からいきなり力を発揮できる競走馬のことを指す)
デビュー数年はハイペースに活動
デビューした2006年にシングル4作品。2007年にはシングル3作品+アルバム1枚。2008年には、何とシングル5作品+アルバム2枚(!)。2009年にもシングル4作品+アルバム1枚と、デビューから数年間は怒涛の如く作品を発表してきたいきものがかりなだけに、“そりゃあ、放牧も必要だったろうよ”と思ってしまうのだが、それだけハイペースに良質な音源を届けてくれた彼らだけに、2年近く、新作が聴けないのも寂しい気もする。正直言って『うたいろ』が出て良かった。いきものがかりの新作が聴けないストレス、フラストレーションは吉岡聖恵の歌声に解消してもらおう。あとは当然、過去の音源で空白を埋めるしかないわけだが、微力ながら当コラムでも彼女たちのデビュー作と共にいきものがかりの魅力を改めて記してみたいと思う。
J-POPの王道と言えるメロディーライン
それはデビュー時から際立っていた。何しろデビュー曲が「SAKURA」(M1)である。メジャーデビューした2006年、メンバーは20代前半。そのルックは元気いっぱいの男女トリオといった感じで、そののちの「じょいふる」や「笑ってたいんだ」のようなポップチューン、それこそシングル「SAKURA」のカップリング曲であった「ホットミルク」のほうがそのイメージに合っていたような気もする。所謂桜ソングとは言え、テンポ感で言ったら「SAKURA」は比較的地味な部類に入ると思う。コードもマイナーだ。しかし、すでに多くの桜ソングがヒットしていた中、「SAKURA」はそこに颯爽と割り込むことができた。それは、何よりもそのメロディーセンスが秀でていたからである。今回、聴き直してみて本当に巧みな旋律であることが確認できた。
耳馴染み良く、しかも力強い
「SAKURA」
デビュー曲をどんなものにするかかなり逡巡したと聞くが、「SAKURA」が大正解であったことは言うまでもない。「SAKURA」はNTT『DENPO115』NTT東日本エリアCMソングに起用された。そのCMは日本が初代王者となった『2006 ワールド・ベースボール・クラシック』の中継番組中に、大量に流れていたような記憶がある。その辺も手伝ってか、「SAKURA」は大衆の耳に触れ巷に広がっていったような気もするが、仮にノンタイアップだったとしても、いきものがかりの才能にはいずれ多くの人が気付いたに違いない。「SAKURA」の主旋律にはそう思わせるだけの説得力がある。結果論ではなく、今も素直にそう思う。
良質なメロディー、
多彩なサウンドを量産
楽曲バリエーションにはアレンジの妙も大きく影響している。例えば、「HANABI」はさっきも言ったように、その旋律の構造は「SAKURA」を踏襲している感じではあるものの、そのサウンドはまったく異なる。ドラマチックなストリングスが全体を彩っている「SAKURA」に対して、「HANABI」はピアノのループ、トリッキーなエレキギターが入り、発売当時のシーンの傾向を感じさせるものだ。「コイスルオトメ」はストリングスを配しているものの、ややサイケデリックロックな雰囲気。「流星ミラクル」はフォークグループの楽曲をバンドアレンジした定番といった感じもするが、それを4thまで披露しなかった辺りには確かな志しを感じなくもない。そして、ブルージーだが泥臭く仕上げていない「うるわしきひと」、エレクトロっぽい音使いのダンスチューン「青春のとびら」に至っては、この人たちの懐の深さをダメ押ししているような感じすらある。この辺は楽曲毎に異なるアレンジャーを起用しているからで、アイディアの勝利とも言えるが、彼らのメロディーが様々なアレンジに耐え得るものでもあるのは確かだ。
水野、山下、水野…
三人三様の非凡な才能
それらのメロディーを吉岡聖恵が歌っているのがまたいいのだと思う。このデビューしたばかりの頃は悪い意味での癖がなく、さらにプレーンな歌声を聴かせていた。実際に歌ってみると分かるだろうが、いきものがかりの楽曲は要所要所でファルセットがあるので、その親しみやすさとは裏腹に歌唱の難易度は高い。それでいて吉岡はフェイクはもちろんのこと、ビブラートすら使っていないので、どこか健気な感じがする。ここはかなり好感が持てるところだと思うし、幅広い世代の聴き手にいきものがかりを訴求させたポイントのひとつではないかと思われる。
時代を排除した汎用性の高い歌詞
《さくら ひらひら 舞い降りて落ちて/揺れる 想いのたけを 抱きしめた/君と 春に 願いし あの夢は/今も見えているよ さくら舞い散る》(M1「SAKURA」)。
《煌いて 揺らめいて 蒼き夢 舞い放つ/花 燃えゆく》(M3「HANABI」)。
《うるわしき あいのうた いつの日も 変わらずに/あたしの前で ずっと 歌っていて お願い/この胸が止まるまで この時が終わるまで/うるわしきひとよ いつまでも 抱きしめて》(M11「うるわしきひと」)。
古語でも全体が完全なる文語体ではないものの、明らかに口語だけに頼っていない作りである。七五調が多いのも意識的だろうか。無意識だったとすれば、日本的文法、文脈が染み付いているからこそ出てきたものであろう。こうした文体、文脈だけでなく、登場する言葉もあえて時代をずらしたような、発表当時と時系列が平行しない感じのものもある。M7「青春のとびら」やM8「ひなげし」はタイトルからしてややアナクロな感じだが、それが顕著なのはM2「KIRA★KIRA★TRAIN」だろう。
《TOKYOの空に 走り書きした夢を 追いかけて 僕は汽車に乗る》《ふたりの手 照らしてた 蛍光灯の明かりが消えた/「もう行くね…」 つぶやいたままで そっと笑ってくれた》《さあ 最終列車に乗って 小さなカバンを抱えて/僕はこの故郷を出ていく さよなら さよなら》《最終列車に乗って 右手に切符を握って/僕らは明日を生きていく さよなら さよなら》(M2「KIRA★KIRA★TRAIN」)。
これが作られた頃、あんまり汽車は走ってなかったと思うし、最終電車に乗って故郷を離れることも少なくなっていたと思う。本作が発表された時はおろか、今も切符はあるが、2000年以降のJ-POP的では“チケット”という言い方のほうがポピュラーな気もする。しかし、ご想像の通り、このアナクロニズムに中高年層からもウケる要素があるのだろう。2000年代の歌ではあるものの、あえてその時代に止めないことで、空想が膨らむ余地を広げていると思われる。どうしていきものがかりがそういうことをしたのかと言うと、彼らにはいい意味で思想がなく、多くの人に歌を聴いてもらうことが本懐であったからのようだ。それは以下の歌詞から推測できる。
《紅藍黄色のこの声を がむしゃらに混ぜてまって/かき鳴らした六弦が 日々の弱さを埋める/転がり続ける石ころが とりあえずROCKなんで/さらに映えたこの声で今日もあなたに届け/あなたに響け》(M10「いろはにほへと」)。
《過ぎ行く人の流れに逆らい/いざあたしは明日へと踏み出すから/確かなもの一つを手に入れたら/いつの日か君と分かつ/果てなき旅路の上に今あたしは君を想い/夢を歌い 日々を感じながら生きてゆこう/息づくこの歌がね/きっと届く 弛まぬ流れの中で》(M13「タユムコトナキナガレノナカデ」)。
この辺からは、その後、いきものがかりがJ-POPの王道であり続けた理由みたいなものも感じられて、“彼、彼女らは1stアルバムから性根がしっかり座っていたんだなぁ”と思う『桜咲く街物語』であった。
TEXT:帆苅智之
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