SILENT SIRENの足跡は
邦楽シーンの成熟の証し。
1stアルバム『サイサイ』に
成長の萌芽を垣間見る
メンバー全員が読モのロックバンド
彼女たちの結成の経緯も興味深い。以下、若干長めだが、Wikipediaから引用させてもらう。[2010年夏、雑誌「CUTiE」で読者モデルをしていた吉田と梅村が、10-FEETの楽曲「RIVER」をきっかけに意気投合、お互いにバンド経験者だったことや音楽の趣味が合うと分かり、バンドをやろうという話に、その後、梅村とバイト先が同じだった山内と、寒川を誘い結成された。事務所に所属しているアーティストが集められたという感じではなく、純粋にメンバーたちの趣味として始まったバンドである](※原文ママ)。まず、10-FEETの「RIVER」をきっかけに意気投合したというのが面白い。「RIVER」は10-FEETの代表曲である。10-FEETは来年には結成25周年を迎えるわけで、今や日本を代表するロックバンドのひとつと言ってもそれは大袈裟な物言いでもなかろう。そう思えば、「RIVER」は今や日本のパンクロックを代表する一曲と言ってもいいかもしれない。
ただ、吉田 菫(Vo&Gu)と梅村妃奈子(Dr)が意気投合したのは2010年の話である。「RIVER」は[バンド結成5年目にしてオリコンチャート初登場30位を記録し]たが、そこから8年経ったあとのことである。しかも、2010年頃の10-FEETのアルバムは週間チャートのトップ10入りをするようになっていたとはいえ、「RIVER」が老若男女誰もが知っているようなナンバーかと言えば、そういうことでもない。いや、誤解しないでほしいのは、SILENT SIRENの話にかこつけて、10-FEETを腐したいわけではない。むしろ逆である。「RIVER」は日本国中の誰もが口ずさめる楽曲ではなかったにもかかわらず、リリースから8年を経たのち、音楽好き、バンド経験者の間で話題に上がったというところがいいではないか。吉田、梅村の間で「RIVER」についてどんな会話がなされたのかは分からない。分からないけれど、少なくとも彼女たちにとって「RIVER」はロックやバンドを語る上でのマスターピースであったとは言える。逆説的には、ロック好きの界隈で10-FEETがなくてはならない存在であったことが想像できる。この時期は日本のロックバンド、とりわけライヴ中心に活動しているバンドが音楽シーン全体において無視できない存在となっていたのである。
しかも、その意気投合し、バンドを結成しようとしたふたりが読者モデルだったというのも最高に面白いではないか。別にモデルが音楽をやって悪いわけではないことは重々知っている。モデルを経て歌手になったという人も少なくないわけではない。1966年にシングル「こまっちゃうナ」でデビューした山本リンダはそれに先駆けてモデルとして世に出ているし、1990年代から今に至るまでは、モデルから歌手に転身した人(あるいはモデルと歌手を兼任する人)は枚挙に暇がない。ただ、バンドとなるとわりと稀なことではなかろうか。パッと思い浮かんだところだと、1983年にデビューしたdip in the poolの甲田益也子がファッションモデルだったと記憶している程度。筆者はそっちの業界に詳しくなく、特に最近のことはよく分からないので、モデル出身のバンドもそれなりにあるのかもしれないが(結構あるなら先に謝っておきます。すみません)、少なくともメジャーシーンでは、2000年代以降もそれほど多くはない事例ではないかと思う。
SILENT SIREN結成の首謀者のひとりであった梅村がバイト先の山内あいな(Ba)を誘い、さらには寒川綾奈(Key)を加えてメンバーが揃ったが、ふたりもまた読者モデルであった。[事務所に所属しているアーティストが集められたという感じではなく、純粋にメンバーたちの趣味として始まったバンドである]ともある。やや皮肉めいた物言いであるような気もするが、それはともかくとして──こうしたバンド結成のいきさつも、ロックバンドが決して一部好事家だけのものでなくなった証左であろうし、パンクやインディーズのDIY精神がそのイデオロギーとしてリスナーに認知されたことの裏付けとも言えるのではないだろうか。読者モデルが自然とロックで意気投合し、誰に言われるでもなくバンドを組んだというのはそういうことではないかと思う。SILENT SIRENが結成されてメジャーデビューしたというのは、とりもなおさず日本のロックの裾野が広がったことを証明しているのである。(ここまでの[]はすべてWikipediaからの引用)。