オフコースの
バンドとしての姿勢を作品化した、
初のチャート1位獲得アルバム
『We are』

『We are』(’80)/オフコース
決して“ネクラ”なんかではない
その昔、テレビ番組の司会者としても有名な某コメディアン氏のオフコース嫌いが話題になったことがある。さだまさしもその対象だったと思うが、確かもともとは氏がパーソナリティーを務めるラジオ番組の“思想のない歌”を紹介するコーナーに端を発していたような覚えがある。同コーナーでは戦前の映画スター、高田浩吉の「白鷺三味線」や昭和初期のボードビリアン、二村定一の「神田小唄」を絶賛しており、その比較対象としてニューミュージックやフォークを挙げて、“最近のニューミュージックは意味ありげなものが多いけど、昔の歌には思想がなかった”というような話だったように思う。そこでオフコースやさだまさしを揶揄していたとは思うが、毎週そこだけを侮蔑するようなものではなかった記憶があるし、いつしか、“オフコース嫌い”“さだまさし嫌い”だけが独り歩きしてしまったような気がする。
その後、氏が司会をする番組に小田和正(Vo&Key)が出演し、両者の間に険悪なムードが流れたと今も語り草になっているようだが、これはプロレスで言うところの“アングル”だったと思う。いくら昭和のこととは言え、司会者が本気で嫌悪している人とそもそも共演するわけがないし、嫌いと言っても表面的な部分を指してそう言っていたのに過ぎなかったのだろう。
まぁ、氏が“ネクラ”という言葉を使っていたような記憶はあるが、さだまさしもそうだが、そもそもオフコースは簡単に“ネクラ”と括られるようなグループではなく、その指摘はまったくあたらない。ここからは、その名盤とともにオフコースというバンドの秀でた部分を語ることで、それを証明していこうと思う。
デビュー10年後の大ブレイク
折からの“ニューミュージック”ブームが強烈に後押ししたことも間違いない。最近の音楽ファンには“ニューミュージック”と言ってもおそらくピンとこないだろうが、これは1970年代後半に台頭した音楽ジャンルで、明確な定義はなく、それまでフォークと括られていたアーティストで、その音がバンドサウンド寄りになったものが大体そう呼ばれていたように思う(かなり大雑把だがそれほど間違ってない気はする)。アリスや松山千春がその代表で、オフコースもまさにそれだった。
結成当時のメンバーの脱退によって1972年にはメンバーが小田、鈴木のふたりになっていたオフコースに、清水仁(Ba)、大間ジロー(Dr)、松尾一彦(Gu&Key)が加わって5人バンドになったのが1976年である(契約の関係で正式にメンバーとなったのは1977年)。前述の1978年の6th『FAIRWAY』に続く、7thアルバム『Three and Two』(1979年)が2位となり、ヒットシングル「さよなら」の翌年のシングル「Yes-No/愛の終わる時」等を経て、ついに通算8枚目のオリジナルアルバム『We are』でチャート1位を獲得。本格的なバンドスタイルとなったことで勢いに乗ったことは間違いない。
懐に熱さを湛えたロックバンド
M1「時に愛は」はミディアムテンポで物悲しい雰囲気のギターのイントロから始まるが、後半に進むに従って演奏が熱を帯びてくる感じだ。とりわけ、サビでは歌メロを邪魔しない程度に、それでいて確実に自己主張しているギターが間奏ではさながら嵐のように鳴らされる様子や、後半のドラムスのフィルインの荒々しさは、演者の感情の昂り、楽曲全体のテンションが高まっていく感じがあってとてもいい。単体で聴くと、やはり小田の繊細な歌声に耳を奪われがちだが(ていうか、確実に耳を奪われるが)、決してそれだけじゃなく、バンド全体で迫ってくる圧力が確実にある印象だ。
アルバムの頭からこれなので、このアルバムのただ事じゃない感じ、このバンドの只者じゃない感じがいきなり伝わってくる。鈴木がメインボーカルを務める楽曲はよりロック色が強く、M3「おまえもひとり」はさらにギターが荒々しく、サビはソウルフル。スペイシーなアップチューンM6「一億の夜を越えて」はシアトリカルというかドラマチックというか、メリハリの効いた構成で、いかにもライヴ映えしそうなナンバーだ。何よりもM6「一億の夜を越えて」の歌詞に《いつの日か 一億の人間を/いつの日か 一夜のロックショウに》とあるのだから、いかにその志しが高く、十二分にロックであったかが分かるだろう。楽曲の芯には確実に熱いものがあるのである。
唯一無二の小田のヴォーカル
『We are』収録曲においても確実に小田の声に耳を奪われる──これはむしろ氏を称える言葉であって、変な意味で受け取ってほしくないのだが、逆に言うと異物感を感じるほどだ。それは、我々が『We are』以降、ソロを含めて小田作品を多く聴いてきた“今となっては…”と前置きするのがいいのだろうが、鈴木、松尾のメインヴォーカル曲で顕著に感じるところではあって、コーラスで小田の声が入ることで、かえって歌の主旋律が小田の作ではないことを認識するようなところがある。
松尾作曲のM7「せつなくて」がもっとも分かりやすいだろうか。サビは小田メロディーとは微妙に違うが、コーラスワークは小田らしい。聴けば、[特にサビの部分は小田に相当手伝ってもらったという]から([]はWikipediaから引用)、そう考えると、やや歪な感じがしないでもないが、それこそがバンドならでは…の成果と言えるだろう。今や小田のソロ作品ではなかなか味わえない化学変化が音源に落とし込まれていることも、オフコースの作品の大きな特徴ではあると思う。特に『We are』はそのタイトルからしてバンドとしてのオフコースを色濃く映したものであろう。
歌詞の多面性が示すバンドの非凡さ
《あきらめきれずに 君の好きな街を/歩いて ただ歩いて 辛くなるだけなのに》《つめたくて 夜が ベッドが あの歌さえ今は/つめたくて でも 君の心は まだ あたたかいの?》(M7「せつなくて」)。
大間、松尾の共作であるM7「せつなくて」では、上記のような、諦めない…というよりも、どちらかと言ったら“懲りない”と言ったほうがいい男心(たぶん)を綴る一方、M6「一億の夜を越えて」はシンガーソングライター、安部光俊(現:あんべ光俊)から提供されたものだが、前述の通り、以下のような熱い歌詞があり──。
《誰かが言った まわり道してる/いいさ いいさ もう迷わない 耳をかさない》《誰かが嘲った 夢をみてる/いいさ いいさ ひとつひとつ心をたたいて》《誰かが泣いた もう立ちあがれない/いいさ いいさ どんな奴でも負けたことがある》(M6「一億の夜を越えて」)。
鈴木、清水両名によるM3「おまえもひとり」では、他のバンドではなかなかお目にかかれないタイプの物語を描いていたりもする。
《ふたりの おんなを相手に/どうするの 何を考えてるの/おまえも 寂しい男だね/俺にさえ ひとことも 打ち明けないでいる/いい加減にしろよ うぬぼれるのは/もう答えを 出す時だろう》《さよならを 二回言えばいいだけさ/あとは振り返るな もう二度と》(M3「おまえもひとり」)。
それに加えて小田の歌詞は、シンプルだがそれ以上ない形に刹那を切り取ったものばかりで、当時からすでに名画のような味わい。
《走り来る日々たちよ 僕らは知っている/新しい いくつもの 嵐の訪れを》《時に愛は力つきて 崩れ落ちてゆくようにみえても/愛はやがてふたりを やさしく抱いてゆく》《あなたは僕のことを 信じることに決めて/ただ黙ってなつかしく 僕を見つめている》(M1「時に愛は」)。
《今なんていったの? 他のこと考えて/君のことぼんやり見てた/好きな人はいるの? こたえたくないなら/きこえない ふりをすればいい》《君を抱いていいの 夏が通りすぎてゆく》《ああ時は音をたてずに ふたりつつんで流れてゆく/ああ、そうだね すこし寒いね 今日はありがとう/明日会えるね》(M8「Yes-No」)。
《会うたび君は すてきになって/そのたび僕は とり残されて/君のために今 なにができるだろう/大切なあなたのために》(M9「私の願い」)。
《きかせて どうして あなたは/あの時たしかに 僕を》《黙ってないで/みじかい夜だから 涙を拭いて/……こんなに/みじかい夜だから/きかせて どうして あなたは》(M10「きかせて」)。
バンドのアルバムならではの多面性、奥深さもまた、改めて言うことではないが、オフコースの非凡さを示すものである。
TEXT:帆苅智之
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