竹原ピストルの黎明期を野狐禅『鈍色
の青春』に見る

『鈍色の青春』(’03)/野狐禅

『鈍色の青春』(’03)/野狐禅

『鈍色の青春』(’03)/野狐禅

「よー、そこの若いの」がCMソングに起用されてロングヒット中。今年発表した新曲「Forever Young」がドラマのエンディングテーマとなるなど、ここに来て注目が集まっている“不屈のシンガーソングライター”竹原ピストル。今春にはテレビ朝日『ミュージックステーション』に初出演した上、NHK『SONGS』でもピックアップされるなど、お茶の間にも浸透しつつある。今回は彼のミュージシャン、アーティストとしてのキャリアのスタートであるバンド、野狐禅の『鈍色の青春』を取り上げる。竹原のスタイル、センス、そのアーリータイムズを知ることができる名盤である。
音楽業界で“苦節○年”なんて言うとその昔は下積みの長かった演歌歌手の常套句であったが、今やその限りではない。わりと有名なところで、DAIGOはDAIGO☆STARDUSTの名前でメジャーデビューしたが今ひとつパッとせず、BREAKERZのヴォーカリストでブレイクするまでに5~7年を要しているし、2004年結成のゴールデンボンバーの「女々しくて」は2009年リリースで、チャートを賑わせ始めたのは2011年頃だ。T.M.Revolutionが初めてチャートベスト10入りしたのは1997年だが、彼は1991年にLuis-Maryというバンドのヴォーカリストでデビューしたものの1993年に脱退し、その後、2年間ほどシーンからフェードアウトしている。まだ、ある。

Kis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔が合宿所に入所したのは1998年で、キスマイでデビューするまでに13年かかっている。Perfumeは2000年結成で、「ポリリズム」のヒットは2007年。新潟県を活動拠点とする女性アイドルグループ、Negiccoは2003年結成で、シングル「光のシュプール」がチャート5位になったのが2014年だ。遡れば、オフコース「さよなら」のヒットはデビューから10年目だったとか、アルフィー「メリーアン」のヒットはデビューから4年目だが、それは再デビューから数えてのことで、最初のデビューからは9年目であるとか、御大たちも苦労、苦心を重ねてきた。竹原ピストルの場合、CMソングに起用された「よー、そこの若いの」が収録されたアルバム『youth』の発売が2015年発売。インディーズでのソロデビューこそ2009年だが、彼の音楽キャリアのスタートであるバンド、野狐禅は1999年結成だから、本格的にスポットライトが当たるまで実に16年もかかったことになる。ここまでの道程にはまさに苦節があったと思われる。


生前はまったく相手にさせなかったファン・ゴッホの絵画がその最たるものだろうが、優れた作品、作家が必ずしも即時、高い評価を受けるわけではない。ファン・ゴッホと重ね合わせるのは流石に無理はあるが、竹原ピストルのここに来てのブレイクにはそれに近いものだとは思う。今回、『鈍色の青春』を聴き直して感じたことだが、竹原ピストルの音楽は野狐禅の作風からそう大きく変わってはいない。まぁ、野狐禅では相方の濱埜宏哉(Key)が居たので、鍵盤も前面にフィーチャーされており、サウンドの聴き応えは違うことは違う(この辺は後述する)。

また、16年前は彼自身、若かったので♪よー、そこの若いの♪などと歌っていたわけもなく、歌詞も現在とは異なる部分がある。だが、例えば、ポップス調になったり、ラップになったりするようなドラスティックな変化はない。当時もアコギをかき鳴らしながら、時にやや詰め込み気味に言葉を吐くスタイルであった。では、どうして当時の野狐禅のセールスは思ったほどには伸びなかったのか。野狐禅がメジャーデビューした2003年前後の年間チャートを見てみると興味深い。2002年の年間売上は1位:宇多田ヒカル、2位:浜崎あゆみ、3位:MISIA、2003年は1位:浜崎あゆみ、2位:CHEMISTRY、3位:B'z、2004年は1位:宇多田ヒカル、2位:EXILE、3位:ポルノグラフィティ。所謂ディーヴァ、R&Bの全盛期である。これは私見だが、今考えても、そりゃあシーンのメインストリームに分け入るのは相当難しかっただろうなと思わざるを得ない。また、2003年は俗に言う青春パンクが隆盛でもあり、そこにカテゴライズされてもおかしくない曲調もあったが、2人組という形態ではそういうわけにもいかなかったのだろう。何かいろいろと折が悪かったのだと思う。
そういう意味では、今、竹原ピストルに興味を持っている人は是非、野狐禅も聴いてほしいものである。ということで、野狐禅のデビューアルバム『鈍色の青春』を解説してみようと思う。竹原の歌唱を時にやや詰め込み気味に言葉を吐くスタイルと前述したが、これは本作でも確認できる。アップテンポなナンバー、タイトルチューンM2「鈍色の青春」、M3「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」、M10「拝啓、絶望殿」が顕著だ。ミディアム~スローでは、あえて歌詞をメロディーに乗せるのではなく、語るように歌うケースもある。M1「山手線」、M4「少年花火」、M8「首をかしげて‥‥」辺りがそうであろうか。当時から野狐禅をして“フォーソング的”と言われたのはこの辺があってのことだろう。ただ、一方で、こうした歌い方ばかりではなく、しっかりと抑揚を効かせた歌唱もある。M2「鈍色の青春」やM10「拝啓、絶望殿」はサビがキャッチーだし、M3「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」はBメロが印象的だ。ミディアム~スローなナンバーは当然の如くメロディアスなパートは多い。簡単に言えば、ポップなのである。意外と…と言っては失礼だが、極めて大衆性は高いと思う。サウンド面もポップさを後押ししている。随所に出てくる竹原のブルースハープもそうだが、そこは濱埜の鍵盤の効果が大きいのは間違いない。几帳面というか、スタンダードに忠実なプレイがこれも随所で聴けるが、特にR&R特有の弾ける演奏はまさにポップで、楽曲全体に高揚感を生んでいる。野狐禅と竹原のソロとの一番の違いはそこで、当たり前だが、野狐禅がふたりのバンドであったことを認識させられる。

歌詞は12曲中10曲を竹原が手掛けており、今にも通じる彼の世界観が全開だ。

《やめてしまおうって言おうと思った/それを遮るようなタイミングで山手線が真横を走り抜けて/僕はそこに勝手に何らかのメッセージを感じて/黙って歩き続けたんだ》(M1「山手線」)。

《とうとうこみあげてくる感情を抑えきれなくなり/私にとってもはや禁句とさえ思えるその一言を思わず口にしてしまったのです/「生きてもないのに、死んでたまるか!」》(M2「鈍色の青春」)。

《人生を考える まだ始まってもいない これから始めるんだと/人生を考える 這いつくばった回数で勝負だと 立ち上がった回数で勝負だと》(M5「キッズリターン」)。

《何かに命をかけてみようと思います/今はまだ何に命をかけるべきかが分からない僕ですが それでも堂々と胸を張って/何に命をかけるべきかを 命をかけて探してゆこうと思います》(M10「拝啓、絶望殿」)。

やさぐれ感というか、ダメ人間であることを自認しつつ、それでも前へ進まねばならないという決意がある。明らかに竹原のソロ作品「オールドルーキー」や「Forever Young」と地続きの世界観であり、そのこと自体の良し悪しは分からないが、ヒューマニズムを感じさせる内容である。また、これは今回、久々に『鈍色の青春』を聴いてみて、特筆すべきと感じたことはその歌詞の文学性である。

《キャラメルコーンの袋の中きっとこんな感じでしょう/背中が小さく丸まって最終電車に想うのです》《血迷ったおばちゃんのヘアカラーに似た夜明け前の混沌に口笛を浮かべれば》(M2「鈍色の青春」)。

《ナメクジみたいに君の体を這う毎日》《ゴキブリみたいに夜を這う毎日》《自殺志願者が線路に飛び込むスピードで/生きていこうと思うんです》(M3「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」)。

《僕は無性に確かなものに触れたくなって/例えば君の背中に思い切り頭突きしながら(例えば君の肩に思い切りアイアンクローしながら)》(M5「キッズリターン」)。

《幸せと不幸せを紙コップに入れて 割り箸でかき混ぜて/吐き気をこらえて一気に飲み干した/ねえ神様 喜びと悲しみをせめてかわりばんこにしてくれよ/僕はうすうす気づいてるぜ あんたはいないんだ》(M9「金属バット」)。

情景描写、特にその比喩表現の豊かさは本当に素晴らしいと思う。《自殺志願者が線路に飛び込むスピードで生きていこう》なんて表現には他ではなかなかお目にかかれないし、電車に乗る背中を小さく丸めた人たちをキャラメルコーンに、夜明け前の空の色をおばちゃんのヘアカラーに重ねるセンスは竹原ならではのものだと思う。さらには、M3「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」やM7「さらば、生かねばならぬ」に垣間見える、西村賢太氏の私小説を彷彿とさせるボンクラな世界観も、音楽シーンではあまりお目にかかれぬ代物だ(ちなみに西村賢太氏は1996年に『野狐忌』なる私小説を書いている(単行本未収録)が、これは偶然だろう…)。これら歌詞の味わい深さだけを考えても、野狐禅を再評価する意義は十二分にあると思う。

OKMusic編集部

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