伝説としか言いようのないバンド、キ
ャロルの解散ライヴの熱を追体験でき
るアルバム『燃えつきる~キャロル・
ラスト・ライヴ!!』

あの矢沢永吉がトップスターに躍り出るきかっけとなったのが、1972年に結成されたバンド、キャロルである。メンバーは矢沢永吉(Vo&Ba)、ジョニー大倉(Gu&Vo)、内海利勝(Gu)、ユウ岡崎(Dr)の4人(初期にダウンタウンブギウギバンドに加入する相原誠がドラムを叩いていた時期もある)。ロックミュージシャンになるべく神奈川を拠点に活動していた矢沢永吉が、“ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム”という貼り紙でメンバー募集をかけたことが結成のいきさつだ。

TVから飛び出したロックンロールバンド

 結成した年にフジテレビの伝説のTV番組『リブ・ヤング!』(1972年〜1975年)に出演したことがキャロルの存在を一気に世に広めることになった。番組の司会を務めていたのは愛川欽也。いかにこの番組がキテいたかというと、日曜日の夕方、子供も観られる時間帯に尖っているロックバンドがガンガン出演していたのである。時代はグラムロック全盛期。よく番組に出演していた故•今野雄二氏(ロキシー・ミュージックに傾倒されていた)はスタイリッシュなスーツ姿で、故•加藤和彦氏はデヴィッド・ボウイのごとく見るたびに髪の色が紫とか緑に変わっていた記憶がある。洋楽の新着のプロモーションフィルムやライヴフィルムを流すと同時に普段TVには出演しない日本のバンドを紹介していたのも、この番組が画期的と評価された所以だった。T-REXが来日した時にはマーク・ボランがゲストで出演していたし、サディスティック・ミカ・バンドも村八分もこの番組で知った。お茶の間の空気感にはほど遠い人たちが次々に紹介される『リブ・ヤング!』に衝撃を受けた少年、少女は多かったのではないだろうか。余談になるが、自分自身、のちに母親に“あのテレビ番組さえなければ”と嘆かれたものである(笑)。
 そして、ある日、突然、キャロルがTV を通して目の前に表れたのだ。当時の記憶はおぼろげではあるが、皮ジャンにリーゼントのスレンダーな兄ちゃんたちがカッコ良いロックンロール(それがロックンロールなことも分かっていなかったが)を鳴らしていたこと、そしてヴォーカルの矢沢永吉がツバを飛ばす勢いでビートルズのポール・マッカートニーと同じ形のベース(当時はヴァイオリンベースと呼ばれていた)を弾きながらシャウトしていた姿ぐらいである。その時出演時のリハーサルを内田裕也氏が見てプロデューサー役を申し出、本番終了後、ミッキー・カーチスから一緒にやろうと連絡が入ったというからスゴイ。それがきっかけでキャロルはミッキー・カーチスと契約を結び、同年にシングル「ルイジアンナ」でデビューする。チャンスを掴むまでのスピード感からしてキャロルの威力を物語っているが、その後、3カ月連続でシングルをリリースしたのも当時としては異例のたたみかけだ。しかも、翌年の1973年にはスタジオアルバムを2枚も発表しているのである。ちなみに海外ではグラムロック・ブームだったが、日本ではかぐや姫が大ブレイクするフォーク・ブームで、ロックバンド自体、まだまだアンダーグラウンドな存在だった。そんな中、『リブ・ヤング!』で演奏した曲でもあり1973年にシングルとしてリリースした「ファンキー・モンキー・ベイビー」は約8万枚のヒットを記録。彼らはバイクで暴走する青年を中心に(もちろん、キャーキャーも言われていた)熱狂的に支持された。一時は人気のプレッシャーゆえか、矢沢とともにヴォーカルをとっていたギタリスト、ジョニー大倉が失踪し、新メンバーにサミーが加入していた時もあるが、すぐにジョニーはカムバック。1974年には福島県郡山市で行なわれた伝説のロックコンサート『ワンステップフェスティバル』に出演。内田裕也、小野洋子(ヨーコ・オノ)とプラスティック・オノ・スーパーバンド、クリエイション、外道、四人囃子、加藤和彦、かまやつひろしら、当時のロックを語る上で欠かせないスーパーアーティストたちと同じステージに立つ。しかしながら、ものすごいスピードで時代を駆け抜けていったバンドの宿命なのだろうか。結成からわずか3年、1975年に人気絶頂の中、キャロルはメンバー間の軋轢が原因で解散という結末を迎える。

キャッチーで新しかったキャロルの音楽

 実際に自分がキャロルのアルバムを買ったのは、彼らが解散した後だったが、1974年にリリースされた『キャロル・ゴールデン・ヒッツ』を家でビートルズやローリング・ストーンズなんかの洋楽と並列感覚で何度も聴いていた。矢沢永吉がビートルズに憧れて始めたのが、キャロルだということもまったく知らずに聴いていたので、たぶん違和感なく響いていたのだと思う。
 いろんな人が語っていることだと思うが、キャロルは多くの人が想像する日本のヤンキーバンドではない。50'sからの流れを組むロカビリーやモータウンなどの影響を受けたサウンドは洋楽寄りだったし、ジョニー大倉の英語と日本語をミックスさせた独特の歌詞も(当時は新しかった)甘酸っぱさこそあれど、男臭ささみたいなものは実はほとんどない。大半の曲を作曲していたのは矢沢永吉だが、後の躍進を予感させるのが、メロディーのキャッチーさだ。思わず口ずさみたくなるメロディーと歌詞にはハンパない吸引力があった。矢沢永吉のシャウト気味の力強いヴォーカルと、ジョニー大倉の甘いヴォーカルの対比も魅力で、内海利勝のロックンロールのツボを刺激するギターも岡崎ユウのドラミングもカッコ良かったけれど、やはり矢沢と大倉の2トップあってこそのキャロル。それと、“1、2、3、4!”のカウントで入るようなアップテンポのロックンロールを連発するイメージが強いかもしれないけれど、ミディアムテンポやバラードに名曲が多いのもキャロルの特徴だ。「やりきれない気持」とか「愛の叫び」とか「夏の終り」はスイートという言葉を使いたくなるほど切ないラブソング。暴走するロックンロールというよりはキュンとするロックンロール寄りな曲が多い。だからこそ、思春期の少年、少女の心を鷲掴みにしたのだろう。

アルバム『燃えつきる ~ キャロル・ラ
スト・ライヴ!! 1975 4.13.』

 スタジオ盤やベスト盤から入るのも良しだが、観客の歓声も含め臨場感たっぷり、気迫あふれるテイクが収録されているライヴ盤はキャロルの入門編としてもおすすめだ。1975年4月13日に日比谷野外音楽堂で行なわれた伝説の解散ライヴの模様を収録したもので、代表曲「ファンキー・モンキー・ベイビー」や「ルイジアンナ」、「ヘイ・タクシー」、「やりきれない気持」などがまとめて聴けるプラス、「ジョニー・B・グッド」や「ユーヴ・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー」、「グッド・オールド・ロックンロール」などロックンロールのスタンダードのカバーもパッケージ。音は決していいとは言えないけれど、後半に進むにつれてテンションが上がってくる様子が手にとるように分かるし、曲のクォリティーの高さも含め、キャロルがなぜ、そんなに熱狂的に支持されていたか、グルーブする演奏から伝わるのではないかと思う。ステージに上がらないようにという呼びかけも収められているが、アンコール前に興奮する客がステージに押し寄せパニック状態になったり、演出のために用意した爆竹がセットに燃え移ったり(火事も演出だと思っていたファンも多かった)といろんな意味で伝説以外の何者でもないライヴだ。まさに、その名の通り、燃えつきる=ラスト・ライヴなのである。実際、このライヴ盤は盛り上がりまくる観客の声と消防車のサイレンらしき音で終わっている。他、館ひろしがいたクールスがボディガードを務めていたり、ゲストに内田裕也やなぎら健壱やガロのメンバーが登場したりとエピソードは尽きないが、伝説は置いておいても、キャロルというバンドがいかにスゴかったか体感できる一枚である。

収録曲

01. ファンキー・モンキー・ベイビー
02. 憎いあの娘
03. グッド・オールド・ロックン・ロール
04. メンフィス・テネシー
05. 涙のテディ・ボーイ
06. やりきれない気持
07. 変わり得ぬ愛
08. ビブロス・ピープル
09. ユーヴ・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー
10. 愛の叫び
11. ヘイ・ママ・ロックン・ロール
12. ヘイ・タクシー
13. 夏の終り
14. ゲスト紹介
15. ジョニー・B・グッド
16. ズッコケ娘~スローダウン
17. ルイジアンナ
18. エニタイム・ウーマン
19. ファンキー・モンキー・ベイビー
20. ラスト・チャンス

著者:山本弘子

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着