コブクロが創る秀でた旋律と歌詞を、
路上の空気を損なうことなく構成した
『NAMELESS WORLD』

『NAMELESS WORLD』(’05)/コブクロ
ストリート出身ならではの機微
別にアルバムアーティストが悪いと言いたいわけじゃないし、それを皮肉りたいわけでもない。レコーディング作業だけに注力できるのであればそれはある意味で音楽家の理想と言えるだろう。しかし、それも需要があってこそ。ベースに商業があるシーンで活動している以上、聴いてくれる人がいなければその行為は成立しない。アーティストであればセールスのことは気にしないで制作したいところだろうが、セールスがなければ制作できないのは自明な理である。
その点、アマチュアミュージシャン、とりわけストリートで活動する人たちのほうが、ある意味でシビアなのかもしれない。セールス云々以前に、まず彼ら彼女らの音楽そのものに需要がない。ある程度のキャリアを積めばそれを目当てに集まって来る人がいるかもしれないが、ほとんどのストリートミュージシャンは供給のみでスタートする。しかも、概ねその演奏場所に人の往来が多いところを選んでいるのであろうが、そこは路上であるからして、音楽を聴きに来ている人は皆無であると言ってよく、如何にそれらの人たちに自分たちの音楽を聴いてもらうかに腐心することとなる。
極端に音量を上げるわけにもいかないだろうから、行き交う人たちの歩みを止めるためには楽曲の精度を上げるしかない。もしかすると、寸劇をするとか、派手なコスチュームで惹き付けるとか、方法はいろいろあるのかもしれないが、結局のところミュージシャンの勝負は音楽だ。そのメロディーや歌詞で聴く人を惹き付けなくてはならない。その日、その場をたまたま通りかかった人を、だ。まぁ、それこそが路上の妙味であり、醍醐味なのだろうが──。
如何にして自分たちの音楽を聴いてもらうか。ストリートでそれを嫌というほど考えてきた人たちにとって、自分たちの音楽を聴いてもらうきっかけに躊躇があろうはずもない。路上で音楽が見聴きできる範囲は半径10メートル程度だろうか。メディアを使えばそこまでの距離が1,500キロだろうが2,000キロだろうが、まだ見ぬリスナー、オーディエンスにもその楽曲の存在を伝えることができる。ひとりでも多くの人に自分たちの音楽を届けることができるのであれば、本人たちが積極的に宣伝するのは当たり前のことであろう。