奥田民生がバンドとの違いを示した
本格的ソロデビューアルバム『29』

『29』(’95)/奥田民生
本格ソロデビュー25周年
奥田民生がどういう人かというと、これはある世代以上の方であればわりと多くの方が同意してくださると思うが、なかなか掴みどころのない人ではあると思う。いや、掴みどころがなかった…というべきか。ソングライティングのセンスは言うまでもなく一線級で、出す音は容赦なくロック。問答無用に当代随一のロックアーティストのひとりであることは論を待たないはずだが、その一方で、オフステージでの佇まいは極めてカジュアルで、所謂強面的な威圧感は微塵もない。○○○○○○や●●●●ほどには寡黙ではないし、ライヴのMCでは観客を笑わせるようなこともあったように思うけれども、リップサービスが得意でなかったのか、解散前のユニコーン時代はインタビュアー泣かせな面もあったようだ。筆者は奥田民生から話を訊いたことはないのだが、直接ユニコーンを取材した人物で「民生はたぶん本当のことを喋ってくれないよ」と言っていた人もいたし、某音専誌では饒舌に語らない民生に業を煮やしたのであろう、ユニコーンのローディーだった人物をインタビュアーに仕立て上げていたことを薄っすら記憶している(記憶が曖昧なのでローディーじゃなかったかもしれない。間違っていたらゴメン)。
ユニコーンは特異なバンドで、メンバー5人全員が作詞作曲を手掛けるばかりか、5人それぞれに一応メインのパートはあるものの、ヴォーカルのみならず、楽曲によってメンバーの担当する楽器が異なるのは当たり前。それはレコーディングにおいてもそうで、ギタリストがギターを弾いてないとかベーシストがベースを弾いてない楽曲が今でも普通にある。現在のリーダーはABEDON(再結成前は川西幸一)であるが、リーダーがバンドの全てを司るのではなくて、楽曲毎に異なるメンバーが主導権を握ってそれに他のメンバーが追従するというスタイルのようだ。5人全員がメインヴォーカルを担当したのが4thアルバム『ケダモノの嵐』(1990年)だから、解散から再結成までの期間を差っ引いても、バンドの歴史の中ではこの無政府共産主義的体制がほとんどで、ユニコーンは誰かひとりが突出することのない、メンバーはほぼ完全にその5分の1を担うバンドと言える。
“掴みどころがなかった…というべきか”と書いたが、上記のように考えると、ユニコーン時代の奥田民生が掴みどころのないのは当然で、5分の1で5分の5の全貌を探るのは難しいし、その5分の1にしても他の4つの5分の1が複雑に絡み合っているからして、少なくとも簡単にひと口で語れるものではなかったことは無理もない。それゆえに、対峙する方からは掴みどころがないように感じられることもあっただろうし、場合によってはのらりくらりとした印象を持たれたのかもしれない。
今さらながらにそんなことを考えたのは、それはもちろん奥田民生の『29』を聴いたからであって、本作はバンド解散後のソロデビュー作であることから、余計にバンドとソロの差異、ユニコーンと奥田民生との関係性を感じさせるアルバムなのである。以下、ザッと収録曲を説明していく。
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