LUNA SEAが創る
サウンドの臨界点の、
さらなる先を顕した大傑作『STYLE』
MOTHER OF LOVE, MOTHER OF HATE』
2023年10月7日 at Kアリーナ横浜
https://okmusic.jp/news/536203/
■5人で作り上げるLUNA SEAの音世界、
その臨界点を示したアルバム『MOTHER』
https://okmusic.jp/news/77612/
快進撃中に発表された決定打的作品
ちなみにその後も勢いは衰えることなく、同年7月リリースのライヴビデオ『LUNATIC TOKYO〜1995・12・23 TOKYO DOME〜』が初登場第1位で、8thシングル「IN SILENCE」は初登場第2位を記録(ここまで1位を続けてきたので、2位というと意外な気もするが、アルバム収録曲のシングルカットなので、この結果は相当に立派なものだ)。さらに、7月16日の横浜アリーナ2日間公演を皮切りに、全国9カ所16公演の全国アリーナツアー『LUNA SEA CONCERT TOUR 1996 UN ENDING STYLE』を決行し、間髪開けず、10月22日からは全国28カ所28公演の全国ホールツアー『UN ENDING STYLE ENCORE TOUR 1996 〜TO RISE』で日本国内を駆け巡った。
その後は、リアルタイムで当時のLUNA SEAを見ていたファンにとってはよくご存じの通り、12月の『UN ENDING STYLE TOUR FINAL Christmas STADIUM〜真冬の野外〜 in 横浜スタジアム』を終えて、1年間の充電期間に入る。充電の理由は、[Jによれば、7月からの全国ツアーが始まる頃に、メンバーでの話し合いが持たれ、「次のビジョンへ行くためには、一人ひとりのメンバーが力を付けて、新しいルナシーを作らなければダメ」であり、1997年を「みんなの自主トレーニングの期間にあてよう」という結論に至った]ということではあるが、こうしてLUNA SEAの歴史を振り返ってみると、個人的には“そりゃあ充電も止むなしだろう”とは思う([]はWikipediaからの引用)。1992年のメジャー以降、LUNA SEAはその活動のスピードを緩めることなく、突っ走ってきた。1994年頃からはギアがトップに入り、少なくともバンド勢の中には、その勢いに並ぶものはいなかったと言っても良かろう。“次のビジョン”“自主トレ”に充てたというのはそれはそうだったのだろうが、まずはひと息つくことも必要だったのだろうと、一般人としては邪推するところだ。
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