氷室京介の『Flowers for Algernon』
にあるのは、他の誰も到達できないヒ
ムロックならではの説得力

5月21~23日の東京ドーム公演を最後に氷室京介がライヴ活動を無期限休止する。4月にリリースしたオールキャリア・ベストアルバム『L’EPILOGUE』がチャート1位となったことでも、如何に多くの音楽ファンがヒムロックを支持しているかがわかろうと言うもので、今さらながら活動休止は残念でならないが、その原因が両耳の聴力悪化である以上、何よりもヒムロック本人がもっとも無念に感じているに違いない。バンド時代を含めて80年代から日本の音楽シーンをけん引してきた偉大なるアーティスト、氷室京介の雄姿を、我々は胸に刻み込んでおく義務がある。

体調不良による無期限活動休止

“ついに”と言うのも嫌な言い方だが、氷室京介がライヴ活動を休止することとなった。思い起こせば、それが発表されたのは2014年7月のこと。以下、当時の報道を引用させてもらうと──。
《氷室は今月13日、山口・周南市で行われたライヴ中、きょう19・あす20日の横浜スタジアム2日間公演をもって、「氷室京介を卒業する」と電撃発表。終演後に更新された公式サイトでは「来年予定されているファイナル公演をもって、氷室京介としてのコンサート活動を休止」する意向であることが改めて報告された。この日、ファンの前で「ちゃんと報告します」とマイクを握った氷室は、「年のせいもあって耳が7年前くらいから右耳の調子が悪い」と告白。「ライヴでは聞き耳は左なのでそれでやってたけど、(最近)左側の耳がどこかのトーンだけが聞こえない」と明かし、「これ以上やっていくのは無理」と神妙な面持ちで語った。また、年齢的な問題も一因のようだ。デビュー25周年で全国50公演のロングツアーを敢行中で、「この歳で50本は正直、つらかった」と本音を吐露。「9本目の九州・博多でライヴしたときに『今回のツアーで最後』だと、関係者やうちのかみさんにも伝えた」と決断に至るまでの経緯を明かした。》とある(《》はオリコンスタイルからの引用。ここで伝えられていた「来年予定されているファイナル公演」が変更になり、現在、行なわれている“LAST GIGS”となった)。
活動休止の理由は聴力の悪化。「左側の耳がどこかのトーンだけが聞こえない」ということで、最初にそれを聞いた時は「どこかのトーンだけが聞こえないと言うなら、だましだましやればいいのでは…?」とも、「ロングツアーがきついなら東名阪だけでもいいのでは…?」とも思ったものだ。しかし、冷静に考えれば、そんなことをしたらそれはもう氷室京介ではないのだ。氷室京介というアーティストのこだわりは我々凡人には想像もつかないものらしい。直接話を聞いたことはないけれども、その伝説はいろいろと耳にしている。「ツアー中も毎日ランニングを怠らず、会場にはトレーニングルームを設置している」とか、「レコーディングにおいてスネアドラムのズレをコンマ何秒単位で指示を出した」とか、とにかく自身の見られ方、聴かれ方に関しては一切の妥協を許さなかったようである。現在、米国ロサンゼルスで暮らしているが、これも「日本にいると俺は過保護にされる」という極めてストイックな理由からだったというから恐れ入る。そんなアーティストであればこそ、聴力の悪化を理由にテキトーに振舞うことなど頭の片隅にもなかったに違いない。

バンド解散直後に発表した鮮烈なデビュ
ー作

ヒムロックの無期限活動休止を、小説『アルジャーノンに花束を』の主人公、チャーリイ・ゴードンに重ねるのは座興にしても言葉が過ぎるだろうか。ファンならずともご存知のことかと思うが、『アルジャーノンに花束を』はダニエル・キイス原作の名作小説。原題は『Flowers for Algernon』で、言わずもがな、氷室京介の1stソロアルバムのタイトルはここから来ている。『アルジャーノンに花束を』のあらすじはこうだ。知的障害者である主人公、チャーリイは、ある脳手術を受けることでIQ185の天才となるが、頭が良くなったことで知りたくもなかったことを理解することになり、むしろ孤独感と苦悩を抱える。その脳手術にはピークに達した知能がその後、下降していくという欠陥があり、そのことを知ってしまったチャーリイは退行を止めようとするが、奮闘も空しく、再び知能は退行してしまう──。知能の退行と肉体の衰退、悪化を同列に語るべきでないとわかっているが、自らの聴力の不調、体力の減退を感じた時のヒムロックの心境を、脳手術の欠陥に気づいた時に落胆したチャーリイに被せて想像してしまうのだ。小説前半で主人公が抱える孤独感と苦悩は、BOØWYの成功と解散を想起させなくもないとも思っている(個人の感想ですので、あくまでも)。
そんな妄想をしてしまうのは、何よりもアルバム『Flowers for Algernon』が鮮烈で、氷室京介と言えば同作の印象が強いからでもある。まず、この作品、リリースタイミングが絶妙だった。本作の発売は1988年9月。BOØWYの解散コンサート“LAST GIGS”がその年の4月で、その模様を収録したライヴアルバム『LAST GIGS』が同年5月発売。バンドのラスト作品からわずか4カ月という早業であった。当時、そんな言葉はなかったが、“BOØWYロス”のリスナーを一気に救ってくれたのである。それにしても作品内容が愚にも付かなければ長く印象に残ることもないのだが、無論、我々が期待したヒムロックはそのイメージを全く損なうことなく、しっかりと音源の中に居た。そして、その雄姿は砂地に水が染み込むかのように我々の身体にインプットされたのであった。今回、本稿作成のため、改めて聴き直したのだが、その印象は28年前と1ミリも違わなかったことにも驚いた。真空パック、あるいは冷凍保存されたかのような瑞々しい氷室サウンドがそこにあるのだ。
極めて客観的に評すれば、この『Flowers for Algernon』というアルバム、メロディーはともかく、サウンド、歌詞、それぞれに比類なきオリジナリティーが発揮された作品かと言えば、決してそうではない。流石に…と言うべきか、バンド時代に比べればギターが引いた印象を受けるが、基本はストレートなロック。M1「ANGEL」、M3「LOVE & GAME」、M7「SHADOW BOXER」は8ビート、M2「ROXY」、M5「SEX & CLASH & ROCK'N'ROLL」、M8「TASTE OF MONEY」はシャッフルのリズム、M10「PUSSY CAT」はR&Rだし、M11「独りファシズム」はロッカバラードだ。いかにも80年代のシンセの音色はご愛嬌としても、いずれの楽曲にも小細工はない。アーバンなバラード・ナンバーであるM6「ALISON」、ミディアムのスカビートを鳴らすM9「STRANGER」は派手さはないが、前者はロキシー・ミュージック、後者はポリスを彷彿とさせ、先達へのオマージュを隠していない。いずれにせよ、悪い意味での独善性はない分、マニアが唸るような独自性もない。

ヒムロックの唯一無二の存在感

歌詞もそうだ。《浮気な恋のロミオ》《あそび上手なジュリエット》《シーツの中のシンデレラ》(「LOVE & GAME」)や、《ずいぶんなセリフだぜ/I'M DOWN DOWN DOWN》《I'M DOWN DOWN DOWN/だんだん 頭にくるぜ》(「TASTE OF MONEY」)はバンド時代にもあったタイプだし、《持て余す Passion/ギラ付いた Emotion/ナイフの Generation》《土砂降りの Rainy way/飛び出した Sixteen》(「STRANGER」)辺りはヒムロックらしいとも思えるが、これらは80年代初頭の佐野元春文脈からの流れと言えなくもない。「たどりついたらいつも雨ふり」をカバーしていた人が(シングル「DEAR ALGERNON」C/W)、《明日にたどり着く頃には/この雨も上がるだろう/振り向く事はしないサ/To Be Myself/今すぐに走り出せ》と歌っている箇所や(「SHADOW BOXER」)、《臆病な俺を見つめなよ ANGEL/今飾りを捨てるから/はだかの俺を見つめなよ ANGEL》(「ANGEL」)、あるいは《I WANNA FEEL MY LOVE/I WANNA FEEL MY DREAMS/I WANNA FEEL MY SOUL/I WANNA FEEL MY LIFE》(M4「DEAR ALGERNON」)で見せた剥き出し感からはソロワークに臨む心意気が十二分に伝わってくるが、それとて、一般的に言って文学性や哲学性が高いと評されるものではないだろう。
だが、『Flowers for Algernon』は問答無用にカッコ良い。とにかくそのヴォーカルに、サウンドがこうだとか、歌詞がどうだといったものを凌駕するだけの、圧倒的な説得力がある。“人智を超えた”と言うのは安易かもしれないが、まさしく知恵や知識を駆使してどうにかなるものではない、天賦の才のようなものが感じられるのだ。当初は、先ほど述べた“BOØWYロス”の影響もあったのかと思っていたが、改めて聴いてみて、そういうことでもなかったことは、これまた前述の通り。上手く言えないが、氷室京介は真っ直ぐに氷室京介なのだ。確かに歌詞やサウンドにはロック史の文脈が注入されているものの、アウトプットはあくまでも氷室京介であり、それ以外の何者でもないのである。ヒムロックのフォロワーは枚挙に暇がないが、この唯一無二の存在感には誰も追いつけないし、今後も氷室京介を超える存在は現れないであろう。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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