『続いてゆくのかな』の
グルービーなファンクと
哲学的な歌詞に見る
FLYING KIDSの志しの高さ

『続いてゆくのかな』(’90)/FLYING KIDS
初代グランドイカ天キング
よって、まず“イカ天”の説明を少しばかり。“イカ天”こと『平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国』は1989年から約2年間放送されたオーディション型の音楽番組のこと。毎週10組程度のアマチュアバンドが登場して、その演奏楽曲を順に放送。7名の審査員がそのバンドを評価するのだが、その審査方法と見せ方がユニークで、それが番組の面白さにもなっていた。演奏シーンが流れる中で審査員が“もう観たくない”と思ったら赤いランプが付くボタンを押す。赤いランプがふたつ点くとバンドが演奏されているシーンが小さくなっていき(ワイプになり)、審査員全員の赤ランプが点灯すると演奏画面が消滅。3分間ワイプを受けずにいられたら“完奏”となり、称えられるというものだった。
そして、その10組程度のアマチュアバンドの中からひとつのバンドがチャレンジャーに選ばれ、前週のチャンピオンであるところの“イカ天キング”と改めて対決。勝ったほうが新たなキングとなるというスタイルだった。5週連続でキングを防衛したバンドが“グランドイカ天キング”となり、そのご褒美としてはメジャーデビューという特典があり、BEGIN、たま、BLANKEY JET CITYら、7つのバンドがキングに輝いている。FLYING KIDSは1989年3月、番組放送開始から間もない頃にまず3代目の“イカ天キング”となり、その後、5週連続勝ち抜いて初代グランドキングとなった、言わば初期“イカ天”の顔とも言えるバンドなのである。
日本の音楽シーンが底上げされた象徴
彼らの(少なくとも初期において打ち出した)音楽性はファンクである。今でこそ、岡村靖幸、スガ シカオ、ウルフルズを筆頭に、Suchmos、在日ファンク、レキシとメジャーシーンでファンクをやるアーティストは珍しくないが、1989年当時はそうでもなかった。1980年代前半には伝説のファンクロックバンド、暗黒大陸じゃがたらがすでに活動していたが、アングラな存在であったことは否めない。1985年デビューの米米CLUB、1986年デビューの久保田利伸はメジャーな存在であったが、米米CLUBはデビュー当初は色物的な扱いを受けることもあったし、久保田は1988年に『Such A Funky Thang!』と題したアルバムを発表しているものの、J-POP寄りのR&Bシンガーといった認識が勝っていたと思う(当時は今で言うR&Bの認識もなかったと思うが…)。
あの頃、FLYING KIDSのような本格的なファンクバンドがメジャーシーンに鳴り物入りで現われたのは今思っても画期的なことであったと思うし、即ち日本の音楽シーン全体がボトムアップされたことを証明する出来事であったと思う。
ノリを重視したグルービーなサウンド
その特徴は、[1拍目を強調した16ビートのリズムとフレーズの反復を多用した曲構成である。リズムはファンクを特徴づける大きな要素であり、強調され、ためのあるベースライン、冗長ではなくストイックなリズムギター、分厚いホーンセクションなど、演奏楽器の多くがファンクビートを形成している。これにワウワウギターやクラヴィネット、コンガ、ボンゴが加わることもある。ギターにはカッティングという奏法が多用される]([]はWikipediaからの引用)。まぁ、概ねそれで間違いがないと思うが、ものすごく簡単に言うと、少ないコードをリフレインすることでグルーブを生み出す16ビートの音楽といったところだろうか。ノリを重視する音楽というと若干語弊があるかもしれないが、大きく間違ってはいない気はする。
メロディーラインの抑揚を強調するのはもちろんのこと、曲構成のドラマチックさにも重きが置かれ、それをサウンドで彩るといった印象があるJ-POPに対して、リフレインするサウンドにヴォーカルと各楽器が彩るメロディーが乗り、楽曲全体のリズムを崩さずにアガっていく音楽がファンク──そんな捉え方でもいいのかもしれない。(個人的な見解である…と前置きしておくが)『続いてゆくのかな』の収録曲はほぼそういったスタイルだ。
キレもありメロディアスなギター
まず丸山史朗(Gu)、加藤英彦(Gu)両名のギターがいい。M1「あれの歌」、M2「キャンプファイアー」、M9「君が昔愛した人」などなど、キレのあるカッティングギターとそれが楽曲が進行するに従って表情を変えていく様子はどれも素晴らしいし、そうしたリズミカルさだけでなく、しっかりとメロディアスな面を見せてくれるところは特筆ものである。中でも、M5「僕は僕を信じて~満ち足りた男」の中盤──まさしく「僕は僕を信じて」から「満ち足りた男」へと移る辺りのアーバンな感じや、M7「幸せであるように」の間奏と後半で聴かせる、抑制されつつもちゃんと体温を感じさせるメロディアスなパートは本作の白眉と言え、FLYING KIDSのバンドとしての優秀さを物語るものであろう。
浜崎貴司が手掛ける歌詞の哲学性
サウンドの素晴らしさだけでもFLYING KIDSが優れたバンドであることを語るに十分だが、そこに乗る浜崎貴司が手掛ける歌詞がこれまた素晴らしい。実はそのファンクサウンドと哲学性を帯びていると言ってもいい浜崎の歌詞が合わさったところこそが、このFLYING KIDS最大の特徴であると思う。オープニングから以下の通りの歌詞である。
《みんなはあれについて 今 考えてる/とっても寂しい夜を過ごして/きのう出会った ダンスホールの女の娘/本当にあれで よかったのかな》《ハンサムな君と美しい君が/たった今ここで 結ばれようとしています/一緒に あたたかく/二人を祝福してやってください/みなさんで拍手を!》《大切にしたいって言ってたじゃない/大切にしたいって言ってたじゃない/春が来て 夏も来て/(みんな あれについて考えてる)/秋が来て 冬も来て/(みんな あれについて考えてる)》(M1「あれの歌」)。
“あれ”が象徴しているように、浜崎の歌詞には具体的なものが提示されていない。それはおそらく意図的にやっていたのだろうが、それによって歌に奥行きを出すというか、汎用性を増す効果を狙ったものだったのではなかろうか。
《すかしたやつらが笑ってる/いい気になって笑ってる/そんなやつらに/こぶし振り上げるのもいいだろう》(M6「我思うゆえに我あり」)。
《別れはつらくて でもみんな愛しあうのに/涙がなんでこぼれ落ちるのかな/声をふるわせて/ママも死んで/それでもぼくは君とキスを交わしてる/子供も生まれてくれば懐かしい友のことなど/忘れるかもしれないよ》(M7「幸せであるように」)。
《やさしい友達は もう二度と笑ってくれない/そしたらいつものように集まって/頭をたれて素敵な先生に/すばらしくすばらしく しかってもらいたい/きのう世界はもう来ないから/ささやかな勇気がわいてくれたら》(M8「きのうの世界」)。
時代性はおろか、その主体が誰なのかもはっきりとしないが、《すかしたやつらが笑ってる》とか《ママも死んで》とか《やさしい友達は もう二度と笑ってくれない》とか、ドキッとさせられる言葉がある。ノリのいいサウンド故に耳馴染みがいいので聴き手にとっては感情移入しやすいと思われるが、具体性に乏しく余白が多いため、思考も深化する(ような気もする)。1990年当時、この手法はシーンにおける新発見とも言える斬新なものであり、アルバム『続いてゆくのかな』を聴いたスガ シカオが“自分がやりたかったことを全部やられて、もう音楽をやる意味がないかも…と思った”と述懐したという逸話もある。スガ シカオの歌詞も十分に鋭いが、彼にそう思わせたFLYING KIDSがそれだけ先鋭的だった証左だろう。
また、FLYING KIDSが今年2月に発売した最新作『みんなあれについて考えてる』は、M1「あれの歌」を意識したものであろうし、『みんなあれに~』にはM6「我想うゆえに我あり」のアレンジバージョンである「新・我想うゆえに我あり」が収録されている。このことから考えても、アルバム『続いてゆくのかな』はFLYING KIDSの原点であり、バンドの最重要作であることは間違いないであろう。
TEXT:帆苅智之