あがた森魚の表現者としての情念が込
められたアルバム『乙女の儚夢』に見
る“総合芸術”

最近では俳優として映画、テレビドラマにも出演しているので、若い読者の中には役者としてイメージを抱く人も多いのかもしれないが、デビュー作である「赤色エレジー」が50万枚以上のヒットを記録し、吉田拓郎、岡林信康らと並ぶシンガーソングライターとして世間に知られたアーティストである。ここまで発表したアルバムはライヴ盤やサウンドトラックを含めれば40枚以上。還暦を優に超えてもその創作意欲は衰えることないばかりか、ライヴを活動も精力的に展開している。今回はそんなあがた森魚の初期傑作を名盤に選んでみた。

アートワークも優れた作品

音楽有料配信サービスはとても便利だ。個人的な話で恐縮だが、こうした音楽系の文章を書く時、とりわけこの“これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!”のようなクラシックな音源を参考にしなければならない場合には、その音源の入手が容易である点ではありがたい存在ではある。中古屋で音源を探すという手もあるが、レアな音源の場合、当たり前のことだがそれはなかなか外には出てこないものなわけで、それすらも瞬時にダウンロードできてしまうサービスは本当に便利だ。なので、音楽有料配信をことさら否定するつもりはないことを最初に断っておくが、よくある“CDやLPのほうがいい!”という方々の気持ちもわからなくもない。“手元に盤そのものを残しておきたい”──もっと言えば“物質を持ちたい”といったところからそうした気持ちが生まれているのだろう。古い人間になればなるほど、再生デバイスにデータがあっても何だか満たされない感じがするのではなかろうか。特にジャケットや歌詞カードがないのはわりと致命的だと思う。優れたアートワークはその作品の一部だからだ。
ジャケットの素晴らしい作品は古今東西、枚挙に暇がない。グラフィックの優れたものだけを取り上げても、それを紹介するコラムがシリーズ化できるほどだろう。そのギミックが超有名なものだけを挙げるとすると、『Sticky Fingers』(The Rolling Stones)と『The Velvet Underground and Nico』(The Velvet Underground)辺りだろうか。前者のジャケットには本物のジッパーが取り付けられており、それを開くとブリーフを履いた男の写真が出てくるという仕掛けがあった。バナナの絵が描かれた後者は、端に“Peel Slowly and See(ゆっくりはがして見ろ)”と書かれていて、初盤ではそれをはがすとバナナの果肉が現れた。これらはLP盤のあのサイズがあったからこその仕掛けであっただろうし、いずれも彼らと同時代を生きたポップアートを代表する画家、アンディ・ウォーホルが手がけたものであるからして、まさに芸術作品であった。さて、随分と前置きが長くなったが、邦楽においても優れたジャケットの作品は多々ある。その中から代表的なものを挙げるとすると、あがた森魚の『乙女の儚夢』を推す人は少なくないのではないだろうか。もしかすると、最も芸術性の高い邦楽アルバムと言う人がいるかもしれない。
『乙女の儚夢』は1972年発売。ジャケットの美術を手掛けたのは林静一氏だ。『乙女の儚夢』収録曲でもある「赤色エレジー」、そのモチーフとなった劇画の作者である。ロッテのキャンディー“小梅”のパッケージ・イラストを手掛けた人と言ったら、ピンとくる人も多いと思う。そのジャケットは見開き(観音開き)仕様。“乙女の儚夢~花鳥風月號”というリーフレットが同封されており、そこには収録曲の歌詞や解説、制作スタッフのクレジットの他、M5「女の友情」の同名小説にまつわる記事、林静一氏による書下ろし漫画『大道芸人』、本作の演奏を務めた蜂蜜麺麯(はちみつぱい:鈴木慶一、渡辺勝、本田信介、和田博巳 ※註:“蜂蜜麺麭”、あるいは“蜂蜜ぱい”とも名乗っていたこともある)の紹介、さらには『乙女の儚夢』の生まれた経緯、背景、制作意図をあがた森魚自身が書いたあとがきなどが掲載されていた。彼は音源のみならず、そのパッケージや同梱物を含めて、トータルで作品を提示したのである。ちなみに、あがた森魚はメジャーデビュー前、自主制作でシングル「赤色エレジー」を発表しているが、これまた林静一氏の書き下ろしの絵本付きのレコード盤を“うた絵本”というかたちでリリースしている。聴覚だけでなく、視覚、あるいは触覚までも使って作品を感じ取ってほしかったと思われる。あがた森魚という人はもともとそうしたマルチな展開を好むアーティストなのだろう。彼がのちに文筆、俳優の他、映画監督を務めることになったのも当然だったのかもしれない。

大正~昭和初期に焦点を当てた世界観

ここからは話を音源『乙女の儚夢』に絞る。肝心な音源そのものが大したことがなければ、いくらアートワークが素晴らしくとも、さすがに名盤と呼ばれるまでにはならない。音源もその周辺も素晴らしいからこそ、『乙女の儚夢』は歴史に名を残す作品になったことは間違いない。本作は所謂コンセプトアルバムであり、ずばり大正~昭和初期にフォーカスを当てている。M1「乙女の儚夢」、M10「赤色エレジー」、M13「清怨夜曲」で聴けるメロディー、歌詞、サウンドは、まさしくコンセプト通り。七五調特有の抑揚をそのままに歌にして、アコーディオンやバイオリン、ピアノの音色、ワルツやタンゴのリズムで悲哀を浮き立たせている。さらには、讃美歌的なM3「薔薇瑠璃学園」、ウエスタンを彷彿させるアコギの響きが鳴るM4「雨傘」、ブルージーなM8「電気ブラン」など、バラエティー豊かな楽曲が並ぶ。前半(LPで言うA面)で強烈な印象を残すのはM5「女の友情」だろう。この曲は昭和9年に発売された同名映画の主題歌で、原曲は松島詩子という歌手が歌っている。本作に収録されているのは、その昭和9年の原曲に合わせて、あがた森魚と遠藤賢司がデュエットしているという代物だ。昭和9年の原曲のカラオケに合わせて…ではない。松島詩子の歌が入った音源をバックにあがた、遠藤両名が歌っているのだ。この大胆さも特筆すべきだと思うし、インタールード的なM2「春の調べ」、M6「大道芸人」、M7「曲馬団小屋」と併せて、作品全体に独特のインパクトを与えている。

歌声とバンドサウンドの素晴らしさ

アートワークやコンセプト以外、すなわち音源で聴かせるあがた森魚のパフォーマー、ミュージシャンとしてのポテンシャルも『乙女の儚夢』の見逃せないところだ。何と言っても特徴的なのは、あのか細い歌声である。“女性っぽい”という言い方は昨今のジェンダー的観点からはどうかと思うが、『乙女の儚夢』の作品性にはぴったり合っていると思う。M1「乙女の儚夢」、M3「薔薇瑠璃学園」、M10「赤色エレジー」は、あの声があってこそ成立してる。また、M4「雨傘」やM11「君はハートのクィーンだよ」はおそらく男性視点で綴られた歌詞であろうが、か細い歌声であるからこそ、その世界観がふくよかになっていると思う。これらの楽曲が雄々しい声で歌われるのはちょっと想像できない。バンドアンサンブルも見逃せない。これは1970年からあがた森魚と活動をともにしていたはちみつぱいの手腕も大きい。チンドンと北欧民謡をミックスしたかのようなM6「大道芸人」、バイオリンやブラスが加わって軽快なフォークソングを余計にポップに仕上げたM11「君はハートのクィーンだよ」もいいが、白眉はM3「薔薇瑠璃学園」とM13「清怨夜曲」だろう。先ほど述べたように前者は讃美歌的、後者は大正~昭和初期の雰囲気をまとったナンバーだが、ともに後半はバンドサウンドが密集していく。その様子がグルービーで実にいい。フォークシンガー的な括りで語られがちなあがた森魚であるが、そのサウンドは完全にロックである。まぁ、彼は1981年にA児と名乗ってニューウェイブバンド、ヴァージンVSを結成、さらには1990年には雷蔵というバンドを結成してワールドミュージックをやるわけで、師匠と崇めるボブ・ディランがそうであるように、フォークだ、ロックだという括りで語られる人ではない。初期作品にしてそれが表れている。人に言わせると“デビュー作には全てがある”らしいが、その意味でも『乙女の儚夢』はあがた森魚を代表する一枚である。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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