ロックバンド、ユニコーンが到達した
最高峰アルバム『ケダモノの嵐』

80年代後半からのバンドブームにおける最重要バンド、ユニコーン。メンバー全員が曲を書き、ヴォーカルも務めるという日本では珍しいスタイルで、ビートルズを始めとする洋楽へのオマージュを隠すことなく自らのサウンドを作り上げ、コアな音楽ファンをも唸らせた日本屈指のバンドである。その作品は再結成以降のアルバムも含めて傑作揃いだが、彼らの最高傑作として推したいのが4thアルバム『ケダモノの嵐』。90年代のみならず、邦楽ロックの傑作のひとつとして是非一度は聴いてほしい名盤だ。

見事だった突然の復活劇

2009年にユニコーンが再結成した時、これまた活動休止からの復活経験がある某バンドのリーダーが、そのユニコーンの振舞いに舌を巻いていたことを思い出す。「それまで噂すらなかったのに突然、新曲リリースを発表。しかも、ヴォーカルは阿部さん。ああいうやり方はウチらにはできない。完全にやられた」とかなり羨望の眼差しで語っていた。確かに通常バンドの復活時には少なからずエクスキューズが必要なところはある。例えば、結成○周年とかデビュー○周年といった節目であったり、大規模なチャリティー目的であったり、あるいはメンバーや関係者の訃報に際して…といった具合で、そこまで何もなかったかのように「活動再開しました!」というケースは稀だ。というか、そんな例はユニコーンしか知らない。確かに、もしユニコーンが結成20周年だった2006年辺りにスポーツ新聞のスクープとかで再結成をすっぱ抜かれていたら、それはそれでユニコーンらしくなかった気もするし、むしろそういった掴みどころのなさというか、どこか人を食ったような感じこそがユニコーンっぽさとも言える。

3rd『服部』での覚醒

そんなユニコーンも最初から掴みどころがなかったわけではない。デビュー作である1stアルバム『BOOM』ではヴォーカルは奥田民生(Vo&Gu)オンリーだし、コンポーザーも民生がほとんど。「Maybe Blue」や「Pink Prisoner」で聴かせるメロディーセンスはさすがだが、全体的には真面目なビートバンドといった印象である。また、阿部義晴(key、現:ABEDON)加入後の2ndアルバム『PANIC ATTACK』は後の片鱗をうかがわせるナンバーもあるものの、(これは後付け的な物言いになるが)いかにも過渡期であることは否めない。民生とEBI(Ba)を前面に出したジャケットからはスタッフサイドがセールスプロモーションに苦心している様子もその印象を後押しする。誤解を恐れずに言えば、まだアイドルバンドっぽいのである。やはりユニコーンの覚醒は3rdアルバム『服部』からと見るのがよかろう。アルバム名が“服部”で、ジャケットが鳶職のおじさんの顔のアップ。これだけでも十分にふざけているが、1曲目「ハッタリ」でのオーケストラによるインストはまだいいとして、2曲目「ジゴロ」では以下のような歌詞が綴られている。《俺はジゴロ とてもジゴロ/なびいた女は数知れず》《せびったベンツは数知れず》《不埒なこのテクニック 冷えない愛が欲しいぜ/でもまだまだベビーは欲しくない》。しかもこれを歌っているのはメンバーではない。当時10歳だったという、かわいらしい子供(ヴォーカル名は“ペーター”とある)による歌唱である。冒頭からやりたい放題なのである。11曲目「人生は上々だ」は、歌詞は引用掲載しないが、“ボーイズ・ラブ”を通り越して、“「ウホッ!! いい男」系”(伝わるか?)といった内容。それらを交えながら、重厚感のある3曲目「服部」、ポップで疾走感のある4曲目「おかしな2人」、名バラード10曲目「デーゲーム(服部仕様)」、そしてバンドの代表曲13曲目「大迷惑」と、サウンド、メロディー、歌詞全てにおいて、極めてバラエティー豊かな楽曲が並んでいる。このやりたい放題はむしろ吉と出た。前作からのさらなる音楽的深化を多くのリスナーが歓迎し、このアルバムはチャート3位というそれまでの最高位を記録。ユニコーンは大ブレイクを果たし、折からのバンドブームにおいてその頂点に立った。

濃密なユニコーン・サウンドの完成

『服部』の成功を受けて、その何でもアリの方向性に確信を得た彼らは、次作でさらなる高みを目指した。それが4thアルバム『ケダモノの嵐』である。このアルバム、ひと言で言うなら“濃密”だ。サウンドの派手さ、キャッチーさで言えば『服部』に軍配が上がるかもしれないが、表現手段が濃厚であり、緻密に構成されているのは『ケダモノの嵐』のほうだと思う。全14曲収録と決して少ない曲数ではないが冗長には感じられず、かと言って、淡泊ではない。収録時間は47分弱だが、聴き終わった感じはそんな短く感じない。その辺が絶妙である。ファンキーなM4「ケダモノの嵐」やロックンロールナンバーM14「スターな男」でのストレートなバンドサウンドはもちろんのこと、キーボードでの弾き語りM12「夜明け前」、M1「命果てるまで〜第三の男〜命果てるまで」やM5「エレジー」で見せる引き算的な抑制されたアレンジ、サイケデリックロックへの確かなリスペクトを感じさせるM6「自転車泥棒」やM11「いかんともしがたい男」、サウンドコラージュ的なM9「スライム プリーズ」、M10「CSA」ではデスメタルと、アイディアのてんこ盛り状態。しかしながら、決して散漫になっていないのは、各パートの演奏の巧みさは当然のことながら、ミックスダウン、マスタリング、あるいは曲順、1曲辺りの収録時間に至るまで計算され尽くしたからではないかと思う。こう言うと簡単だが、所謂バンドマジックの成せる技であろう。阿部作曲のナンバーが増え、必然的に民生楽曲の比率が低くなったこと。川西幸一(Dr)、手島いさむ(Gu)のヴォーカル曲M3「ロック幸せ」が収録されたことで、メンバー全員がヴォーカルを務めていること。この2点が前作『服部』との違いだが、ここからも想像できるように、この時期、バンドはそれまで以上の一丸感を欲していたと思われ、それが万事いい方向に出たと思われる。

時代を映し出したリリック

この『ケダモノの嵐』はユニコーン初のチャート1位を記録したばかりか、第32回日本レコード大賞ベストアルバム賞・アルバム大賞を受賞。さらにはミュージックマガジン誌上で日本のロックアルバムで年間ベストにも選ばれるなど、各方面から高い評価を得た。当時は“ふざけた内容”と揶揄されることも少なくなかった歌詞も、四半世紀を経た今となると時代を反映していて実に味わい深い。“ゆきずりの恋愛”を描いたM1「命果てるまで〜第三の男〜命果てるまで」や、言わば“結婚残酷物語”のM2「フーガ」には当時の恋愛事情の一端を垣間見ることができるし、M11「いかんともしがたい男」とM13「働く男」からはバブル崩壊後の日本経済の実情、M5「エレジー」はその数年前に日本を震撼させた“連続幼女誘拐殺人事件”を連想させるなど、90年前後の空気を切り取っている。また、《振り返るな 振り返ると終わり/この世はそんなもの/ようこそここへ悲しきロックン・ロール/今夜もきめる濡れ手に粟の素敵なお仕事》と歌われるM14「スターな男」は、音楽エンタテインメントがいにしえの絵空事のような世界ではないことを描いた脱構築であることも見逃せない。これがラストというのは凄まじい切れ味であり、極めてロック的だったと言える。
この『ケダモノの嵐』は3ヶ月連続アルバムリリースの第一弾であり、以後、第二弾『おどる亀ヤプシ』、第三弾『ハヴァナイスデー』という2枚の企画ものミニアルバムをリリース。その翌年には『ヒゲとボイン』、そして1993年に『SPRINGMAN』を発表するが、その制作中にリーダーの川西幸一が脱退し、同年にユニコーンは解散を表明する。復活後に民生がさまざまなインタビューで語ったところを要約すると、各自が持ち寄ったデモテープをもとにメンバー全員が意見を出し合って楽曲を作り上げるのがユニコーンのスタイルだったのだが、どうやら『ヒゲとボイン』以降は各自「自分の意見を通したい」という意識が強くなり、バンドのスタイルが瓦解してしまったらしい。全員が曲を書けることが結果的に仇になったとも言える。一時期は、再結成は望むべきもないとの予測もあったが、冒頭で述べた通り、その掴みどころのなかったキャラクターも手伝ってか、2009年に意表をついて復活。これまた復活後のメンバーの声を要約すると、現在の楽曲制作のスタイルは『ケダモノの嵐』当時に近いものになっているそうだ。年齢的に考えると活動のペースは落ち着いたものになるだろうが、ユニコーンがバンド本来の姿を取り戻したことはファンならずとも歓迎すべきことだろう。今後の創作活動、ライヴステージにも大いに期待したい。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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