BOW WOWのデビュー作『吼えろ!BOWW
OW』は洋楽と真っ向勝負できる初の国
産HR

“バウ・ワウ”と言うと犬の鳴き声以前に、今は米ラッパーを連想する人もいるようだが、往年のギターキッズなら、これはもう「山本恭司!」と即答だろう。日本のロックの黎明期、我が国のバンド…しかもハードロックバンドがとても洋楽に対抗できるなんて思えなかった当時、シーンに現れたBOW WOWはロック通をうならせた超実力派バンドである。

洋楽との壁をぶち破る

最近のその筆頭と言えばBABYMETALだろうが、DIR EN GREY、ONE OK ROCKら海外で活躍する日本のバンドも珍しくなくなってきた。布袋寅泰、高崎晃(LOUDNESS)、松本孝弘(B’z)、MIYAVIら、世界に通用する日本人ギタリストも少なくない。しかし、1970年代前半までは「そもそも日本人にロックは無理」といった暗黙の了解的ネガティブ論も根強かったと聞く。敗戦からまだ30年程度しか経ってない状況では西洋コンプレックスも無理からぬことだったろうが、その頃からはっぴいえんどを始め、ジャックス、フラワー・トラヴェリン・バンド等、それを払拭するかのアーティストが現れ始めた。76年にデビューしたBOW WOWは明確に、そして衝撃的に洋楽との壁をぶち破ったバンドだろう。音楽評論家の渋谷陽一氏が自らパーソナリティーを務めていたラジオ番組でBOW WOWのデビュー前にM1「Heart's On Fire」をかけ、曲が終わってからこの楽曲が日本のバンドであると明かしたというエピソードは有名である。渋谷氏は『吼えろ!BOWWOW』のライナーノーツも手掛けており、レコードの帯には以下の文章が掲載されている。「バウワウの登場は、ひとつの事件である。ハード・ロックが日本のグループによって完璧に演奏され…その音が日本の曖昧な音楽シーンを切裂く、それが僕の夢だった。しかし、それは彼等の登場によって夢でなくなってしまったようだ」。プロモーションの一環だったとは言え、渋谷氏も歓喜を隠し切れなかったことが分かる。

特筆すべき山本恭司のギター

それほどBOW WOWのスキルは卓越していた。特に山本恭司(Gu&Vo)のギターだ。もともとBOW WOWのプロデューサーは当時大人気だったベイ・シティ・ローラーズのようなアイドル風バンドを、これまたモンキーズ風にメンバーを選抜して結成させる予定だったそうである。しかし、山本がオーディションに合格したことで、本格志向が強まっていったのだという。つまり、山本恭司の登場がBOW WOWの誕生を決定付けたのだ。前述の通り、今や海外勢に引けを取らない、洋楽と真っ向勝負できるギタリストも多い昨今。「いやいや、そうは言っても昭和50年の話でしょ? 今の最前線のアーティストとは比較にならないのでは?」と思われる人がいるかもしれない。舐めてもらっては困る。何がすごいって、山本恭司は1956年生まれ。そう、デビュー時、若干19歳だったのである。若くてバカテクなことだけを褒め称えたいのではない。速弾きできる若者なら当時も他にいたであろう(まぁ、山本の速弾きも相当なものなので、これをまったく否定するわけではない)。山本のギターの素晴らしさはそのフィーリングだ。細かく音符を追うだけでなく、艶っぽい音色を響かせるのである。その点で、『吼えろ!BOWWOW』のギターは今聴いても驚異的ですらある。

聴きどころ満載のデビュー盤

日本のバンドであることを告げずに初オンエアされた、山本曰く「デビュー曲とも言える曲」というM1「Heart's On Fire」。イントロからAメロにかけての「ハイウェイスター」的アプローチ、サビでのプログレ的な転調も聴き応えあるが、圧巻はやはりソロパートだろう。全編を支配する速弾きも確かに素晴らしいが、ソロ後半のブルージーなタッチは妙齢なミュージシャンのプレイを思わせる流麗さだ。いずれもポップなブギーM2「BROWN HOUSE」、M3「FOXY LADY」は、それこそアイドルバンド構想の名残か、全体のトーンとしては歌謡曲テイストがあることは否めないが、「BROWN HOUSE」ではテンポアップするアウトロのツインギターや、「FOXY LADY」のソロでは楽曲全体のファニーテイストにニュアンスを加えているのも聴き逃せない。疾走感あるM4「VOLUME ON」、R&RナンバーのM8「THEME OF BOW WOW」もカッコ良いリフは流石だし、ミディアムバラードのM7「WITHERED SUN」では歌に重なるブルージーな旋律は実に艶めかしい。インストナンバー、M5「A LIFE IN THE DARK」で使われるテンションノートは後のビジュアル系に影響を与えたと思われるなど(確証なし)、聴きどころは多彩だが、何と言ってもこのアルバム『吼えろ!BOWWOW』は、10分近くに及ぶ大作M6「JAMES IN MY CASKET」に止めを刺すであろう。

脅威の一発録り

フィードバックノイズを強調したディストーションエフェクト。ザクザクと刻むワイルドなリフ。タイトルや歌詞以上にそのギターサウンドが何よりも雄弁に語っている通り、ジミ・ヘンドリックスへオマージュを捧げた楽曲である。この楽曲のすごさは、歌ではなく、ギターを前面に出したことだろう。アルバムの中心で、しかも10分近い収録時間というのは当時としては極めて稀なことだったに違いない。だが、この楽曲は、今聴いてもそれが大正解だったことを納得させられる素晴らしいテイクだ。全体的な鳴きのギターは言うまでもないが、3分を過ぎた頃からのメロディアスなパートの何と色っぽいことか! また、6分頃からの速弾きのスリリングさたるや…耳から絶頂感を得られること間違いなしである。最も恐ろしいのは、これはどうやら一発録りであるということだ(確証に至るまで調べられなかったが、当時はもちろんPro Toolsなどない頃で、基本は一発録りであったであろうから、これは真実だろう)。もう一度言うが、弾いているのは御年19歳の少年である。素直に敬意を払いたい。山本恭司ばかり絶賛してしまったが、天才の音をバックアップする形の斉藤光浩(Gu&Vo)、佐野賢二(Ba)、新美俊宏(Dr)という他のメンバーの演奏も見事なものである。これも未確認情報であるが、斉藤、新美は前バンドのDO.T.DOLLでのレコーディングでは演奏しておらず、所謂スタジオミュージシャンが影武者をしていたそうだ。それが真実だとすると、その間の1〜2年で急激に腕を上げたことになる。とりわけ『吼えろ!BOWWOW』でのツインギターの絡みは緊張感のあるものが多く、これもまた聴きどころだ。
その後、BOW WOWは77年にエアロスミスやキッスの来日公演でオープニングアクトを務めるなど、まさに日本を代表するハードロックバンドとして君臨。82年には、これまた傑作との呼び声高い9thアルバム『WARNING FROM STARDUST』を発表後にはハノイ・ロックスと共に英国ツアーを決行するが、斎藤の脱退で解散となった。しかし、翌84年初頭、5人編成となり、VOW WOWとバンド名を変えて復活するも、これも90年に活動停止。以後は、新生BOW WOWを挟んで、98年に山本、斎藤、新美の布陣で再結成したり、09年、10年にも再びステージに立ったり、何度も離合集散しているので今後も何らかのアクションがあるかもしれない。まぁ、こればかりはメンバーの胸下三寸であろうが、当時を知らない音楽ファンにぜひともその雄姿を観てもらいたいバンドではある。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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