チューリップ
『TAKE OFF(離陸)』に見る
“和製The Beatles”っぷりと
日本的情緒

『TAKE OFF(離陸)』('74)/チューリップ

『TAKE OFF(離陸)』('74)/チューリップ

結成は1970年。自主制作、今で言うインディーズで最初のシングル「柱時計が10時半」を発売したのち、福岡から上京して、メジャーデビュー作「私の小さな人生」をリリースしたのが、その翌年の1971年である。つまり、チューリップは今年デビュー50周年を迎えたことになる。コロナ禍もあって、かつて口にしていたメモリアルコンサートの開催はままならないようだが、多くのヒット曲を世に送り出し、後世に与えた影響も大きいレジェンドバンド。節目の年であるからこそ、今、彼らの偉大さを称えたい。

The Beatlesの影響

チューリップがメジャーデビューした1971年にはまだ物心もついてなかった筆者なので、「心の旅」から始まって、「青春の影」、「サボテンの花」、「虹とスニーカーの頃」辺りが彼らの代表曲であることはさすがに知ってるけれども、どれもリアルタイムで聴いたわけではなく(多分「虹とスニーカーの頃」がギリ)、オリジナルよりも他者がカバーした曲をよく聴いた感じで、「心の旅」は有頂天版、「青春の影」はLUNKHEAD版のほうを愛聴していた。よって、チューリップが和製The Beatlesだとか、財津和夫(Vo&Gu)が和製Paul McCartneyと言われても、ピンとこないのが正直なところだ。The Beatles好きの某バンドのリーダーがあまりにもThe Beatlesが好きすぎて“The Beatlesを研究する過程でチューリップまで聴いた”という話は聞いていたが、それこそ上記の代表曲くらいしか知らないので、そう言われても、これまたピンとこなかったことを白状しておこう。

だから、これもまた包み隠さずに告白すると、今回初めて『TAKE OFF(離陸)』を拝聴したのだが、The Beatlesも詳しくない自分でも、これは確かに和製The Beatlesであると認識した。もっと言えば、チューリップがこんなにもThe Beatlesの影響下にあるバンドだとは思わなかった。Wikipediaに本作の解説として[『心の旅』のヒットによりブレイクを果たしたあとに発表した最初のアルバムである。(中略)アイドル的な人気を得た一方で、ビートルズのような音楽を作りたいという変わらない思いを表現すべく制作された]とある([]はWikipediaからの引用)。引用元がはっきりしないので、それがメンバーの偽らざる気持ちだったかどうかは定かではないが、生粋なファンのみなさんにとっては改めて言うまでもない、定説の如きものになっているようだ。

また、ソウル・フラワー・ユニオンのTwitterでこんな記述も見つけた。【同時期シングル群を外し、“アルバム”に拘った極上3rd。財津の「青春の影」「セプテンバー」、姫野&安部の「明日の風」、B面後半のメドレー等、各メンバーが名品を書き下ろし、後期ビートルズ的な編曲作法を自分たちのものにしている。バンド絶頂期の最高傑作】(【】はソウル・フラワー・ユニオンのTwitter公式アカウントからの引用)。これはおそらく中川 敬のツイートだろうが、自他ともにその音楽的雑食性を認める彼の見立てであるとすると説得力があるし、チューリップがThe Beatlesの影響下にありながらも、その単なるフォロワーに留まらない裏づけでもあるように思う。

調べてみたら、ソウル・フラワー・ユニオンの中川 敬の他、カーネーションの直枝政広も『TAKE OFF(離陸)』を高く評価しているらしい。チューリップがミュージシャンズミュージシャンから支持されていることを知り、そんな人たちが評価しているアルバムを、さっき初めて本作を聴いた程度の筆者如きが語ってはマズいのではないかと正直ビクつきつつも、ビギナーならではの視点もある意味では大切だろうと開き直って、以下、『TAKE OFF(離陸)』の解説を試みたい。

ここまで言い訳めいたことをグダグダと述べたが、デビュー時のチューリップに対する評価と、彼らがのちの音楽シーンに与えた影響も若干分かっていただけるのではないかと思う(しかし、チューリップ、カーネーション、ソウル・フラワー・ユニオンと、ここまで紹介したバンドはいずれもその名に花があるのは何か因果関係があるのだろうか)。

OKMusic編集部

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