早川義夫の『かっこいいことは
なんてかっこ悪いんだろう』に
秘められた煮えたぎる情念を聴け!

『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』(’69)/早川義夫
浅川マキの姿勢
ブルース、ジャズ、ゴスペルなどの黒人音楽に影響されたその音楽は、彼女の歌を聴いたことがある人なら分かってもらえると思うが、黒人音楽の精神を浅川マキというアーティストによって換骨奪胎したものである。ある時はジャズ歌手、ある時は演歌歌手やポピュラー歌手といった具合に、さまざまなスタイルで歌っていたが、いつも浅川マキというオルタナティブな個性をちゃんと主張していた。彼女は「時代に合わせて呼吸をするつもりはない」と語っているが、文字通り彼女の音楽は流行り廃りとは無縁であったと言えるだろう。
流行に乗り遅れてしまうような方に
捧げる
だいぶ前に、このコーナーでジャックスの作品を取り上げたが、その時僕は
〜ジャックスのリーダー早川義夫は時代や流行に媚びることなく、自らの心の声に耳を傾け、人間の懊悩や煩悶を歌で表現した天才だ。天才によって生み出された奇妙なこの作品は、演奏技術が高いとか歌が上手いとか、そういうレベルにはなく、聴く者全てを圧倒し戦慄させる「異形」としか言いようのない名盤である。〜と書いた。我ながら言い得て妙である。この文章は今回取り上げる早川義夫のソロデビュー作『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』にもぴったり当てはまる。早川の作る楽曲は陰鬱な雰囲気が立ち込めていて、重くて切ない。しかし、リスナー側に聴く気があるなら、彼の言いたいことはちゃんと伝わるはずだ。
URCレコードの設立
本作『かっこいいことは
なんてかっこ悪いんだろう』について
昭和に青春時代を送った世代は、ジーンズ、サーフィン等に代表されるアメリカ西海岸の明るく健康的な部分に惹かれた人が多い。音楽でもフォークロックやカントリーロックみたいな乾いたサウンドに人気があった。これってたぶん、若い時には梅雨に代表されるような日本的じめじめ感(あくまでも昭和世代の話だ)に嫌悪感を持っていたのだと思う。藤圭子の怨歌やムード歌謡も大嫌いだった、そういう時代。それが昭和というか戦後を少しだけ引きずった世代の特徴かもしれない。そんな僕の世代も年を食うと、そのじめじめ感や藤圭子やムード歌謡が魂に訴えかける存在となる。それは、それらが日本人のアイデンティティーとして、各人の根っこに確実に存在するからである。アイデンティティーとして存在するからこそ、心の内を見透かされるようで嫌悪したわけだし、素直になれば、そのじめじめ感が自らのルーツなのだということを納得せざるを得ないのである。
本作では全編を通して、ほぼ弾き語りで人間の持つ閉塞感を赤裸々に語っている。まるで、呪いの言葉を陰鬱な調子で唱えているようにも聴こえるが、聴くたびに彼の孤独の叫びが切々と伝わり、人間臭いドキュメンタリー作品を観たような感動を覚えるのである。音数は極端に少なく、スカスカでも間を詰めずに音作りをするのは勇気がいることである。20歳を過ぎたばかりの若者に、こういう鄙びたサウンドメイキングができるのは、URCでディレクターをしていたから彼の耳が肥えていたのだと思う。
本作中、最もよく知られたナンバー「サルビアの花」はさまざまなアーティストがカバーしているので、YouTubeなどで聴き比べてみると、いかに早川の表現が突出していたか理解してもらえると思う。とにかく、本作『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』を聴いたことがなければ、ぜひ聴いてみてください。きっと新しい発見があると思うよ。
TEXT:河崎直人