『m.c.A・T』は
日本ヒップホップシーンを加速させた
音楽史上での重要作であると思う

『m.c.A・T』('94)/m.c.A・T
1993年のヒップホップシーン
1994年はヒップホップが確かに邦楽シーンに切り込んだ年と言っても過言ではなかろう。ふたつの大ヒット曲が生まれている、まず、この年の3月にリリースされた小沢健二とスチャダラパーによる「今夜はブギー・バック」である。スチャダラパーは1990年に『スチャダラ大作戦』でデビューしており、独特のラップのスタイルは一定の評価を獲得していたが、同曲のヒットで一気に知名度を一般層にも広げた。小沢健二 featuring スチャダラパーによる“nice vocal”、スチャダラパー featuring 小沢健二による“smooth rap”というふたつのバージョンを同時発売することで、ヒップホップのスタイルを示したことも大きな功績だったように思う。
そして、1994年8月にはEAST END×YURIの1st「DA.YO.NE」が発売された。ジワジワと売上を伸ばし、翌年には100万枚を突破。日本のヒップホップで初のミリオンヒットとなったのは同曲である。ちなみに今知ったのだが、[「英語以外のラップによるCD売上記録」としてギネスブックに掲載された]というから、「DA.YO.NE」は日本ヒットの革命的ブレイクスルーだったと言ってもいいのかもしれない([]はWikipediaからの引用)。ヒップホップグループとして初めてNHK紅白歌合戦に出場したのもEAST END×YURIだった。もうひとつ、EAST END×YURIに続いてNHK紅白歌合戦に出たヒップホップグループはKICK THE CAN CREW(2002年)であった。その後、nobodyknows+(2004年)、SEAMO(2006年)、FUNKY MONKEY BΛBY'S(2009年)と、紅白でのヒップホップ勢も珍しくなくなったけれど、前述したFUNKY GRAMMAR UNITがその先駆けであったことは面白い。当時の当時の勢いを感じるところでもある。
というわけで、話をm.c.A・Tへと移す。1993年11月発売の「Bomb A Head!」がいきなりヒット。チャート27位というのはデビュー曲としてはかなりのものだし、15万枚以上を売り上げたというのも十分に立派なものである。言うまでもなく、「今夜はブギー・バック」よりも「DA.YO.NE」よりも早い。それらに先鞭を着けた…と断定していいかどうかは微妙だが、メインストリームに分け入ったヒップホップ、ラップミュージックの先駆けであったことは間違いない。ちなみに、それ以前にラップを取り入れてヒットしたポップソングというと、山田邦子「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)」(1981年)、吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」(1984年)が有名だが、山田はお笑い芸人、吉はシンガーソングライター。少なくとも本人たちはヒップホップを標榜していたわけではなかった。そう考えると、自身がヒップホップアーティストであることを自覚し、意識的に制作したラップミュージックをヒットさせたのは、日本ではm.c.A・Tが最初と言えるのかもしれない。(※吉幾三は当時のアメリカのレコードでラップを知って「俺ら東京さ行ぐだ」の着想を得たという話もあるし、2019年には津軽弁でのラップを行なった「TSUGARU」を発表しているが、1984年に自身がヒップホップアーティストであることを意識していなかっただろう)。