吉田美奈子の名作中の名作
『FLAPPER』は
日本が誇る世界に誇るべき
有形文化遺産だ
先入観なく聴くのがベター
そう推す理由はこれから述べていくが、もし、これまでRCAレーベル期の吉田美奈子作品を聴いたことがないという人がいるのであれば、可能ならまずは何の予備知識もないまま、これらのアルバムを聴いてみてほしい。先にクレジットを見てしまうと、そこに何らかしらのバイアスがかかると思うからである。もちろん、優れた小説や映画は先にあらすじが分かったとしてもその本質が損なわれることがないのと同様に、作品概要が分かる/分からないで音が変わるわけでなないけれども、ネタバレがないほうがより感動が味わえることは言うまでもなかろう。できれば予断を持たずに聴いていただきたい。つまり、上記作品未体験の人は、以下も読まないでほしい…ということになる。
“じゃあ、読まねぇよ!”と唾棄されても困るので若干補足すると──。『MINAKO』(1975年)は彼女の2ndアルバムで、1stが全て自作の曲であったのに対して、他アーティストからのカバー曲や提供曲で構成され、それまでも高評価を受けていたシンガーとしての資質を押し出したと言われる作品。『MINAKO II』(1975年)は1975年11月の東京・中野サンプラザでの模様を収録したライヴアルバムである。『FLAPPER』(1976年)は『MINAKO』のスタイルをさらに推し進めた結果、バラエティなポップアルバムに仕上がっている印象。そして、全曲自作に回帰した『Twilight Zone』(1977年)は、『MINAKO』『FLAPPER』を経て、シンガーシングライターとして自身のポジションを確立したと言われるアルバムと──ざっくり語るとそういう感じである。本稿ではその中から名盤の誉れ高い『FLAPPER』を解説していくが、できれば上記作品をリリース順に聴いていくのがいいと思う。彼女がステップアップしていく様子──シンガーがアーティストへと成長を遂げていく過程がよく分かる。それでは、以下、ネタバレ全開の解説である。本当にまったく予備知識を入れたくないという方はここで一旦読むのを止めて、上記4作品を聴いてから再開していただきたい。
参加ミュージシャンの顔触れは…
オープニングM1「愛は彼方」からそれがはっきりと感じられる。松木恒秀のギターのカッティングを始め楽器隊ももちろんいいけれども、コーラスの只者ではない感じは一聴しただけでも分かるはず。《High Way》《One Way》《Head Light》《Center Line》の箇所だ。ここを歌っているのは大貫妙子&山下達郎である。シュガー・ベイブのヴォーカリストがバックコーラスを務めているわけで、悪いことがあろうはずもない。軽快なポップチューンをさらに弾けるように仕上げているのは、このコーラスの役割は決して少なくないと思う。どう聴いても耳を惹く。その「愛は彼方」を筆頭に、収録曲の全てでそのバンドアンサンブルを支えているのはティン・パン・アレー。楽曲によってはパートが他のミュージシャンに換わったりもしているが、基本は細野晴臣(Ba)、鈴木 茂(Gu)、松任谷正隆(Key)、佐藤 博(Key)、林 立夫(Dr)である。そこに、前述の松木恒秀の他、村上秀一(Dr)や矢野顕子(Key)が加わるのである。これもまた悪いわけがない。どれもこれも素晴らしい演奏であり、サウンドメイキングなのである。その中で個人的に気になるいくつかを以下に記そうと思うが、先ほど“できれば予断を持たずに聴いていただきたい”と言ったのはこの辺である。今や大御所と言われるミュージシャンが大挙して参加しているだけに、真っ先にそこへ耳が行ってしまうと、“木を見て森を見ず”ではないが、そこだけにとらわれることになってしまわないかという危惧が若干ある。ちゃんと聴いてもらえればそんなこともないと思うのだけれども(その辺りも後述する)、RCAレーベル期の吉田美奈子作品の解説はどれもこれも枕詞のように件のアーティストの名前が並んでいる。それは事実だし、だからこそ、本作を含めた作品群が傑作となり、吉田美奈子のアイデンティティーが確立されたことは間違いない。だが、“大御所が参加しているから傑作”ではなく、“傑作を作り上げた人たちだから、のちに大御所と言われるようになった”というのが正しようにと思う。何よりも先ほども述べた通り、予断を持たずに聴いたほうが楽しいし、そっちのほうが新鮮な驚きがある。回りくどい話になったが、そんなわけでこんな書き方をしてしまった。どうかご容赦を。
さて、どれもこれも秀逸な収録曲の中で、個人的に“これは外せないだろう”と思うものを挙げるとすると、まずM3「朝は君に」だろう。前作『MINAKO』に引き続き…というよりも、この時期のこの界隈のシーンでよく見られたイントロのキラキラしたエレピから始まって、開放感のあるメロディーとさわやかなサウンドとがグイグイとグルーブを増していく様子は、ほとんど恍惚感を与えられているようなものである。楽曲自体、俗に言う“和製メロウ”と呼ばれるものであろうが、間奏以降は、完全に歌ものを超越しているかのような素晴らしいアンサンブル。とりわけギターは特筆ものだ。アウトロでのブルースフィーリングあふれるプレイは形容し難い迫力で、これはほんと、聴くべき価値のあるテイクである。
恐るべきは、このM3「朝は君に」とM7「チョッカイ」とをほぼ同じメンバーが演奏しているという点であろう。「チョッカイ」はマイナー調のハードファンク。ブラスも入っているし、「朝は君に」とはサウンドのタイプがまったく異なるわけで、両曲を作曲した佐藤 博の確かなコンポーズセンスと(氏はキーボードも担当している)、高水健司と村上秀一とによるリズム隊は本当に素晴らしいとしか言いようがない。「チョッカイ」もまた“これは本当にヴォーカリストのアルバムなのか!?”と思ってしまうほどのテンションである。
この他、矢野顕子らしいピアノプレイが聴けるM2「かたおもい」。松任谷正隆の演奏が冴えるM4「ケッペキにいさん」。そして、のちに山下達郎が自身のソロ1st『CIRCUS TOWN』でセルフカバーしたM9「ラスト・ステップ」&M10「永遠に」も十二分に注目されるナンバーだが、『FLAPPER』というアルバムを語る上で、やはりM6「夢で逢えたら」は無視できないであろう。作者である大瀧詠一のセルフカバー以外にも、カバーした歌手名を挙げ始めたら枚挙に暇がないほどで、「夢で逢えたら」は和製ポップスを代表する一曲…いや、今となっては和製ポップスで最もスタンダードな一曲と言っていい名曲中の名曲だ。その初出が今作収録曲である。本人が“他者の書いた曲を自分のシングルにはしたくない”という理由からシングルカットされなかったとか、実は吉田美奈子自身はあまり好きではなかったのではないか…とか、いろいろと逸話もあるようだが、素晴らしいサウンドであることは疑いようがない。それこそ今となっては余計にそう感じるのだろうけど、メロディーもサウンドも、どう聴いても大瀧印。ここでもスペクターサウンドへのこだわりを見せており、何でもカスタネットだけで4人分を重ねているいうから、その取り組み方の熱量は相当のものであったことが偲ばれる。