邦楽ロック史の特異点、BOØWY。『J
UST A HERO』の充実っぷりは半端ない

解散からそろそろ30年が経とうというのに再結成話は尽きないし、彼らの残したコンテンツは未だコンスタントに売れ続けている、日本ロック史に比類なきモンスターバンド、BOØWY。オリジナルアルバムはいずれも名盤に挙げられるが、ニューウェイブを巧みに取り入れてオリジナルのロックを創り上げた『JUST A HERO』は、今聴いてもその後のブレイクを確信させる傑作である

 このバンドが存在しなければ現在の日本のロックシーンはなかった…ことはないだろうが、間違いなく、その様相は今とは異なるものになっていたに違いない。1986年12月の解散発表をNHKが速報したり、翌年4月に行なわれたLAST GIGのチケット争奪戦により電話回線がパンクしたりと(これも臨時ニュースで報じられていた)、ブレイク後の彼らを取り巻く状況は完全にエンターテインメントの域を超えていた。そんなバンドはBOØWY以前はもちろんのこと、以後も彼らに匹敵するような社会現象化したアーティストは存在しておらず、BOØWYは邦楽ロック史の特異点であり、その後のバンドブームにつながったことを考えると日本芸能史におけるパラダイムシフトでもあった。個人的に今も不思議に思うことは、テレビメディアでの露出が少なく(ブレイク後はほとんどテレビに出なかった)、彼らの情報を伝えるのは雑誌が中心だった当時─それにしても音専誌がそれほど多かったわけでもなかった中で、BOØWYという存在がどうして全国区になり、多くのリスナーを巻き込んでいったのだろうかという点だ。もしかすると自分が知らないだけでそこには制作サイドの用意周到な仕掛けがあったのかもしれないが、BOØWYに関して所謂マーケティング的な話は聞いたことがないし、仮にあったとしたらビジネス面から鑑みて、あの状況下での解散はなかったとも思う。今なおはっきりと語られていない解散の理由よりも、個人的にはBOØWYがブレイクした要因のほうがそそられるトピックではある。
 BOØWYが盛り上がりを見せつつあった頃、筆者は大学生で、その名前は知っていたものの、何となく彼らの音源を自ら手に取ることはなかった。ちゃんと聴いたのは帰省先で3つ歳下の弟から「今これがカッコ良い」と薦められたのがきっかけだった。弟はザ・スターリンのコピーバンドをやっていて、LAUGHIN’ NOSEやKENZI&THE TRIPS辺りも好んで聴いていたので、その時はBOØWYの音楽性うんぬんよりも、「こいつもパンク然としたものばかり聴くわけじゃないんだな」と思ったことのほうをよく覚えているが、「JUSTY」と「1994-LABEL OF COMPLEX」「ミス・ミステリー・レディ」辺りを聴かせてもらって、確かにこれはカッコ良いなと思った(ちなみに弟は「わがままジュリエット」や「WELCOME TO THE TWILIGHT」は聴かせなかったが、ミディアムチューンを薦めなかったのは今思えば少年パンクスの細やかな矜持だったのかもしれない)。そんな弟の紹介でBOØWYを知った私。東京に戻ってバイトに勤しむ最中、有線で流れてきたBOØWYナンバー(確か「JUSTY」だった気がする)を口ずさんでいたら、バイトの同僚から「あれ? BOØWY好きですか? 僕も好きなんです」なんて話しかけられた。彼は嬉しそうに「BOØWYならアレもいいし、コレもいいですよ」と薦めてくれて、それを機に自分は本格的にBOØWYを聴くようになった。俗にいう口コミである。自分の体験をして十全に語るのは乱暴だが、当時これに近い光景が全国各地で展開されていたのではないかと思う。ネットなどなかった80年代半ば、BOØWYが拡販されていった要因はそんなシンクロニシティ的現象としかなかったと筆者は考える(それにしても確信はなく、もしかすると、そこには高度なバイラルマーケティングがあったのかもしれない。その辺のことをご存知の読者の方がいらっしゃったらぜひご教授願いたい)。
 BOØWYのアルバムから1枚を挙げるのはこれもなかなか難しい。アルバム『BOØWY』から『PSYCHOPATH』まではいずれも傑作であるし、ライブアルバム『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』と『“LAST GIGS”』も素晴らしい作品である。絶対的な評価は極めて困難で、選ぶとしたらリスナーそれぞれの思い入れでしかないと思う。とはいえ、筆者もかなり迷った。だが、前述の通り、My 1st“BOØWY”だったという点で『JUST A HERO』を挙げたい。評価ポイントは─まずは何と言ってもメロディーのキャッチーさだろう。まぁ、BOØWYと言えば歌メロのキャッチーさなので、そんなことは何をか言わんやであろうが、全曲がこれほど良質なメロディーを待ったアルバムというのはやはりすごいと言わざるを得ない。さらに言えば、歌に絡み付くギターがこれまた全編キャッチーである。M5「JUSTY」、M8「ミス・ミステリー・レディ」、M10「LIKE A CHILD」辺りで響かせるリフは強烈に耳に残るし、M3『わがままジュリエット』のイントロとギターソロの美しい旋律は、この楽曲を名曲たらしめてる大きなファクターだろう。特筆すべきは、このキャッチーな歌とギターが相殺し合ってないところだ。どちらがリードするわけでもなく、互いに絡み合って昇華していくさまは、今聴いてもスリリングでとても素晴らしい。稀代のアーティスト、氷室京介布袋寅泰とが在籍したバンドであった事実を雄弁に語っている。
 耳朶にへばり付くような印象的なメロディーが全編を支配しているとはいえ、全体を通してくどくも脂っぽくもなっていないのは確かなアレンジ力によるところだろう。ジャングルビート気味なヘヴィなグルーブから始まるM1「DANCING IN THE PLEASURE LAND」、そこから一転タイトな電子ドラムで迫るM2「ROUGE OF GRAY」、オリエンタルなM5「JUST A HERO」、ファンキーなM7「1994 -LABEL OF COMPLEX-」と、もちろんBOØWYの代名詞であるビートロックも織り込みながら、このアルバムのサウンドは実にバラエティーに富んでいる。Roxy Music、Frankie Goes To Hollywood辺りからの影響は隠せないが、それも許容範囲というか、楽曲を聴き終わる頃にはそんな影響下にあったことを忘れてしまうような構成になっていることが心憎い。サウンドメイキングはニューウェイブの支配下にあることは疑いようがないが、当時、失敗している海外のニューウェイブバンドも少なくなかったなか、BOØWYはそのエッセンスを自らの音楽性に取り入れることに成功した稀有な例だったようにも思う。派手さだけでなく、地味ながらしっかりとした構築力も聴き逃せない。M2「ROUGE OF GRAY」のサビに重なる細かなアルペジオだったり、M11「WELCOME TO THE TWILIGHT」のアコギの使い方だったり、小技がピリリと効いていて、全体的にリッチでふくよかな印象もある。贅沢な作りと言い換えてもいいが、それらが前述のメロディーと合わさると嫌味じゃないというか、いい意味でのゴージャス感を醸し出している。それもBOØWYのイメージに重なる。
 歌詞は─誤解を恐れずに言えば、28年経った今でもよく分からないというのが正直なところだ。全11曲中、その物語性やメッセージ性が辛うじて分かる気がするのはM10「LIKE A CHILD」とM11「WELCOME TO THE TWILIGHT」くらいで、それにしても《Twilight 迷子のクリスチァーネ》(M10「LIKE A CHILD」)とか、《もうアレスクラ 大丈夫サ》(M11「WELCOME TO THE TWILIGHT」)とか、さっきググって初めて意味を知った言葉もある。《プラスティックのノクターン もてあましてる パッション ビロードみたいに 艶やかなフィクション》(M1「DANCING IN THE PLEASURE LAND」)。《キュラソー飲み干す 肩越しにゆれてる 摩天楼のふちどり 傷だらけの天使》(M2「ROUGE OF GRAY」)。《デセールのその後は 退屈すぎるサンセット ボナンザグラム片手に ちょっと気取ってほほえみ ぬれたままの唇で スマック for GOOD NIGHT》(M5「JUSTY」)。《セピアの影踊る葉は TOW DANCE 泣けちゃう様な素通りの MONDAY 光のすじを唇にそえて 退屈な言葉は赤いベーゼでふさぐ》(M8「ミス・ミステリー・レディ」)。何となくラブソングであろうことくらいは分かるが、これで細かなシチュエーションが分かることはないと思う。ストーリーではなく、シーン描写。考える言葉ではなく、感じる言葉といったらいいだろうか。BOØWYの歌詞─特にこの『JUST A HERO』において歌詞の内容を詮索するのは野暮というものだろう。このアーバンでセクシャルでエキゾチックな雰囲気をそれぞれのリスナーが感じたままにイメージすればいい。それだからこそ、BOØWYの音楽は多く人たちの支持を得たのではないかという気もする。
さて、最近のニュースとしてみなさんもご存知だとは思うが、氷室京介がライヴ活動からの引退を宣言した。理由は耳の不調とのことで、完璧主義者と伝え聞く氷室氏ならではの決断だったと理解できなくもない。ステージ上でファンに無様な姿を見せられないということだろう。残りの予定された公演には布袋寅泰の参加が噂されるなど、すでにプレミア感が漂っているが、果たして? リアルタイムでBOØWYを体験した者としては現在の氷室&布袋の共演を観たい気持ちがある反面、まず治療に専念してほしいところではある。症状が分からないので軽々には言えないが、まずしっかりと完治させてステージに復帰してほしいと思う。再結成はそれからでも遅くない。

著者:帆苅竜太郎

OKMusic編集部

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