細野晴臣が
狭山市の自宅でのレコーディングで、
アメリカの空気を創造した
『HOSONO HOUSE』

リラックスした空気が漂う楽曲と音像

アルバムのオープニングナンバー、M1「ろっか・ばい・まい・べいびい」から実にリラックスした空気が聴き取れる。アコギとベースのアンサンブル。綺麗な音かと言われたら、人によってはそう思わない人がいるかもしれないし、ものすごくテクニカルな演奏かと言えば、必ずしもそうじゃないかもしれないが、独特の温かみがあるのは確かだろう。M1はのちにティン・パン・アレーでカバーもされている。

M2「僕は一寸」はバンドサウンドでM1よりは音圧があって、ドラムはシャープな印象はあるが、これも決して尖った感じはしない。いい具合に肩の力が抜けた歌もそうだが、それに重なるブルージーなエレキギター、アコギも柔らかい。

M3「CHOO CHOO ガタゴト」もまたのちにティン・パン・アレーでセルフカバーされたナンバー。個人的にはティン・パン・アレー版のほうがちゃんとしているというか、丁寧にレコーディングされている印象がある。生真面目と言ってもいいかもしれない。逆に言えば、M3には粗さが残っていると言えるわけだが、それもまたリラックスした空気感と捉えることもできよう。細野の歌声にどこなくElvis Presleyのようなセクシーさが感じられるのもいい。

M4「終わりの季節」はまさしくカントリーロックといった感じだろうか。歌に並走する鍵盤ハーモニカがノスタルジックで実にいい具合。どこかさわやかな印象もあって、《朝焼けが 燃えているので/窓から 招き入れると》という歌詞にもよく合っているように思う。

M5「冬越え」もバンドサウンドで、やや硬質な気はするものの、全体的に歌よりも前に出ないバランスでミックスされているからか、M2同様そこまで音圧は強くない。アレンジも録音も絶妙なのか、各パートの重なり具合がよく分かる。音像が立体的な印象だ。サビの《クシャミを ひとつ/ただ クシャミを ひとつ》はキャッチーで可愛らしい感じだし、ブラスセクションも派手に鳴り過ぎてなくていい。

M5「パーティー」はB面の1曲目。ピチカート・ファイヴが5th『女性上位時代』(1991年)でカバーしたことでも知られている。ピチカート・ファイヴはとてもピチカート・ファイヴらしくカバーしているが、このオリジナルは、間奏で転調して面白いアレンジを聴かせてはいるものの、全体的な空気感ははっぴいえんどにも近いフォークロックの匂いがする。

跳ねるようなエレピが引っ張るM6「福は内 鬼は外」はサンバと言ってもいいだろうか。カウベルも聴こえるし、スクラッチノイズみたいなのはギロだろうか。ダンサブルなリズムに乗ったポップなメロディーに《入れ入れ門から 家の中へ/入れ入れ門から 福の神》という歌詞を載せる辺りに、細野が楽しんで曲作りしていたこともうかがえる。

リラックスと言えばM7「住所不定無職低収入」もそう。悲壮感漂うタイトルだが、スウィングするリズムとビッグバンド風のブラスにはまったくそんな感じはない。おまけに歌詞はこんな感じ。《うまい話はないのかな/宝島の地図が最後の望み/キャプテンクックの様に俺は今/住所不定無職おまけに低収入》。ひたすらに素敵だ。

M8「恋は桃色」はシングルカットされた楽曲。これもはっぴいえんどから続くフォーキーロックの印象で、ゆるやかなバンドサウンドが心地良い。とりわけ鈴木茂のエレキギターと駒沢裕城のスティールギターのアンサンブルがいい。歌詞は“HOSONO HOUSE”の描写だと前述した通りだが、《ここは前に来た道/川沿いの道/雲の切れ目からのぞいた/見覚えのある街》は入間川であり、狭山市であるのだろう。

M9「薔薇と野獣」は本作の中では最も派手なバンドサウンドという見方もできるだろうか。エレキギター、エレピ、ドラムも音が硬質な印象。グルーブ感もより一層グイグイときている感じだし、アウトロではアドリブとも思しき、各パートの掛け合いが続いていく。これものちにティン・パン・アレーでカバーされたナンバーで、それにも頷けるアンサンブルである。

アルバムの最後はM10「相合傘」。はっぴいえんどのラストアルバム『HAPPY END』(1973年)収録の同曲のインスト版…と言えば聞こえはいいが、SEで始まって20秒くらいで終わる小曲。のちに、細野自身もM10をこのかたちにしたことを不審に思ったらしく、『HOCHONO HOUSE』(2019年)では歌を入れてリメイクし、収録タイムも80秒となった。

『HOCHONO HOUSE』ではM10だけではなく、『HOSONO HOUSE』を完全にリニューアル。収録曲はそのままに全て新録している。「僕は一寸」や「CHOO CHOO ガタゴト」などは歌詞も大きく変えた。『HOCHONO HOUSE』の話をし出すと文章がこの倍くらいになりそうなので、そこに関してはサラリと触れておくだけにさせてもらうけれど、『HOSONO HOUSE』は宅録の環境面は良かったものの、決して制作そのものには満足しておらず、あとで振り返って“どうしてこうなったのか?”と思うところも多々あったという。若さ故に落ち着いて作業できなかったと述懐しており、それが46年後のリメイク作『HOCHONO HOUSE』につながったようだ。逆に言えば、1970年代には勢いに任せた部分があったかもしれないけれど、いい意味で後先考えず、その場の空気、雰囲気だけに忠実だったとも言える。『HOSONO HOUSE』は邦楽の名盤として今も語り継がれるだけでなく、形を変えてここまで何度も再発されているのは、音楽にとって最も大事なファクターのひとつと言える、その時の現場の空気をしっかりとパッケージしているからに他ならない。それはこの『HOSONO HOUSE』をリメイクした事実からも伺うことができるのではなかろうか。

TEXT:帆苅智之

アルバム『HOSONO HOUSE』1973年発表作品
    • <収録曲>
    • 1.ろっか・ばい・まい・べいびい
    • 2.僕は一寸
    • 3.CHOO CHOO ガタゴト
    • 4.終わりの季節
    • 5.冬越え
    • 5.パーティー
    • 6.福は内 鬼は外
    • 7.住所不定無職低収入
    • 9.薔薇と野獣
    • 10.相合傘
『HOSONO HOUSE』('73)/細野晴臣

OKMusic編集部

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