高橋幸宏と鈴木慶一だからこそ
創り出せたTHE BEATNIKSの
『EXITENTIALISM 出口主義』

『EXITENTIALISM 出口主義』('81)/THE BEATNIKS

『EXITENTIALISM 出口主義』('81)/THE BEATNIKS

今週はムーンライダーズの鈴木慶一とシンガーソングライターの松尾清憲によるユニット、鈴木マツヲの1stアルバム『ONE HIT WONDER』が6月21日にリリースされたとあって、これまで慶一氏が結成してきたユニットを取り上げようと考えた。本文でも書いた通り、数多くのユニットで活動してきた慶一氏。No Lie-Senseも忘れ難いけれど、今年1月に逝去した高橋幸宏氏とのTHE BEATNIKSを思い浮かべる人が多いに違いない。日本、いや世界の音楽史においても重要な役割を担ったユニットである。
OKMusic【鈴木マツヲ インタビュー】
『ONE HIT WONDER』はもう一回聴きたくなる気持ちが特に強い
https://okmusic.jp/news/524137/

THE BEATNIKSが結成された時期

高橋幸宏、鈴木慶一、両氏共に超多才かつ超多作のアーティストであることは分かっていたつもりだが、本稿を作成するためにザっとふたりのプロフィールをおさらいして軽く絶句した。

まず幸宏氏から行くと、サディスティック・ミカ・バンド~サディスティックス、イエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)は説明不要として、細野晴臣とのユニットであるスケッチ・ショウ、原田知世、高野寛らとのバンド、pupa、小山田圭吾、TOWA TEIらとのMETAFIVEと、1971年以降ずっと名うてのミュージシャンたちと数々のユニット、バンドを結成、活動してきた。YMOと同時期にスタートしたソロ活動も実に意欲的で、18thアルバム『The Dearest Fool』(1999年)まで、リリースを3年と間と空けたことがない、ほぼ毎年と言っていいペースでアルバムを発表している。

一方の慶一氏はというと、はちみつぱいを経てムーンライダーズを結成したのが1975年。鈴木慶一とムーンライダース名義の『火の玉ボーイ』(1976年)以降は、自身の病気などによる1986年の活動休止前までは、こちらも毎年1枚のペースでオリジナルアルバムを発表している。また、1991年に12th『最後の晩餐』でムーンライダーズが復活してからは、2011年に無期限活動休止を宣言するまでの間にも11枚のアルバムをリリースしている。慶一氏はバンドと並行して結成、活動してきたユニットが豊富だ。実弟の鈴木博文とのTHE SUZUKI、有頂天のKERAとの秩父山バンド~No Lie-Sense、頭脳警察のPANTAとのP.K.O.などが代表的なもので、音源を発表していないライヴだけのユニットは他にもまだまだある。また、矢野顕子、大貫妙子、奥田民生、宮沢和史とによる“Beautiful Songs”があって、これがユニット名のように表記されている場合もあるようだが、これは2000年7月に開催されたコンサート名。ただ、既存曲のデュエットや新曲も披露しているということでもあるし、ある意味、慶一氏の別ユニットと捉えてしまうのも分からなくもない。慶一氏もソロ活動を展開しており、宇宙からの物体X名義『S.F.』(1978年)から『SUZUKI白書』(1991年)までは間が空いたものの、1990年代にはさまざまな名義でソロ作品を制作し続けている。

話をTHE BEATNIKSへと移すと、このユニットは上記の通り、常に多忙極まりない両氏が、おそらくは最も多忙だったと思われる時期に結成されたものと考えられる。1st『EXITENTIALISM 出口主義』を発表したのは1981年12月5日発売。YMOの3rd『増殖』が1980年6月5日、高橋幸宏の2nd『音楽殺人』が1980年6月21日のリリースである。そして、ムーンライダーズの6th『CAMERA EGAL STYLO / カメラ=万年筆』が1980年8月25日にリリースされている。THE BEATNIKS自体は1981年の結成ということだが、その前年の1980年から、特に幸宏氏はこちらが想像もつかないような忙しさではなかったかと思われる。そして、1981年は、YMO4th『BGM』が同年3月21日リリースで、幸宏氏ソロ3rd『NEUROMANTIC ロマン神経症』が同年5月24日である。加えて言うと、YMOの5th『テクノデリック』も同年11月21日発売だ。幸宏氏はこの年、自身の絡んだ新作アルバムを4枚、世に送り出していたことになる。もはや何て言ってみていいか分からない。

慶一氏で言うと、この1981年、ムーンライダーズの音源こそ発表されていないが、[難解すぎてレコード会社からクレームが来て、発売中止になったとされているが、圧力はあったものの、時代に合わないとの理由で、最終的には自分たちで発売中止を決め]たという、8th『MANIA MANIERA』(1982年)は1981年からレコーディングしていたそうで、その後、その前作の7th『青空百景』を録っていたというから、自身のバンドの制作でこれまた忙しかったに違いない([]はWikipediaからの引用)。

OKMusic編集部

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