高橋幸宏と鈴木慶一だからこそ
創り出せたTHE BEATNIKSの
『EXITENTIALISM 出口主義』

ふたりだけで作ったサンプラーアルバム

そんな時期に作られた『EXITENTIALISM 出口主義』は、他にミュージシャンを入れず、ふたりだけで制作されている。これもすごい話だ。Peter Barakanが歌詞を英訳し、テクニカルアシスタントに松武秀樹の名前がクレジットされてはいるものの、楽曲制作、演奏は完全にふたりのみであった。結成当時のものは流石に見当たらなかったけれど、今もネットで散見される各媒体での5th『EXITENTIALIST A XIE XIE』の頃のインタビュー記事を参考にするなら、THE BEATNIKSでは創作自体は早かった様子。アレンジにおいてはどちらが主導権を取るというわけではなく、お互いのインスピレーションを重ね合わせていくようなスタイルだったという。これもまた両氏が超多才であることの証し。ともに理解度が高く、刷り合わせもスムーズだったということだろうか。意見がぶつかることもなかったそうで、制作の上では理想的だったと言えるだろう。

この辺は【鈴木マツヲ インタビュー】での慶一氏の発言からもうかがえる。鈴木マツヲの1st『ONE HIT WONDER』もTHE BEATNIKS初期に近い、慶一氏と松尾清憲氏のほぼふたりのみで制作されたという。
〈スタジオミュージシャンを呼ぶと、勢いの継続性がダウンすることがある。やりたいことを伝えないといけないから。我々ふたりでやっていると、“ここにこういうキーボードが入っているから、じゃあ、こういうギターを入れよう”というようなことを、その場で決められる。素早くね。だから、楽なんだよね。生ギターのストロークは松尾くんのタイミングがいい…私より全然いいので松尾くんにどんどん入れていってもらって、その上にキーボードを入れて、それを踏まえてエレキギターを入れて…というふうに一個一個構築していくことで、こういうサウンドが生まれた。スタジオミュージシャンを呼んでいたら違うものになっていただろうね〉。

また、本作はLMD-649なるサンプラーを使用したアルバムであることが知られている。このことも『EXITENTIALISM 出口主義』の制作に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。例えば、オーケストラの音をキーボードで鳴らせるといったように、さまざまな音を取り込んで再現出来るサンプラーは、今は音楽制作の現場にはほぼなくてはならないものであるが、1980年代前半にはまだまだ高価で、音楽機材としてポピュラリティーなものではなかった。LMD-649は松武秀樹が自作した(!)国産初のサンプラーマシンで、[最初に使われたのは、大貫妙子のレコーディング現場だった。しかし、レコードのリリース時期としてはYMOのアルバム『テクノデリック』が早い]と言われている。その『テクノデリック』は世界初の本格的サンプラーアルバムとも言われているが、前述したように、『EXITENTIALISM 出口主義』はその直後にリリースされたもので、制作はほぼ同時進行だったとも伝え聞く。THE BEATNIKS もほぼ世界初だったと言って良かろう。素人の浅知恵では、サンプラーを使ったことでレコーディング時間を短縮出来、ふたりだけで作業できたと考えがちだが(そういった側面があったことも否定出来ないが)、[サンプルタイムは1.2秒程度。音源素材は6 mmのテープに保管しており、(中略)サンプルデータの保存は出来ず、電源を切るとデータは消滅した]そうで、使い勝手が良くなかったとことは間違いない。それでいて(しかも、再三言うように超多忙な時期にもかかわらず)、創作が早かったということは、ふたりのサンプラーを使った音楽制作への興味がそれだけ強かったと見て良かろう(ここまでの[]はすべてWikipediaからの引用)。

OKMusic編集部

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