【独断による偏愛名作Vol.5】
佐藤聖子の等身大が詰まった
『After Blue』の魅力を
当時の“ガールポップ”シーンと共に
振り返ってみた
今も称えたい“ガールポップ”の動き
ご存知の方も多いと思うが、“ガールポップ”は『GiRLPOP』であって、元は音楽専門誌の名称である。『GiRLPOP』についてはWikipediaの紹介が端的なので、以下それに譲る。[『GiRLPOP』(ガールポップ)は、エムオン・エンタテインメント(旧ソニー・マガジンズ)から発行されている音楽雑誌。ガールポップという言葉は、1990年代から2000年代中盤、ソニー・マガジンズが中心となって提唱したレコード会社と音楽産業の販売拡大戦略。日本の若手女性ポップス歌手・シンガーソングライターに焦点(フォーカス)をあて、メディアミックスという方法論(メソッド)でムーブメントを起こすことを目的とした。ブームが盛り上がるにつれ音楽ジャンル名としても使われ、さらにテレビ・ラジオ番組名にも使われるほどに成長し、このブーム期を示す一時期を表す言葉となった]とある。要するに、“ガールポップ”は出版社が仕掛けたものだったということだ。これもまた正確に記すなら、上記に[ブームが盛り上がるにつれ]とか[ブーム期を示す]とかあるけれど、“ガールポップ”は間違いなく誰もが知るようなムーブメントではなかったので、“仕掛けようとした”と表現するのが正しいだろう。雑誌『GiRLPOP』は1992年に創刊され、一旦2006年に休刊するも、2011年にはアイドルを中心とした内容で復刊。公式サイトを見ると、『2016 WINTER』を最後に発刊されていないようなので、再度休刊した模様である。
ここまでの拙文は“ガールポップ”を否定的に捉えているように聞こえるかもしれないが、むしろ逆である。ムーブメントには至らなかったかもしれないけれど、その心意気やよし…であったと思う。今も称えたいところではある。再びWikipediaから引用すると、同項目の説明に以下のような記述がある。[1990年代初頭、音楽業界は音楽番組が激減した冬の時代に入っていた。数少ないミリオンセラーアーティストを除いてはCDが売れない状況であり、特に女性歌手に関しては、1980年代に隆盛を誇ったアイドル歌手も下火となっていた。そのような状況の中、(中略)アイドル性を持ちながら、自ら作詞,作曲を行う若手の女性歌手、シンガーソングライターが数多くデビューを遂げており、これに目を付けたソニー・マガジンズでは、これらのアーティストを指す名称を造語し、各メディアで盛り上げていくことを計画]したという。Wikipediaなので必ずしも正確性を担保するものはないけれど、これが“ガールポップ”を提唱した背景のようである。業界全体の浮揚を考えた大人の仕事であったとするならば、その結果がどうあれ、その意志は否定するべきものではなかろう。(ここまでの[]はすべてWikipediaからの引用)