【独断による偏愛名作Vol.5】
佐藤聖子の等身大が詰まった
『After Blue』の魅力を
当時の“ガールポップ”シーンと共に
振り返ってみた

忘れじの“ガールポップ”シンガー

そんな“ガールポップ”のアーティストというと(『GiRLPOP』の誌面を彩ったアーティスト…とも言い換えられる)、前述した森高千里、永井真理子、久宝留理子の他、谷村有美、近藤名奈、井上昌己、久松史奈らが思い出されるが、個人的には、リアルタイムで何度かインタビューさせてもらった佐藤聖子の印象が強い。自分にとっての“ガールポップ”は佐藤聖子と言ってもいいくらいだ(当時“ガールポップ”勢の中で筆者が直接取材したのが彼女だけだったという言い方もできる)。派手過ぎないサブカル少女…といったルックスが好きだったこともあるが、彼女の音源も好みだった。自分はインタビュー後にそのアーティストの音源を聴き返すことはほとんどないのだけれど、彼女の音源は何故かよく聴いた。特にこの『After Blue』は一時期、毎年年末が近くなるとCDを引っ張り出してくるほどだった。何がそんなに良かったのか――取材対象者や音源のことは日常的に分析しているのに、我がことはなかなか分析できないもので、実のところ、どこを気に入って佐藤聖子をよく聴いていたのかはよく分からない。残念なことに、当時掲載した記事も残っていないため、筆者が何を質問して彼女が何を語っていたのかも検討がつかない。よって、『After Blue』を聴き直して、改めて佐藤聖子の何に惹かれたのかを自己分析してみたいと思ったのが今回の当コラムの目的である。

『After Blue』収録曲は、今で言うところのコンテポラリR&Bといったジャンルに分けられる。1980年代のソウルミュージック≒ブラックコンテンポラリ、アーバンポップということもできるだろうか。ただそうは言っても、本格的なそれというより、J-POP成分多めではある。歌メロもキャッチーであったりポップであったりして、複雑なものはまったくないと言っていい。歌唱もフェイクが少ないので(というか、ほとんどない気がする)、誰にとっても親しみやすく、昨今の高度なポップス、ロックに慣れた人には物足りなさが残るかもしれない。しかし、それだけに、現在でも誰もが違和感なく聴くことが出来る代物ではあると思う。ただ、彼女の声質は好みが分かれるような気がする。M1「21」のタイトルはアルバム発売時に彼女が21歳であったことに由来しているが、21歳らしい声質と言えばそうだし、21歳よりも幼さが残るようでもあると言えばそうとも言える歌声であり、加えて若干のハスキーを孕んでいる。ハスキーと言ってもほんのわずかなもので、彼女を大きく特徴付けるほどのものではないが、そこに不安定さを感じる人がいるかもしれないとは思う。決して歌が下手な人ではない。下手ではないが、昨今ブラックミュージックに慣れたリスナーはもっともっと迫力のある日本人シンガーの楽曲を耳にしているので、これもまた物足りなさを感じるのではないだろうか。…と、ここまで書いて、自分でも佐藤聖子を貶めているような気もしてきたので、少し擁護(?)すると、M6「PAIN」は2ndシングルだっただけあってか、これは大分パワフルでインパクトは強い。ロッカバラードというスタイルが良かったのかもしれないし、キー、メロディーも合っているのかもしれない。まさに“PAIN≒痛み”を感じさせるような歌唱でもあるし、Aメロではほんのちょっぴりセクシーさも感じる。この辺から、彼女のアーティストとしての本質は、決してアイドル性に寄らない、シンガーソングライターであったことは確認できる。

そうしたシンガーとしての若さを補って余りあるのが本作参加のミュージシャンたちである。1990年代らしく、リズム隊は全編シーケンサーによるプログラミングで賄っているものの(その辺は当代R&B、ブラコンらしさではある)、ギター、キーボード、サックスなどは生音が配されており、いずれも楽曲全体の躍動感の底上げに大きく寄与している。M1「21」のカラッとした明るさを演出しているのは、今剛のギターのカッティングであり、水島康貴のオルガンであろう。今剛のギターはアルバムのラストM10「東京タワー」でもいい仕事をしている。少しいなたいというか、ざらついた音が楽曲の雰囲気にとても合っていると思う。ビート強めのM4「恋が風になって」をシリアスかつドラマティックに聴かせているのは、グリッサンドがいちいち効いている、これまた水島のオルガンの妙味によるところだろう。また、松原正樹の冴えわたったギタープレイの力もかなり大きいと思われる。松原のギターはM9「After Blue」でも聴くことができ、いずれも、楽曲の世界観を100%後ろ向きではなく、わずかな光を感じさせているのは、氏の軽快なギターだろう。サックスは、70年代から00年代まで日本の音楽界で欠かすことができなかった音楽家と言っても過言ではないJake H. Concepcionが、M6「PAIN」とM9に参加している。両曲共、声にならない切なさ、言葉にならないやるせなさといったものを見事にサックスで表現している。力が入り過ぎず、サラリと吹いているように感じられるのもいい。職人技を堪能できる。ギタリストはもうひとり、M7「ほおづえの夜」に参加している笛吹利明も忘れてはならない。M7は世界観も暗く、おそらくアルバムの中で最も地味なナンバーと捉えられるだろうが、その分、とても丁寧にアンサンブルが取られているような印象がある。とりわけアコギの存在感が素晴らしく、アウトロでの重ね方は絶品で、間違いなく聴きどころである。『After Blue』は、こうした優れたミュージシャンたちによって創られた作品であることがよく分かるし、彼らを招聘してアルバムをディレクションしたスタッフを含めて、佐藤聖子がいかに大切にされていたのかも想像できるところである。

OKMusic編集部

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