中村雅俊の歌手キャリアの
スタート作『ふれあい』に
アーティストとしての
懐の深さはすでに備わっていた

歌手活動への思い入れ

『ふれあい』はそんな中村雅俊のデビューアルバム。その約4カ月前にリリースされたデビューシングル「ふれあい」の大ヒットを受けて発表されたものであろう。アルバムタイトルはそこから取られたものであることは間違いない。シングル「ふれあい」はデビューシングルながらチャート1位を獲得…どころか10週連続1位となり、1974年の年間チャートでも4位に入った。大ヒットを超えた特大ヒットと言っていい。中村雅俊主演ドラマ『われら青春!』の劇中で使用されたことがヒットのきっかけだったが、聞けば、全22話だった同ドラマの中盤以降、何度か使われただけだったというから、視聴者にとって相当に印象に残ったのだったのだろう。何でもドラマは[視聴率的には伸び悩み、7月に入って発売された『ふれあい』の大ヒットも番組継続のための原動力となることはなく、放映開始から半年で終了することとなった]という([]はWikipediaからの引用。原文ママ)。事の真偽は分からないけれど、「ふれあい」のインパクトが余程強かったことが推測できるし、楽曲がドラマを超えて独り歩きしたことを伺わせる記述ではある。

アルバム『ふれあい』は、シングルヒットを受けて急きょ制作されたと見ることもできるし、ドラマでの披露→シングルリリース→アルバム発表と予定通りに進行したとも受け取れる。約4カ月間のインターバルというのが何とも微妙なところで、今なら完全に後者――つまり、そんなに早くアルバムが制作できるわけもなく、シングルの特大ヒットまでは想像してなかったにせよ、言わば既定路線だったと見るのが素直ではあろう。しかし、時は昭和である。中村雅俊ご本人も当時は“昨日は俳優、今日は歌手”といった状態で、明日の予定も分からないほどだったと述懐していたそうだから、急きょアルバム制作に至った可能性も十二分にある。この辺は当時の関係者に伺ってみないと分からないところではあるが、個人的には、ドラマでの披露→シングルリリースまでは既定路線で、アルバム制作までは想定していなかったのではないかと見る。

というのも、こんなエピソードがある。「ふれあい」以前、すでに中村雅俊には歌手デビューの話があったという。氏が大学在学中のことである。「別れの劇」というタイトルの楽曲をレコーディング。レコード会社に持ち込んだものの、ことごとくNGをくらったそうで、終ぞ陽の目を浴びることはなかったというのだ。「別れの劇」はのちに「ウイスキーの小瓶」とタイトルを変え、その作者であるシンガーソングライター、みなみらんぼうのデビュー曲となったので、完全にお蔵入りしたわけでもなかったのだが、ご本人は歌手デビューできなかったことにはだいぶ凹んだようだ。じくじたる思いがあったかもしれない。それが即ち、のちの歌手活動の原動力になった…とは言わないまでも、まったく影響がなかったとは言えないだろう。

ちなみに「ふれあい」のドラマでの初披露は1974年6月30日の第13話においてだったという。シングルリリースは1974年7月1日である。プロモーションもお見事だった。この辺も、歌手・中村雅俊を上手にランディングさせるための戦略だったと見ることができる。この奏功もあって、「ふれあい」は想像以上の特大ヒット。そのため、アルバムを急きょ前倒しした…というのが筆者の見方だ。まぁ、その事実はともかく、すでに俳優としてデビューしていたにもかかわらず、歌手活動に対しても相当に力が入っていたことがよく分かるでは話ではあろう。

OKMusic編集部

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