『PARACHUTE from ASIAN PORT』の
色褪せないポップさに、
Parachuteのミュージシャンとしての
基本姿勢を感じる

聴き手を選ばないポップさ、メロウさ

 Wikipediaを中心にその実績のほんの一部を引っ張ってきたが([]はWikipediaからそのまま引用)、これらはおそらく彼らの全仕事の0.01パーセント程度だろう。いや、0.001パーセント以下かもしれない。ネットを漁っていたら、どなたかが“彼らの仕事はそのまま日本の音楽史である”と言っていたのを見かけたが、これにはまったくもって同意する。仮定の話、もしこの中で誰かひとりでも楽器を持たなかったとしたら、邦楽シーンは今とは別のものになっていたに違いない。そう断言できる。

そんなメンバーが結集したParachuteのデビューアルバム『ASIAN PORT』。その昔、4番バッターばかりを揃えたどこかの球団が結局チーム打率は2割5分程度で、優勝できなかったということがあった。また、これもいつぞやの某代表チームに“黄金の中盤”という惹句があったが、あれもそんなに機能しなかった気がする。優れた人材が多くても、その団体がうまくいくとは限らない。“船頭多くして船山に上る”ということわざもある。それに準えれば、Parachuteは前述の通り、日本の音楽シーンで欠かすことができないミュージシャンが揃っているわけで、だからこそ作品が優れたものにならなくても不思議ではないと、素人は考えるところではある。事実、超有名アーティストが集まって鳴り物入りで結成されたバンドで、それが黒歴史的にその後ほぼ語られることがないケースもある(誰とは言わないけれど、ひとつ、ふたつではなかったように思う)。

結論を急げば、Parachuteの場合、そんな心配には及ばない。『ASIAN PORT』は、ほぼ半分がインストではあるものの、マニアックさは皆無と言ってよく、実にポピュラリティーの高い音楽作品である。これも断言する。40年以上前の作品だが、収録曲は今も聴き手を選ばない汎用性の高さがある。もしかすると、これまで本作を聴いたことがない人が初めて聴いたとしても、アルバムを通して聴けば、どこかで聴いたことがあるナンバーが1曲くらいはあるかもしれない。実際、テレビやラジオのBGMとしてかなり使われたアルバムではなかろうか。個人的にはM5「VISITOR FROM PLUTO」は間違いなくどこかで聴いていると確信しているが、何のBGMで使われたかをはっきりと思い出せない。多分、相当数の不特定多数のBGMで流れていたからではないかと思う。細かく調査したら、あの楽曲のイントロとか、この楽曲の間奏とか、いろいろと出て来るのでなかろうか。メディアでの使用うんぬんは一旦脇に置いておくとして、『ASIAN PORT』がポピュラリティーの高いアルバムだというのは一重にその主旋律にある。ギターであれ、キーボードであれ、歌であれ、ポップでもメロウでも、とにかく主旋律がキャッチーなのである。

しかもリフレインが多く、それがキャッチーさに拍車をかけているという見方ができると思う。オープニングナンバーのM1「MYSTERY OF ASIAN PORT」は、大陸風の旋律をリピートするシンセ(後半はそれがボコーダーに変わる)と、ギターが鳴らす鋭角的なメロディーで構成されていると言っていい。前者をAメロ、後者をBメロとしても良かろう。各々で印象的なフレーズが繰り返され、それが連続していくスタイルでもあって、必然、耳に残るようなところがある。

アーバンな雰囲気を漂わせるM4「ESSENCE OF ROMANCE」も同様。こちらはAメロ、Bメロ、サビといったJ-ROCK、J-POP的な展開を持っているナンバーで、それぞれメインのメロディーはギターが奏でている(松原正樹、今剛が交互に弾いているのだろう)。各セクションでは2小節ほどの決して長くはないメロディーのリフレインが効果的に鳴らされている。

明るく開放的なM5「VISITOR FROM PLUTO」は、M1とほぼ同じA、Bの構造で、ともにギター中心。これも言うまでもなく、キャッチーなメロディーの繰り返しが楽曲の肝である。M7「MIURA WIND」はアコギ基調のスロー~ミドルで、それこそM5とは真逆のタイプと思えるが、いいメロディーの繰り返しという点では共通している。

ブラックミュージック的なM2「FLY WITH ME」、レゲエ調のM3「KOWLOON DAILY」、最もJポップに近いM6「SPEND A LITTLE TIME(WITH ME)」、アルバムを締め括るミドルバラードであるM8「JASMINE」。これらはいずれも歌ものであって、インストに比べて主旋律そのものに細かな繰り返しは少ないようだが、コーラスがリフレインに寄与している。ここまで来ると、それを企図したというよりも、どこか本能的にやっていたと考えたほうがいいようにも思う。名うてのメンバーたちが集まったバンドの処女作が、マニアックにも衒学的にもなることなく、どこからどう切ってもポップしか出てこないようなアルバムになったというのはちょっと興味深い。

OKMusic編集部

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