悲運のバンド、
バッドフィンガーを率いた
故ピート・ハムが残した
『セヴン・パーク・アヴェニュー』
ビートルズの弟バンドのようなバンド、
バッドフィンガーの栄光と悲運
続く2nd作『ノー・ダイス(原題:No Dice)』(’70)からは新たにギター、ヴォーカルのジョーイ・モーランドが加入し、ギター、ピアノ、ヴォーカルのピート・ハム、ベース、ヴォーカルのトム・エヴァンス、ドラムのマイク・ギビンズからなる4人の固定メンバーとなる。ピート、トム、ジョーイそれぞれがリードヴォーカルを取れ、曲も書けるのはビートルズ同様、作品を充実したものにした。そして同作収録の「嵐の恋(原題:No Matter What)」に示されるようなポップ感覚あふれる軽快なロックは、後年語られるようになる“元祖パワーポップ”の称号も頷けるバッドフィンガーの魅力だった。そしてもうひとつ、彼らを永遠のものにしているのが、ピート・ハムが書き下ろすメロディアスな曲だった。2nd作に収められた「ウィズアウト・ユー(原題:Without You)」(トム・エヴァンスとの共作)、3rd作『ストレート・アップ(原題:Straight Up)』(’71)から世界的な大ヒットを記録した「デイ・アフター・デイ(原題:Day After Day)」、「ネイム・オブ・ザ・ゲーム(原題:Name Of The Game)」などは心の琴線を鷲掴みにされるような名曲だ。その頃、ジョージ・ハリスンが主催したロック史上初のチャリティーイベント、『バングラデシュ・コンサート』にバッドフィンガーも出演している。ディラン、クラプトン、リンゴ・スター、レオン・ラッセル(+シェルター・ピープル)、ビリー・プレストン…など、スーパースター級の出演者が居並ぶ中に、さすがにバンドの出演枠はない。それでも、ジョージ・ハリスンのステージで、あの「ヒア・カムズ・ザ・サン(原題:Here Come The Sun)」のギター伴奏をピート・ハムが務めている(そういう役割を振るジョージの気遣いにもグッとくる)。マジソン・スクエア・ガーデンの大観衆を前に緊張の極みだったと思うが、ピートはしっかり仕事をこなしている。嬉しかっただろう。もしかすると、彼の人生最上の時間だったかもしれない。
※動画サイトを検索すると出てくるので、ご覧ください。
※ピートはジョージやリンゴ・スターのアルバムでもレコーディングに参加している。
※ジョーイ・モーランドとトム・エヴァンスはジョン・レノンの『イマジン(原題:Imagine)』(’71)のレコーディングセッションに参加している。
ちなみにバンドの最高のヒット作となる3rd『ストレート・アップ』が『バングラデシュ・コンサート』後の12月にリリースされるのだが、アルバムは最初ビートルズのレコーディングエンジニアだったジェフ・エメリックの手で進められ、途中からジョージ・ハリスンにバトンタッチするが、ジョージが同年8月のコンサートの準備で手が回らなくなり、別のプロデューサーを探さなければならなくなる。そこで白羽の矢が立ったのがあのトッド・ラングレンで、彼のプロフェッショナルなレコーディング作業にメンバーは圧倒されつつ、一方で彼の偏執狂的なスタジオワークからくるプレッシャーには相当苦しめられたらしい。メンバーを罵倒、ののしり、こき下ろし、罵詈雑言と、トッドの“しごき”は相当なものだったらしい。彼ならではの叱咤激励だったと思いたいが、後のXTCの『スカイラーキング(原題:Skylarking)』レコーディング時のバンドとの軋轢、アンディ・パートリッジとの確執など有名なエピソードを思い出すと、仕事人トッドはやはりアクの強い人物なのだろう。それでもアルバムは後々まで評価される仕上がりとなり、シングル「デイ・アフター・デイ(原題:Day After Day)」は世界中で大ヒットした。特にこの曲でギターを弾いているジョージ・ハリスンのスライド・ギターは彼自身のソロ作「ギヴ・ミー・ラヴ(原題:Give Me Love (Give Me Peace on Earth))」(アルバム『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(原題:Living in the Material World)』収録)と並ぶベストプレイだろう。アルバムはジョージ・ハリスンとトッド・ラングレンのプロデュースが混在しているが、「デイ・アフター・デイ」はトッドが担当している、とのことだ。