レゲエの存在を世界に紹介した
名曲「母と子の絆」を
収録したポール・サイモンの
『ポール・サイモン』

『Paul Simon』(’72)/Paul Simon

『Paul Simon』(’72)/Paul Simon

サイモンとガーファンクルは、フォークデュオのスタイルでデビューしてはいるが、実はジャンルにとらわれない優れたポピュラー音楽のグループである。「サウンド・オブ・サイレンス」「ミセス・ロビンソン」「ボクサー」「明日に架ける橋」などなど、誰もが知っている名曲を生み出すポール・サイモンと、透明感のある稀有な技量を持ったシンガー、アート・ガーファンクルのふたりのコンビネーションで1964年にデビューし、70年代初頭にはビートルズやボブ・ディランと並び称されるほどのスーパーグループとなった。しかし、アルバム『明日に架ける橋』(‘70)をリリースした後にグループは解散し、ふたりはそれぞれの道を進むことになる。そして72年、サイモンはロック界では最初期となるジャマイカ録音を含むソロ作である本作『ポール・サイモン』でワールドミュージックの先駆けとなる重要なサウンドを提示し、新たなスタートを切るのである。

エヴァリーブラザーズと
ブリティッシュフォーク

サイモンはガーファンクルと小学校時代からの幼馴染で、ともにロックンロールやドゥーワップに熱狂していた。50年代後半に兄弟デュオのエヴァリーブラザーズがデビューすると、それをお手本にヴォーカル技術を磨いていく。彼らはスターを目指して、エヴァリーブラザーズ・スタイルのグループを結成(名前はトム&ジェリー)、何枚かのシングルをレコーディングするものの成功には結び付かなかった。うまくいかないだけに、お互いの関係も徐々に気まずくなり、ガーファンクルは大学で研究に勤しみ、サイモンはソングライティングやスタジオでの仕事で糊口をしのぐことになる。やがて、フォークリバイバルの流行が巻き起こり、ボブ・ディランが華々しくデビューすると、ふたりはディランに傾倒し、フォークデュオとして活動を再開する。

64年に“サイモン&ガーファンクル”と改名して、コロンビアレコードからデビューアルバムの『水曜日の朝、午前3時』をリリースするが大して話題にならず、サイモンはイギリスに修行の旅に出る。そこでブリティッシュトラッドを現代風にアレンジして独自のスタイルを築いていたブリティッシュフォークのアーティストたちと出会い、ギター奏法やソングライティング面で大いに影響を受けることになる。しばらくはアメリカとイギリスを行き来する生活が続き、この経験がサイモンの音楽性を培い、のちに大きく開花することになる。

フォークロックの登場による
サイモン&ガーファンクルの成功

サイモン&ガーファンクルがデビューアルバムをリリースした頃、アメリカではディランを中心にフォークロックが生まれつつあり、ザ・バーズがディランのカバー「ミスター・タンブリンマン」でデビューした65年には、フォークロックは新たなジャンルとして登場し、大いに人気を集めた。『水曜日の朝、午前3時』のプロデューサー、トム・ウィルソンはこのアルバムに収録された「サウンド・オブ・サイレンス」にドラムやエレキベースをオーバーダビングし(サイモン&ガーファンクルには無断である)、新たなフォークロック作品に生まれ変わらせた。それが功を奏し大ヒットとなり、66年には全米チャート1位となった。レコード会社はこの機を逃してはならないと、急遽彼らのセカンド作となる『サウンド・オブ・サイレンス』(‘66)をリリースする。収録曲はサイモンがソロアルバム用としてイギリスなどで書き溜めていたものが使われ、急造アルバムとは思えないほど充実した内容となった。この2ndアルバムも大ヒットを記録、さかのぼってデビューアルバムも好セールスとなった。

2ndアルバムのヒットについては、もちろん「サウンド・オブ・サイレンス」が名曲であるのは間違いないが、トム・ウィルソンの時代感覚が優れていたこともまた事実である。ともあれ、これ以降サイモン&ガーファンクルは人気グループとなり、サイモンのソングライティングの巧みさもあって、ヒット曲を継続して生み出していく。サイモン&ガーファンクル初期に書かれた「ホームワード・バウンド」や「アイ・アム・ア・ロック」はヒットもしたが、単なるヒット曲というだけでなく、長く聴き継がれる彼らの代表曲である。

名曲を次々に送り出し、
スーパーグループへ

続いてリリースした3rdアルバム『パセリ、セージ、ローズマリー、アンド・タイム』(‘66)は彼らの真髄が詰まった名作である。「スカボロー・フェア」「ホームワード・バウンド」「59番街橋の歌」など、まるで芸術音楽のような高尚さとキャッチーなポップ感覚が混在したサイモン&ガーファンクルにしか生み出せない重要作と言えるだろう。ここでは、アメリカ的な軽快さよりもブリティッシュトラッドの重厚さを前面に押し出していて、すでにサイモンのワールドミュージック志向が顔を覗かせている。

そして、彼らはアメリカン・ニューシネマの傑作として知られるマイク・ニコルズ監督の映画『卒業』(‘67)の音楽を担当し、「ミセス・ロビンソン」の大ヒットで、一躍世界的に知られる存在となる。続く4thアルバム『ブックエンド』では彼らの最高の曲とも言える「アメリカ」をはじめ、「ミセス・ロビンソン」も収録し、全米1位を獲得する。バックを受け持つレッキング・クルーのサポートも冴え渡り、彼らにとっては“ビートルズも怖くない”時期だったのではないだろうか。

人気絶頂期にリリースした彼らの5thアルバム『明日に架ける橋』(‘70)は、まさに彼らの最高の瞬間を記録した傑作中の傑作である。翌年のグラミーでは6部門で受賞、このアルバムから「明日に架ける橋」「コンドルは飛んでいく」「ボクサー」「セシリア」などの大ヒットが生まれた。最後にエヴァリーブラザーズのカバー「バイ・バイ・ラブ」を取り上げているのは、エヴァリーブラザーズへの感謝の気持ちと同時に、このアルバムでひと区切りという意味があるのだと思う。

本作『ポール・サイモン』について

そして、「明日に架ける橋」の大ヒットのあと、サイモン&ガーファンクルは解散し、サイモンはソロ活動をスタートさせる。サイモンはかつてイギリスで活動していた頃に初ソロアルバム『ポール・サイモン・ソングブック』(‘65)をリリースしている。この時、サイモンはまだ24歳であったが、すでに一流のパフォーマーだと言ってもいいぐらい、ギターも歌も完成している。ただ、ブリティッシュフォークへの気遣いが強く感じられ、本当の意味でサイモンの才能が活かされたとは言い難い。イギリス滞在中、彼はスカ(レゲエと並ぶジャマイカ発の音楽)を聴き狂っていたようで、ジャマイカからの移民が多かったイギリスでは当然のことなのだろうが、遠く離れた70年初頭の日本ではスカもレゲエもまったく未知の存在であった。72年にジョニー・リヴァースが『L.A レゲエ』というアルバムを出しているが、どう聴いてもレゲエではなくニューオリンズ風ロックンロールであったことを思うと、意外にアメリカでも日本とさほど状況は変わらなかったのかもしれない。

ソロ2枚目となる本作『ポール・サイモン』は日本でまだレゲエという音楽が知られていなかった頃にリリースされ、レゲエ(僕が中3ぐらいまで、日本では“レガエ”と呼ばれていたと思う)を認知させた。このあたりはサイモン&ガーファンクル時代からワールドミュージックに興味を持っていた彼のことだから不思議ではないが、大ヒット曲「母と子の絆(原題:Mother and Child Reunion)」はジャマイカのミュージシャンをバックにキングストン(ジャマイカ)で録音されたことを知り、彼の本気さがよく分かった。72年当時、「母と子の絆」はニール・ヤングの「孤独の旅路」と並んで、毎日のようにラジオでオンエアされていたから、今50歳半ば以上の洋楽ファンはおそらくみんなが知っている曲である。

アルバムに収録されているのは全部で11曲。レゲエをはじめ、ジャジーなもの、フォーキーなもの、カリプソっぽいもの、レトロスウィングもの、白人ブルースものなど、ポール・サイモンという才能を披露するためのショーケース的作品であることは間違いないのだが、サイモン&ガーファンクルっぽい曲は意識して外されているような気がする。それはサイモンがソロアーティストとして活動していくための意思表示なのかもしれない、とも思う。アルバム全編を通して感じるのは、ニューヨーカーとしての彼の人となりである。特にジャズっぽい「Run That Body Down」のような都会的なナンバーにそれを感じるのだが、そういう意味では75年にリリースした彼の唯一の全米1位アルバム『時の流れに(原題:Still Crazy After All These Yeas)』こそが彼を最も素直に表現しているかもしれない。

本作でバックを務めるのは、ジプシージャズフィドラーのステファン・グラッペリ、ジャズ界からロン・カーター、マイク・マイニエリ、ホワイトブルースのステファン・グロスマン、エリアコード615のチャーリー・マッコイ、ラテンのアイアート・モレイラ、コーラスにはシシー・ヒューストン(ホイットニー・ヒューストンの母親)、そしてサイモン&ガーファンクル時代から馴染みのレッキング・クルーのハル・ブレイン、ラリー・ネクテルなど、各界から大物たちがこぞって参加している。

なお、本作はアメリカのアルバムチャートでは4位どまりであったのに対して、「母と子の絆」の大ヒットがあったからか、日本、イギリス、北欧などでは1位となっている。

もしポール・サイモンを聴いたことがないという人は、本作でもいいし、次の『ひとりごと(原題:There Goes Rhymin’ Simon)』(‘73)でも、『時の流れに(原題:Still Crazy After All These Yeas)』(’75)も素晴らしい作品なので、ぜひこの機会に聴いてみてください。

TEXT:河崎直人

アルバム『Paul Simon』1972年発表作品
    • <収録曲>
    • 1. 母と子の絆/Mother and Child Reunion
    • 2. ダンカンの歌/Duncan
    • 3. いつか別れが/Everything Put Together Falls Apart
    • 4. お体を大切に/Run That Body Down
    • 5. 休戦記念日/Armistice Day
    • 6. 僕とフリオと校庭で/Me and Julio Down by the Schoolyard
    • 7. 平和の流れる街/Peace Like a River
    • 8. パパ・ホーボー/Papa Hobo
    • 9. ホーボーズ・ブルース/Hobo's Blues
    • 10. パラノイア・ブルース/Paranoia Blues
    • 11. コングラチュレーション/Congratulations
『Paul Simon』(’72)/Paul Simon

OKMusic編集部

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