心の深層にまで浸透するかのような
ロバート・ワイアットのヴォーカルが
堪能できる『EPs』

『EPs』(’99)/Robert Wyat
彼の音楽にはジャズ、現代音楽、ポップス、ワールド音楽などの影響が見られるが、時代に流されることのない重厚さと、この世のものとは思えないほどの美しいヴォーカルは、未来永劫聴き継がれていくと僕は確信している。今回取り上げる『EPs』は彼の代表曲を収録したコンピレーション作品で、ワイアット入門編でもあり上級編でもある名作のひとつ。
イギリスとアメリカのロックの背景
それに比べてイギリスのロックの先祖は、ブルース、クラシック、ジャズが大半を占めている。これらの音楽をもとにブルースロック(これはアメリカと同じであるが、イギリスでは即興演奏が長い場合が多い。これはジャズの影響だろう)、ジャズロック、プログレなどが生まれている。
では、イギリスはアメリカと比べて、なぜジャズの影響が大きいか。これはアメリカで食えない前衛ジャズミュージシャンたちがイギリスやヨーロッパに移住し、演奏活動を行なっていたことが大きい。売れないけれど優れたミュージシャンが大挙してイギリスで公演していたのだから、当時の若者が影響を受けないはずはないのだ。特に60年代はフリージャズ系のミュージシャンの全盛期でもあって、英ジャズロックは急速に成長することになるのである。
隠し味としてのポップ性
当初、ワイアットはソフト・マシーンの1作目『The Soft Machine』(‘68)と2作目『Volume Two』(’69)に見られたポップな部分に嫌気がさしていたようで、在籍中の70年に最初のソロ作『The End Of An Ear』をリリースしている。このアルバムは難解で、ジャズというよりはジャズ寄りの現代音楽のようであった。若くて野心家のワイアットは、この頃は難解なものを求めていたのだと思う。だから、ソフト・マシーンの3作目『Three』(‘70)や4作目の『Four』(’71)ではロック的な感覚は封印し、まるでフリージャズのグループのような難解さを前面に押し出すようになる。
しかし、このアルバムを最後にワイアットはグループを脱退する。「難解なだけでは独りよがりになってしまうだけだ。やはりロック的なポップ性も重要だろう」と彼が考えたかどうかは分からない。ただ、ワイアットがソフト・マシーン脱退後に組んだ新グループのマッチング・モウルは、前衛的なサウンドに加えてポップなテイストを若干持ったグループであったことを考えると、僕の推測もあながち外れてはいないと思うのだ。おそらくワイアットは難解なジャズサウンドの中に、少しだけポップス的な感覚を忍ばせたかったのではないか。そして、その答えがマッチング・モウルにあったのだ。
不慮の事故と表現の転換
事故から1年後、彼は車椅子のヴォーカリスト兼キーボード奏者としてヴァージンレコードと契約、2ndソロアルバム『Rock Bottom』(‘74)で再起する。この作品でヴォーカリストとしての彼の才能は開花し、アルバム全編に満ちた人間味あふれる滋味深い味わいは、彼の新たなスタートを切るに相応しい内容となった。彼のリリカルで繊細なガラス細工のような表現は次作『Ruth Is Stranger Than Richard』(’75)でも継続されるが、これ以降は体調が思わしくなかったことと、ロック界の急激な変革(パンクとAORの台頭など)で沈黙してしまう。
ラフ・トレードで才能が開花
同じ82年、ラフ・トレードから新しい12インチシングル作品(3曲入り)がリリースされ、ジャケットの素晴らしさに惹かれ僕は迷わず入手した。それが『Shipbuilding』で、この世のものと思えないワイアットのヴォーカルと素晴らしい楽曲に完全に打ちのめされた記憶がある。タイトル曲はエルヴィス・コステロとクライヴ・ランガーの共作であった。残りの「Memories Of You」「Round Midnight」はどちらもジャズのスタンダードであるにもかかわらず、完全にワイアットの世界が構築されている、この2曲も名曲だ。ラフ・トレード在籍中にワイアットの才能は完全に花開いたと思う。今でも僕の中ではワイアットの最高傑作はこの3曲だ。この『Shipbuilding』は全英チャートでトップ40に食い込み、セールス的にも成功している。
本作『EPs』について
CD2は前述の名曲中の名曲の12インチ『Shipbuilding』からの3曲と、他のコンピ『The Liberator』(‘86)から「Pigs…(In There)」を収録。CD3は4曲入りシングル『Work In Progress』(‘84)から全曲収録。CD4はサントラでミニアルバム『The Animal Film』(‘82)から同曲収録。上記のCD2〜4はラフ・トレード時代にリリースされたもの。CD5は97年にハンニバルレコードからリリースされた、ソロ8作目にあたるアルバム『Shleep』より4曲をリミックス収録している。
僕は何と言ってもCD2を推すが、本作は70年代〜90年代の秀作が一挙に楽しめるので、ぜひ入手してロバート・ワイアットの“この世のものとは思えないほどの癒やし”を味わってみてください♪
TEXT:河崎直人