エルヴィス・コステロの原点的1stア
ルバム『マイ・エイム・イズ・トゥル
ー』

エルヴィス・コステロの名盤を選ぶのは、とても難しい。時期によって変貌し、音楽の旅を続けてきたとも言えるコステロの作品はどれも聴き応えがあり、人によって好きなアルバムが違うと容易に想像がつくからだ。だから、「これが一番最高」というよりも、会社員だったコステロがミュージシャンへと転職(?)し、のちにブレイクするきっかけとなった初のアルバム『マイ・エイム・イズ・トゥルー』('77)を紹介しよう。代表曲のひとつの名バラード「アリソン」が収録されている作品であり、若き日のエルヴィス・コステロに出会える一枚だ。

英国のみならず日本のアーティストから
もリスペクトされる存在

今年の夏に還暦を迎えるコステロは、これまでに何度も来日公演を果たしている。昨年、2013年末に来日した時にはステージに名曲が書かれた巨大なルーレットを設置し、選ばれたオーディエンスがルーレットを回して当たった曲を演奏していくスタイルのコンサートが話題になったが、1990年代以降は『フジロック』や『サマーソニック』などの夏フェスにも積極的に出演。昨年、他界したルー・リード(トリビュートパフォーマンスにコステロもニール・ヤングらと出演)と同じぐらい気難しいアーティストというイメージがある一方で、日本のアーティストから非常に愛されている存在である。ミスチルの桜井和寿が大ヒット曲「シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜」でコステロ好きを表明したのは有名な話だが、佐野元春は「新作が出たら、つい聴いてみたくなるアーティスト」と発言しているし、布袋寅泰は” スーツ“をテーマにしたブログで「デビューの頃のエルヴィス・コステロは細身のスーツにバディ・ホリーばりの黒メガネでジャズ・マスターを抱え、両膝を内股にくの字にして上目遣いのインテリジェントな視線を投げた」と記している。そのブログで布袋氏もスーツを着こなすカッコ良いロックミュージシャンのひとりとして触れているが、今年、結成35周年を迎えたシーナ&ロケッツの鮎川誠を初めて見た時はタイトなスーツと細いネクタイでギターをかき鳴らす姿がコステロと重なった。氷室京介もコステロ好きで知られているし、河村隆一も好きなアーティストにコステロとビリー・ジョエルの名を挙げているし、コブクロも彼の影響を受けているという。日本でレーベルを超えて大物アーティストによるエルヴィス・コステロのトリビュート盤(1枚リリースされているが)が出たら、大ヒットするのではないかと思うほどだ。
そして、海外のアーティストにも関わらず、なぜ、こんなにコステロがリスペクトされているかというと、単純にアレンジのセンスや歌詞も含め、ソングライターとして素晴らしい曲を書き続けてきたから。そして、聴けば聴くほど味わいのある魅力的なヴォーカリストだからだと思う。いわゆるロックレジェンド的なぶっ飛んだエピソードが少ないにもかかわらず、支持されているのはそういうことなのではないかーー。パンクムーヴメントまっただ中に登場し、のちにルーツミュージックを掘り下げ、カントリーのカバーアルバムをリリースしたり、自身が影響を受けたバート・バカラックやポール・マッカートニーとコラボレートした作品を発表したり、ジャズやバレエ音楽にも傾倒しているコステロは”生き様そのものがアーティスト”というタイプではなく、CDショップに行ったらジャケ買いも含め、どっさり大人買いしてしまうような無類の音楽好きで探求気質の人なのではないだろうか。もともとはコンピュータ技師だったという経歴も何だかうなづけるものがあるが、もし、彼がもっと遅く生まれたら宅録アーティストとしてやっぱり名曲を生み出し、頭角を表したのではないかと想像してしまう。

1stアルバム『マイ・エイム・イズ・ト
ゥルー』

コンピュータ技師として働いていた時代に制作された1stアルバム。自身の文章によると、それは家族を養うためで以前からパブなどでライヴを行ない、常に新曲を書き、デモテープを送ったり、レコード会社に乗り込んでいって積極的に自分の作品をアピールしていたらしい。プロデュースを手がけているのはパンクロックに影響を与えたパブロックの代表格のひとりであるニック・ロウで、もともとコステロはニックの追っかけと自ら認めているほどの大ファン。彼と知り合ったことがデビューにつながるチャンスとなった。リリースされたのがイギリスでセックス・ピストルズやクラッシュ(コステロもクラッシュのアルバムにはかなりショックを受けたらしい)がシーンの話題をさらっていった1977年であることを抜きには、本作は語れないだろう。実際、アルバムのラストを飾るレゲエのビートを取り入れたナンバー「ウォッチング・ザ・ディテクティヴス」にはクラッシュの影響が感じられる。醒めた視線のシニカルな歌詞と斜に構えたスタイルのせいで、「怒れる若者」と評されていた初期のコステロだが、改めて1stアルバムを聴いて思うことは、荒削りながらやはりメロディーが光っているということだった。もちろんパンク台頭の時代の空気もパッケージされているが、当時、20代前半だったコステロが「とりあえず俺もギターかき鳴らして叫ぶぜ!」という直情型のミュージシャンではなく、50年代〜60年代のロックンロールやR&B、ビートルズ、ザ・バンドなどを聴きこんでコピーしてきたという下地があってデビューしたことがよく分かる楽曲ばかりなのだ。
バックを務めているのは、後に有名になるエルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズではなく、ヒューイ・ルイスらが在籍していたアメリカのバンド、ザ・クローヴァーで、そのせいもあるのかコステロのひと筋縄ではいかないイギリス人気質と開放的なアメリカ的テイストが渾然一体となっている感がある。エッジの効いたサビがクールでニューウェイブ的匂いを放つ「レス・ザン・ゼロ」は初のシングルで、2ndシングル「アリソン」はのちにリンダ・ロンシュタットがカバーして有名になり、代表曲となったが、当時はシングルも本作もそれほどのヒットにはならなかった。が、確実にこの時、希代のメロディメーカーは誕生したのだ。そのことを証明する記念すべき処女作だ。

著者:山本弘子

OKMusic編集部

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