伝説を生き抜いてきた3人組CS&Nが残
した米国フォーク/ロック史に残る大
傑作

 CS&N(Crosby, Stills & Nash)がやって来る! 3名揃ってでは2度目、約20年振りとなる。3月5日と6日、東京・東京国際フォーラムでの公演を皮切りに、3月9日には大阪・フェスティバルホール、3月10日に福岡・福岡サンパレス、3月12日に愛知・名古屋市公会堂で。そして、追加公演が3月19日に大阪・フェスティバルホールで行われることが決定している。CS&N、そしてニール・ヤングを加えたCSN&Yはポピュラー音楽史に残るユニットであり、彼らの出現以降のアメリカのみならず、世界中のフォーク、ロックに及ぼした影響は計り知れない。今回は来日を記念して、彼らの代表作『Crosby, Stills & Nash』('69)を聴いてみよう。

 来日というビッグニュースもさることながら、このところCS&N / CSN&Y周辺が賑やかではないか? 相変わらず“Y”ことニール・ヤングは衰え知らずなリリースラッシュで、先頃、最新作『Storytone』('14)がリリースされたばかり。一方、昨年はCSN&Yの1974年の再結成ツアーの全貌をとらえたCD+DVD(4枚)からなるセット『CSNY 1974』がリリースされ、2014年度の超話題リイシュー作としてファンや業界関係者を賑わせたばかり。といったところで、今回の話題というか、『Crosby, Stills & Nash』に移ろう。
 いつもの儀式のように、原稿を書く前にレコード棚を探ってみる。探すアイテムはすぐに見つかった。『Crosby, Stills & Nash』と次作となる『Deja vu』('70)がちゃんと並んで収納されていた。もちろん、『4 Way Street』('71)も一緒にある。スティーヴン・スティルスのソロ作、マナサス名義のアルバムもその隣に並んでいるのだが、『4 Way~』以降のCS&N、各メンバーのソロ作、リユニオンとなったCSN&Yのアルバムなどは、CDで購入したらしく、別のラックに並べられていた。
 久しぶりにアナログ盤を取り出してみると、ジャケットの中にはご丁寧に購入日を記した紙片が挟まっており、『Crosby, Stills & Nash』は1974年12月20日、『Deja vu』は1975年1月10日とある。思い返してみると、自分の誕生日に『Crosby, Stills & Nash』を買って一発で気に入った私は、お正月のお年玉を使ってすぐさま間髪を入れず立て続けに『Deja vu』を買いに走ったらしい。こういう行動が分かるだけでも、購入記録を残しておくのも悪くないものだ。購入年から換算してみると、買ったのは中学2年生だったことになる。あちこちシミも目立つ。なにせ40年以上経っているのだから。アトランティック原盤で配給はワーナー・パイオニア株式会社。値段は2,500円と表記されている。ライナーノーツはなく、歌詞だけ載せられたシートが1枚のみ付いている。
 何を思って彼らのアルバムを買おうと思ったのかは、今となっては記憶は定かではないが、同い年のクラスメートや部活の仲間にこの種の音楽を聴いている奴は皆無だったので、年上の先輩に勧められたり、音楽雑誌を見るうちにそこに書かれていた彼らの記事を目にして気になっていったのだろうか。
 原稿を書き始めて、アッと思った。書きながら、ちょうど『Deja vu』を聴いているところだったのだが、ナッシュ作の「Teach Your Children」が流れたところで、急いでもう一度レコード棚を探ったら、もう1枚あった。映画『小さな恋のメロディ』('71)のサントラ盤。この曲は大ヒットした同映画で、主演の男女(マーク・レスター、トレイシー・ハイド)がトロッコに乗って走り去っていくのラストシーンに使われたものだった。グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアが客演して見事なペダルスティールを披露する、実に温かな曲だ。
 アラン・パーカー監督の出世作となったこの淡いティーンの恋愛を描いたイギリス映画は本当に素晴らしいもので、そのサントラは全編がビージーズ(まだディスコ曲でブレイクする前の純英国フォーク/ソフトロックだった頃の)が担当する中、唯一、CSN&Yの「Teach Your Children」だけが、そこに割り込んでいたのだ。そのサントラ盤を、映画鑑賞後に私は買っていたらしい。というわけで、私はほぼリアルタイムでCS&NおよびCSN&Yのことは知っていたとみえる。遠い日の思い出…。読者には何の関係もないが、まだご覧になったことがない方には、ぜひ映画『小さな恋のメロディ』もお勧めしておく。ミック・ジャガーも出てくるし。もちろん、後述するが、彼らの音楽と姿をとらえた作品としてドキュメンタリー映画『ウッドストック』('70)は外せない。こちらは超有名なアイテムとして、現在でも入手はたやすいだろう。

鮮烈なコーラスと複雑かつ変則的なギタ
ーが生み出した斬新なサウンド

 初めて『Crosby, Stills & Nash』('69)を聴いた時は軽い衝撃を覚えたものだった。オープニングを飾る組曲「Suite:Judy Blue Eyes(邦題:青い目のジュディ)」のコーラスハーモニーがとにかく素晴らしかった。転調の多いこの組曲はほとんどアコースティックギター(クロスビーとスティルスか)を主体に、グルービーなベース(スティルスが弾いている)で幕開け、曲が進むにつれ、スティルスのエレキ、ドラム(アルバムではダラス・テイラーとジム・ゴードンが担当している)が絡んでくるのだが、この1曲だけで彼らが自分の持ち味をぶつけ合うことで音楽を作り上げようとしているさまが聴き取れる。バンドという協調性を旨とする集まりとは彼らは違うのではないかと、中学生の耳にさえ朧気ながら思った記憶がある。かといって、好き放題に音が絡み合っているわけではなく、変化に富む曲にわざとらしさはなく、見事なまでのコンビネーションで展開している。アコースティックなのに、そこからは確実に新しい何かが生まれようとするロック的なニュアンスが伝わってきた。それがまた、ロックシーンを彩る数多くのバンドよりも一歩も二歩、三歩も上を行く知性と才覚を感じさせるものだった。
 デビュー時の、特に日本においては彼らは“夢のスーパーグループ登場!”みたいな売り出し文句で紹介されていた。3人はユニットとしてひとつにまとまる以前にそれぞれが、すでに世間で知られるアーティストだった。もっとも、今でこそ3(+1)人が在籍していたこともあってバーズ(The Byrds)バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)、ホリーズ(The Hollies)の名は知られているけれど、当時はそれらのバンドのことを、日本ではどのくらい知られていたのか疑問だ。どう考えても『Crosby, Stills & Nash』の大ヒットがあり、それに続いて“彼らの在籍した…”と経歴を遡るように、それぞれのバンドの存在も知られるようになったに違いない。
 簡単に3人の経歴など紹介しておこう。デビッド・クロスビーは1941年、ロスアンジェルス生まれ。カレッジ時代にフォークに目覚め、ロジャー・マッギン、ジーン・クラークと出会って、ザ・バーズを結成する。バーズはボブ・ディランの曲をエレクトリック化することで一躍世間の注目を浴びることになったが、その代表的な作品は「Mr.Tambourine Man」「Eight Miles High」「Turn! Turn! Turn!」をはじめ数多いが、クロスビーは主にリズムギターとヴォーカルを担当していた。次第にロジャー・マッギンと確執を深めるようになって脱退してしまうのだが、CS&Nを組むまではジョニ・ミッチェルのアルバム制作(プロデュース)などをしていた。ちなみにバーズはクロスビーがいた頃はいわゆるフォークロックと言われたりする路線だったが、次第にカントリー路線にシフトしていく。彼らもアメリカンロックを代表する重要なバンドなので、いつか単独で取り上げてみたいものだ。CS&Nにおいてはギターと言えばスティルスの名が先に上ってしまうところがあるが、クロスビーこそは変速チューニングの名手であり、彼なくしてはCS&Nのちょっと異質のギターサウンドは生まれなかっただろう。
 スティーヴン・スティルスは1945年、テキサス州ダラス生まれ。子どもの頃は父親の仕事で全米各地を転々とし、南米のコスタリカに暮らしていたこともある。彼の音楽に時折見え隠れするラテン趣味はそのあたりのルーツのせい。カレッジ時代に音楽に目覚め、60年代のフォークブームの頃にニューヨークのグリニッジ・ヴィレジに向かい、フレッド・ニールの影響を受け、オウ・ゴー・ゴー・シンガーズのメンバーに加わる。このバンドで初レコーディングを経験している。その後、西海岸に向かい、リッチー・ヒューレイ、ニール・ヤングらとバッファロー・スプリンフィールドを結成するのだ。バッファロー・スプリンフィールドもザ・バーズ同様にロック史上最重要バンドのひとつに数えられるバンドなので、いつか取り上げてみたいものだ。話を続けると、バッファロー~解散後はスティルスは主にセッションミュージシャンとして活動していた。中でも彼の名を世間に知らしめたのが、当代きってのスーパーギタリストだったマイク・ブルームフィールド、そしてアル・クーパーらとの有名な『Super Session』('68)に参加したことだ。
 グラハム・ナッシュは1942年、マンチェスター生まれ。唯一の英国人である。小学校のクラスメートだったアラン・クラークと聖歌隊などを経て音楽活動を始める。音楽のスタートは1957年頃ということだが、メンバーを加えてザ・ホリーズと名乗るのは1962年頃、というからほぼローリング・ストーンズ、ビートルズらと同窓みたいなもの。エヴァリー・ブラザースに大きな影響を受けたナッシュたちホリーズの売りは3声コーラス。この経験はCS&Nで存分に生かされることになるわけだ。初期のビートポップスなスタイルからフォークロックへと変遷する中で、秀逸なアルバム、ヒット曲を残している。ナッシュはビートルズのコンセプト作に刺激を受けて制作された『Butterfly』('67)を最後にバンドを脱退、クロスビーやスティルスと知り合ったこともあり、カリフォルニアに移住する。ザ・ホリーズはナッシュ脱退後も人気は持続し、日本にも1968年に来日している。ほとんど活動のニュースは聞かないが、何と現在もバンドは継続中らしい。
 ニール・ヤングについては今回は触れずにおこう。単独で紹介すべきとてつもない大きな存在でもあり、あくまで今回はCS&Nということで。

三者三様の個性が絡んで生まれた化学反

 3人が出会ったのは、1968年の夏のことだと言われている。諸説あるが、まぁ一番ロマンチックなものを選ぶとすると、その年にローレル・キャニオンのジョニ・ミッチェルの家で開かれたパーティーでの出会いが発端とされている。その時、すでにジョニとクロスビーは恋人同士だった。パーティー客の中にはママス&パパスの女性シンガー、キャス・エリオット、それにエリック・クラプトンやデイヴ・メイスンもいたという話がある。実際に著名な写真家であるヘンリー・ディルツによって撮られた写真にはジョニ、クロスビーと一緒のクラプトン(当時はクリームで活動中)の姿もとらえられているが、その日のパーティーでのものなのか確証は得られていない。とにかく、クロスビー、スティルス、ナッシュの3人はすでに顔見知りだったというが、そのパーティー中、なんとなく始まったジャムでクロスビーとスティルスが「You Don't Have To Cry」(本盤にも収録)を演奏し始めたところにナッシュがハーモニーを付けると、周囲にいたものが卒倒せんばかりになり、その素晴らしさを絶賛したのだ。もちろん、やっている本人たちも奇跡が起こったことは認識しており、その瞬間にバンドを結成することを思い立ったという。その段階ではクロスビーとスティルスはそれぞれ、The Byrdsから脱退、Buffalo Springfieldはすでに解散というフリーな立場。ナッシュはまだギリギリThe Holliesに在籍中だったものの、自分の書いた曲がことごとくアルバムには採用されないという不満を抱えており、そろそろ脱退を考えていたところだった。
 情報の伝わらない日本では考えられなかったろうが、大物3人が組むという情報はたちまち業界内に伝わり、レコーディング契約がいくつも持ちかけられる。中にはジョージ・ハリスンの勧めもあって、アップル・レコードからリリースという話もあったらしい。CS&N側も乗り気だったのだが、タイミング悪くアップルはビートルズの内紛でゴタついており断念(実現していれば、アップルはCS&N、ジェームス・テイラーを抱えることになっていたわけだ)。結局、彼らにとっては最良とも言うべき、アーメット・アーティガン総帥の率いるアトランティック・レコードと契約する。アトランティックはレイ・チャールズやアレサ・フランクリンをはじめとしたソウル系に強いレーベルだったが、60年代末からレッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズ、イエスをはじめとしたロック勢にも目を付けるようになっていた。好条件の契約に加え、豊富な資金面のバックアップもあり、CS&Nは当時としては異例の600時間をかけて綿密なレコーディングを行ない、完成したのが本作『Crosby, Stills & Nash』だった。アルバムからは「Suite:Judy Blue Eyes(邦題:青い目のジュディ)」と「Marrakesh Express(邦題:)マラケシュ行急行」のシングルヒットが生まれ、アルバムはいきなり全米チャート6位を獲得する。そして、CS&Nはその年のグラミー賞の新人賞まで獲得している。
 アルバム『Crosby, Stills & Nash』の期待を上回る出来映えで、彼らはいきなりビッグネーム、トップアクトの座を得る。アルバムを出したのなら次はライヴパフォーマンスである。だが、この段階でCS&Nの3人でライヴを披露したという話は聞いていない。ほどなく、スティルスの提案で、バッファロー~時代の同僚、ニール・ヤングが招き入れられる。そして、CS&NはCSN&Yへと発展する。どうしてニール・ヤングを加えることになったのか、真意ははっきりと分かっていない。凄腕のソングライターであるヤングを加えて、ユニットの楽曲面での強化を図ろうとしたとも、ニールのアグレッシブなギターを足したくなったとも、力関係のバランスを取るために旧知のヤングをスティルスは引き込みたかった等々、いろいろ言われているがよく分からない。ニール・ヤングにしてもソロデビューの計画を着々と進めていた時期であり(『Crosby, Stills & Nash』のレコーディングとほぼ同時に1stソロ作『Neil Young』の制作が行なわれ、1969年1月にリリースされている)、CS&Nに加わる必要も実のところなかったと言われている。一説にはビッグネームのユニットの一員に加わることでの自分の知名度もアップし、宣伝となることを「それも悪くないか」と目算したという話もある。
 そしていよいよ、ヤングを加えてライヴを、というタイミングでビッグなオファーが舞い込んでくる。それが愛と平和の3日間『ウッドストック・ミュージック&アート・フェスティヴァル』だった。今思えばとんでもない豪華アーティストが揃ったあのビッグフェスだが、主催者のマイケル・ラングが確信していたのは、あのフェスの目玉になるのはCSN&Yとジミ・ヘンドリックスだった。映画の中ではトリを務めたジミ・ヘンドリックスは別格だが、スライ&ファミリー・ストーンもいい場面をかっさらうし、ザ・フーの強烈なパフォーマンス、熱波のようなサンタナのステージ、他、白眉となるパフォーマンスが続出した。その中で、もちろんCSN&Yも観ているものの目を釘付けにするようなシーンを披露している。どういう理由なのか、映画ではニールの姿は映っていない(はず)のだが、ショーの中で3人のうちの誰の喋りだったか忘れたが、このステージが我々の2回目のものだ(1回目は半月ほど前に行なわれたニューヨークのフィルモア・イースト)と告げている。観客の熱狂もすごいものだった。その中で彼らはすでに超大物の貫禄を見せつけている。ウッドストック・フェスの音源も近年きちんと整理され、当日のCSN&Yのステージは(1)「Suite:Judy Blue Eyes(邦題:青い目のジュディ)」(2)「Guinnevere」(3)「Marrakesh Express(邦題:マラケシュ行急行)」(4)「4+20」(5)「Wooden Ships」の音源が残されている。そして、映画を締め括るロールテロップに流れるのもCSN&Yの「Woodstock」(ジョニ・ミッチェル作)である。
 ウッドストック後はヤングも含めた文字通りCSN&Yによる大々的な全米、ヨーロッパツアー(『Carry On Tour』)が組まれ、合間を縫うように次作『Deja vu』のレコーディングが敢行され、同作は翌年1970年3月にリリース。たちまちチャートの1位を獲得する。本作はCSN&Yの他、バックアップミュージシャンとしてドラムにダラス・テイラー(今年1月に亡くなったばかり)、ベースにグレッグ・リーヴス、そしてゲストにジェリー・ガルシア、ジョン・セバスチャンらが名を連ねている。私事になるが、2004年にジョン・セバスチャンにインタビューをした時に「あなたの名前を知ったのはCSN&Yのアルバムが最初でした」と告げると、「懐かしいなぁ」と言い、とても嬉しそうだったことを覚えている。
 『Deja vu』は前作『Crosby, Stills & Nash』よりも好成績を残すものの、どこかまとまりを欠いたアルバムだという印象がある。佳作が並んでいるし、冒頭で紹介した「Teach Your Children」や「Our House」のような温かな曲もある。クロスビー、そしてヤングも自分の持ち味を生かした曲を披露している。エレクトリックなサウンドに傾いているのはヤングが加入し、その彼を引き込んだ張本人でるはずのスティルスと確執が始まっていたことも関係しているのだろうか。

 ヤングとスティルスの確執。その激しさはバッファロー~時代から有名で、時には相手に向かってギターや椅子を投げつけるほどの激しいものだったという。そもそもはスティルスの誘いでニールはバッファロー、そしてCSN&Yに加わるのだが、スティルスとの確執が絶えず、どちらもそれが原因で脱退してしまう。気性の激しそうなのヤングだが、実はスティルスのエゴの強さが半端じゃないらしい。CSN&Y分散後もユニットは再編、リユニオンを繰り返したり、ヤングとスティルスにいたってはスティルスのバンドにヤングが加わるかたちで一度“Stills Young Band”が組まれてライヴ、レコーディング『Long May You Run』('76)も残し、ツアーが敢行されているのだが、案の定、途中でふたりの関係が決裂し、ツアーは終了を待たず頓挫している。とはいえ、双方の談によれば、ふたりは互いを嫌っているわけでもなければ、仲が悪いというのとも違うのだそうだ。要するに、ぶつかってしまうわけだ。まぁ、それはCSN&Yにおいては他のメンバーもそうで、クロスビーの偏屈ぶりも結構有名である。ナッシュは唯一まともというか、彼からは荒くれ武勇伝などは聞こえて来ないし、表情を見ていると、他のメンバーよりずっと穏やかそうではある。音楽について言えば『Deja vu』ほどではないが、『Crosby, Stills & Nash』にも、どことなく彼らのエゴのぶつかり合いが化学反応を起こしているふうなのが聴き取れるのではないかと思う。この音楽はそうした簡単には妥協しない個性が、運良く融合できた結果生まれたのだと思う。だから、彼ら自身、このユニットが恒久的な活動をするとは最初から考えてはいなかったのだろう。それらしいグループ名など付けず、それぞれの固有名詞をつないだ名称にしたのも合点がいく。2009年には『Crosby, Stills & Nash』レコーディング時、そしてニール・ヤングが加わって間もない頃の音源からなる『Demos』というアルバムがリリースされている。彼らの音楽の制作過程がうかがえて興味深い。
 『Deja vu』リリース後に行なわれたツアー中(ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス)のライヴ音源を録り溜め、2枚組アルバムとしてリリースされたのが、『4Way Street』('71)で、ファンがそれを手にした頃にはユニットは一旦終熄を迎える。このアルバムは彼らの代表曲が全て網羅されているが、曲がりなりにもスタジオ作で聴けるような協調性をあまり感じさせず、互いのエゴがぶつかり、しのぎを削るような荒々しい仕上がりとなっている。それぞれのソロ作品も加えられ、もはやユニットというよりは共同体のかたちというべきか。だからと言って、ずさんな演奏やコーラスが記録されているわけではなく、優れた演奏家の集まりである彼らの、ライヴならではのダイナミズムが随所に感じられる。極めつけはヤング作の「Ohio」における彼とスティルスの壮絶なギターバトルだろうか。先述したふたりの確執を如実に感じられる演奏だ。このあと、日本では名残を惜しむように“金字塔”と題されたベスト盤などもリリースされたし、根強い人気を示すように『So Far』('74)というベスト作も組まれたように記憶している。
 CSN&Y分散後、クロスビーは1stソロ『If I Could Only Remember My Name』('71)、ナッシュは『Songs For Biginners』('71)といった秀作をリリースする。スティルスはそれより先に『Stephen Stills』('70)という傑作をものにしている。ヤングにいたってはCS&Nに合流する頃にはすでに『Neil Young』('69)、そして、この作何十年も運命を共にすることになる、自身のバックバンドともいうべきクレイジー・ホースとの『Everybody Knows This Is Nowhere』('69)、そして名盤『After The Gold Rush』('70)をリリースし、早くも最初のピークを迎えようとしていた。その後、1972年からクロスビーとナッシュはソロでの活動と並行してデュオというかたちで活動をはじめ、いくつかのアルバムを残している。1975年以降はそこにスティルスも加わって再びCS&Nとしてアルバム制作やライヴも行なわれている。
 最初のほうで紹介したが、昨年は“Y”を加えての再編成時のツアーを記録した『CSNY 1974』('14)がリリースされたばかりだが、なかなか重い腰を上げないというか、その必要がほとんどないはずのヤングを加えたCSN&Yでの活動も何度かリユニオンのかたちで実現している。リリースされたアルバム『American Dream』('88)、『Looking Forward』('99)はかつてほどの鋭さはないものの、彼らは彼ら。悪くない。
 彼らが米英のフォークやロックに及ぼした影響は計り知れないほど大きいのだが、日本とて例外ではない。そこで最後に“彼ら”のことにも触れておきたい。CS&Nの及ぼした影響ということで、ぜひお勧めしておきたいのが、70年代に日本のフォーク、ロック界で大きな足跡を残したグループ、GARO / ガロである。堀内護(昨年の急逝が惜しまれる) 、日高富明、大野真澄からなるグループはまさにCSNのやっているような極めてクオリティーの高い楽曲センスと演奏力、コーラスワークを併せ持ったグループだった。3人という編成もCS&Nと同じで、日高富明はギタリストとしても当時、日本を代表するプレイヤーのひとりだった。大野真澄は楽器は使わず、ヴォーカルのみに専念、というわけで彼はグラハム・ナッシュ役というべきか。「学生街の喫茶店」「地球はメリーゴーラウンド」「美しすぎて」等、ヒット作を連発して歌謡番組にもよく引っ張り出されていたが、もちろん彼らの本領はライヴで、並外れたテクニックは当時の演奏に接した人たちによって今も語り継がれている。動画サイトには彼らがテレビ番組収録のために演奏したCSNの「Suite:Judy Blue Eyes(邦題:青い目のジュディ)」を観ることができる。演奏の一部を披露するという程度のものではなく、本家顔負けの完全カバーとなっているので、興味のある方はぜひ検索してご覧になるのもいいかと思う。
 古くからのファンは彼らの来日を指折り数えて待つというところだろうか。彼らの公演期間中、折良く、「テイク・イット・イージー」や『レイト・フォー・ザ・スカイ』などのヒットでも知られるジャクソン・ブラウンがやはり日本公演中であり、公演日の重ならない日には、もしかすると、という期待もある。実現すれば70年代の米西海岸フォーク、ロックを牽引したビッグアーティストのまさかの競演となる。そんな贅沢を夢見てしまうのも、1991年にCrosby & Nashで来日した時にも、これまた日本公演で来日していたThe Orleans(オーリーンズ:日本ではオーリアンズ表記が一般的だが)のリーダー、ジョン・ホールが大阪公演で飛び入りするという大ハプニングがあったからなのだ。

著者:片山明

OKMusic編集部

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6コメント
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