ジャニス・ジョプリンの『パール』は
彼女の最高傑作であり、ロックとは何
かを問いかけ続ける問題作!

1970年10月4日、新作のレコーディングのために滞在していたホテルで、ジャニスはヘロインの過剰摂取によって亡くなっていた。同年9月にスタートした新作のレコーディングは、彼女の歌入れを1曲残すだけであったが、残念ながら完成はしなかった。その完成しなかったアルバムこそが、彼女の代表作であり最高傑作となった『パール』である。歌入れが永遠に不可能になった曲は、皮肉にも「生きながらブルースに葬られて」というタイトルだ。アルバムにはすでに完成していたバックトラックの演奏のみが収録されることになった。彼女の死後、3カ月後にリリースされた本作は、全米チャートで9週間にわたって1位に輝いたのだが、これは彼女への追悼を表すという理由ではなく、純粋にすぐれたアルバムであったからである。

ジャニス・ジョプリンの独創性

ジャニスが亡くなって、今年で46年になる。まだ27歳であった。その間、ロックシンガーとしての彼女の評価は変わっただろうか…。当然ではあるが、彼女に対する最大級の賛辞は、今も昔も何も変わっていない。ロックが生まれてすでに60年近くになる現在、ジャニスを超えるロックシンガーはいないと言い切っても言い過ぎではないだろう。彼女が世界中に与えた影響は計り知れないほど大きく、純度の高い究極のロックスピリットを世界に知らしめたその功績は、今も燦然と輝いている。
もちろん、ジャニスと比べて技術的に優れたシンガーは大勢いたし、今もたくさんいる。同時代には、黒人ソウルシンガーのアレサ・フランクリンやエタ・ジェイムズといった文句の付け難い歌手がいたし、白人ではトレイシー・ネルソンとボニー・ブラムレットの歌の巧さは群を抜いていた。しかし、ロックシンガーとしてのジャニスは、まさに唯一無二で、その表現方法はジャンル分けが不可能なほど独創的であった。特にライヴ時における衝撃的かつ圧倒的なパフォーマンスは神がかってさえいた。ジャニスは天才的な嗅覚で、フォーク、ブルース、ジャズなどの先達のエッセンスを我流で見事に吸収し、自分のスタイルに昇華し得た。彼女のフィルターを通して生み出された音は、ジャニス・ジョプリンというジャンルとしか言えないものであった。
また、もうひとつジャニスのすごいところは、とてつもなく大きい歌唱エネルギーである。これは実際に彼女のパフォーマンスを観た人なら実感しているはずで、ライヴ時にはこのまま死んでしまうのではないかと心配するぐらい、渾身の力を込めて歌うのだ。彼女の放出するエネルギーは、ライヴの度に完全にメーターを振り切ってしまっていた。ジャニスは薬物によって短い生命を絶たれたが、こんなパフォーマンスを続けていたら、薬物に関係なくいずれにしろ早逝していたはずで、文字通り彼女は音楽に命をかけていたのだろう。

『モンタレー・ポップ・フェス』への参

サンフランシスコ周辺では、1965年頃から大学生やヒッピーが中心となって大小さまざまなフェスが開催されるようになる。東海岸のニューヨークでもアンディ・ウォーホルが中心となって、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドらのイベントが行なわれてはいたが、それは商業的な利益を優先したプロの仕事であった。サンフランシスコ界隈でのフェスは手作り感にあふれていたというか、当初は楽しみたい人間が集まって自然発生的に起こっており、その素人っぽさが受けた。サンフランシスコの若者たちはカウンターカルチャー(1)を意識していたから、それも追い風になってどんどん広がっていった。現在、世界各地で見られるフェスは、サンフランシスコでのこの時代のスタイルが基盤となっている。
そして1967年、カリフォルニアのモンタレーで世界初とも言える大ロック・フェスが開催される。これが『モンタレー・ポップ・フェスティバル』だ(注:よくモントルーと間違えられるが、それはジャズで有名なフェス(『モントルー・ジャズ・フェスティバル』)で、スイスのモントルー(Montruex)で開催されている。こっちのフェスはモンタレー(Monterey)なので注意)。
3日間に及ぶこのフェスではイベントの名前通り、ロックだけでなくソウルやポップスのグループが大勢出演した。ロックについては会場に近いこともあって、サンフランシスコやロサンジェルス周辺のミュージシャンが目立っている。ジェファーソン・エアプレイン、クイックシルバー・メッセンジャー・サービス、バーズ、スティーブ・ミラー・ブルース・バンド、モビー・グレイプ、アソシエイション、ママス・アンド・パパスなどがそうだ。観客は2万人ほどが詰めかけ、このフェスの成功で、69年の『ウッドストック・フェス』、70年の『ワイト島フェス』、60万人を集めた『ワトキンス・グレン・フェス』などへの道筋を作ることになる。
当時、全米規模で売れていたのは、カリフォルニア勢ではママス・アンド・パパス、バーズ、アソシエイションぐらいではなかったか。今なら、このフェスに参加した顔ぶれを見て豪華なメンバーだと感じるだろうが、当時はほぼ無名で、逆に『モンタレー・ポップ・フェスティバル』に参加することで、レコード契約にこぎつけたり、広く名前を知られるようになる…という時代なのだ。
中でも、ジャニスの在籍したビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニーは無名だった。すでにデビューアルバムはリリースしていたものの、演奏力の未熟さが目立ちまったく売れなかったのである。このフェスでも彼らの稚拙な演奏は失笑を買うことになるのだが、ジャニスの圧倒的なヴォーカルとカリスマ的な存在感は、そんなマイナス面をものともせず、大きな賛辞が寄せられることになる。
この3日間でもっとも多くの観客を惹き付けたのが、南部から呼び寄せられた稀代のソウルシンガー、オーティス・レディングとジャニス・ジョプリンのふたりであった。ジャニスはオーティス・レディングに影響を受けていただけに、感慨ひとしおといったところだったはずだ。
このフェスのDVDは今でも簡単に入手できるはずなので、できればジャニスの「ボール・アンド・チェイン」の映像をチェックしてほしい。たぶん、知らない人なら彼女のすごさにぶっ飛ぶと思うので…。

ジャニスとバック・グループの変遷

結局、『モンタレー・ポップ・フェス』の大成功で、大手レコード会社のコロンビアとの契約を交わすこととなり、68年にビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー名義で『Cheap Thrills』を発表する。これは彼女の得意とするライヴレコーディングを集めたもので、やはりバックの演奏が弱いのは変わらないのだが、ここでも彼女の圧倒的なヴォーカルが素晴らしく全米1位を獲得、ジャニスの名声は揺るぎないものとなった。
レコード会社の意向もあったのだろう。ジャニスはビッグ・ブラザーを脱退し、新たなグループ(というか、次作のレコーディング用に集められた)のコズミック・ブルース・バンドを結成し、スタジオ録音で固めた『コズミック・ブルースを歌う(原題:I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!)』(‘69)をリリースする。コズミック・ブルース・バンドは、ビッグ・ブラザー時代と比べるとバックの演奏は安定しているものの、逆に大人しくて覇気がないとも言われた。しかし、ジャニスのヴォーカルは今回も文句なしの仕上がりで、アルバムは全米5位まで上昇している。なお、この作品はジャニスのソロ名義でリリースされている。この度、聴き直してみたら素晴らしい内容であることを再認識した。ホーン・セクションも加わって、彼女の作品中、一番ソウルっぽい仕上がりを見せる。
コズミック・ブルース・バンドはレコーディング用に急造されたということもあって『コズミック・ブルースを歌う』リリース後、再編成されることになる。それが、1970年5月に結成されたフル・ティルト・ブギーである。よくフル・ティルト・ブギー・バンドという表記を見かけるが、『パール』のジャケットでも“バンド”は付いておらず、あくまでも“フル・ティルト・ブギー”だ。このグループはカナダ人とアメリカ人の混合で、名手揃いである。彼らは、ジャニスが亡くなるまでサポートすることになる。

映画『フェスティバル・エクスプレス』

ジャニスは、新作のレコーディングに先駆け、フル・ティルト・ブギーと一緒にカナダ・ツアーに出かける。その時の映像が『フェスティバル・エクスプレス』という映画で観られる(DVDで入手可能)のだが、プライベートっぽいものからコンサートの様子まで、彼女の貴重な映像が満載だ。列車内でザ・バンドの故リック・ダンコとジャニスが談笑しながらデュエットするシーンは、何度観ても落涙ものである。ただ、コンサートのシーンではジャニスは本調子ではなく、かなり疲れがたまっているように見えた。

本作『パール』について

ツアーから帰ったジャニスは、しばしの休息をとり、9月からレコーディングを開始する。そして冒頭でも述べたように、1カ月後の10月にあっけなく亡くなってしまうのだ。最後の1曲の歌入れを残したままで…。
アルバムはアメリカではシングルカットされていない、彼女最大の名曲「ジャニスの祈り(原題:Move Over)」からスタートする。中2の頃、日本ではこの曲がシングルカットされ大ヒット、毎日のようにラジオでかかっていたのを覚えている。おそらく50歳代以上の人ならこの曲を知らない人はいないだろう。今聴いても鳥肌が立つほど感動するのだが、彼女のエネルギーは時代を超えても確実に伝わると思う(今もCMでは時折使われているし、GLIM SPANKYがSUZUKI「ワゴンRスティングレー」のテレビCMでカバーしていたのも記憶に新しい)。
他にもカントリーシンガーのクリス・クリストファーソンの代表曲で、ジャニスのバージョンが全米1位に輝いた「ミー・アンド・ボビー・マッギー」や、オーリンズのジョン・ホールが売れない頃に書いた名曲「ハーフ・ムーン」、アカペラで歌われる「メルセデス・ベンツ」、彼女の代表曲のひとつ「クライ・ベイビー」など、素晴らしいバックの演奏に乗せて、ジャニスの魂の叫びが重く心に響いてくる。技術云々では語れない、直接心に訴えかけるようなジャニス・ジョプリンという歌手を、本作でぜひ味わってもらいたいと思う。

最後に…

本作『パール』のタイトルになっているのはジャニスの愛称である。アルバムに収録されているのは全部で10曲。全てが傾聴に値するほどの出来栄えで、ロック史上に残る名盤であることは言うまでもないが、その裏で酒やドラッグに溺れるほどの苦悩が彼女を苦しめていたのだと思うと、やるせない気持ちになってしまうのだ。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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