誠実で不器用なバンド、R.E.M.の本質
を浮かびあがらせる名盤『オートマチ
ック・フォー・ザ・ピープル』 

 ニルヴァーナのカート・コバーンやレディオヘッドのトム・ヨーク、U2のボーノ、コールドプレイなど多くのミュージシャンに影響を与えたアメリカのオルタナティブロックバンド、R.E.M.は数々の素晴らしいアルバムを残して2011年に解散してしまった。全米1位を獲得する大ヒットアルバムとなった前作『アウト・オブ・タイム』を経て、1992年にリリースされた『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』はジャケットのイメージ通り全体の印象はモノトーン。内省的な作品に仕上がっている。が、聴けば聴くほどハマる胸を締め付けられる楽曲が多く、国民的バンドの地位を獲得したにもかかわらず、ビッグビジネスの波に飲まれることがなかった誠実で不器用なバンド、R.E.M.の本質を浮かびあがらせる。派手なスキャンダルや戦略的プロモーションもなく、ジミで黙々としたイメージのせいか、日本では「なんで?」と思うほど評価に恵まれなかったが、今でも定期的にR.E.M.のアルバムを聴きたくなる衝動に駆られるほど彼らの音楽は生々しく痛く、美しい。のちにヴォーカリスト、マイケル・スタイプのことにも触れようと思うが、「R.E.M.のような曲が1曲でも書けたら」と生前に語っていたカート・コバーンが最期に聴いていたのがこの『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』だったというエピソードは有名である。

R.E.M.来日時の思い出とカート・コバー
ンとの絆

 R.E.M.が初来日を果たしたのは1984年で、早稲田大学などの学園祭に出演。カレッジシーンから出てきたバンドだったからだと思うが、アメリカでブレイクする前のことだ。その後、日本での人気にギャップがあったせいか、あまり多く来日はしていないが、「やっと見られる」と初日本武道館でR.E.M.のライヴを目の当たりにした時は感動で震えた。シャイだという話は聞いていたものの、マイケル・スタイプは終始、伏し目がち。MCはほとんどなかったと記憶しているが、覚えているのは、「次の曲は好きな曲なんだ」みたいな意味のことを言った後に客席に背中を向けて、『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』に収録されている「エヴリバディ・ハーツ」を歌い始めたことだった。《誰だって傷付いているんだ》というフレーズが繰り返されるこの曲は、増加する青少年の自殺に心を痛めたスタイプが書いたものだと後に雑誌の記事で読んだが、その時に受けた印象は励まそうとしている彼自身が人一倍、センシティブで傷つきやすい人間なんじゃないかということだった。だからこそ、言葉も文化も違ってもこの曲は刺さってくるのではないかと思った。めっちゃ折れやすそうな人が“誰だって涙するんだ”と勇気をふりしぼって歌うその姿は一生、忘れることはできないだろう。実際、1994年のカートの死にショックを受けたスタイプは(カートの異変に気づき、なんとか彼を救おうと生前にコラボレートの話を進めていた)、彼が亡くなった年にリリースされたアルバム『モンスター』でカート・コバーンとその妻、コートニー・ラブに捧げた2曲を収録。時は流れて、2014年4月にはロックンロールの殿堂入りを果たしたニルヴァーナに対し、マイケル・スタイプはN.Y.で開催された式典に登場し、彼らの果たした功績を熱く語った。R.E.M.解散後は彫刻などに傾倒していたというスタイプが、12月に敬愛するパティ・スミスのバースディライヴにサプライズ出演して歌ったというニュースもファンを喜ばせた。スタイプの話が多くなってしまったが、R.E.M.の音楽にはムダな音がなく、アメリカの伝統的なカントリーミュージックとパンクを融合させたような魅力がある。そして何より時代を映し出していた。

アルバム『オートマチック・フォー・ザ
・ピープル』

 アコースティック色を強め、元レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズが数曲のストリングスアレンジを担当している8作目のオリジナルアルバム。オーケストレーションと言っても大仰なものではなく、あくまでR.E.M.の世界を際立たせるアプローチなのはさすがである。前述した「エヴリバディ・ハーツ」はアルペジオで始まり、ストリングスがさりげなく絡むバラードで、美しく普遍的なメロディーとスタイプの切なさの塊のようなヴォーカルが素晴らしい名曲なので、ロック好きならずとも1度は聴いてほしいが、このアルバムは1曲目(第一弾シングル)の「ドライヴ」から個人的に鳥肌モノ。闇に吸い込まれていきそうな内省的でクールなロックなのだが、こういうR.E.M.の曲を聴くと、いつもアメリカのどこまでも続くハイウェイを思い出す。それはモーテルやガソリンスタンドが点在している荒涼とした映画に出てくるような風景だ。孤独が際限なく続いていくような感覚にドライバーは襲われないのだろうか?と昔から思っていたが、R.E.M.が表現していたのはハッピーでオープンで太陽が降り注ぐイメージのアメリカではなく、方向性を見失い、貧富の差は拡大、広大な大地で彷徨っている当時の時代性を含むものだったと思う。昨年のスピーチでスタイプ自身、1980年代の終わりから1990年代の頭にかけては、アメリカの希望に満ちた理想がレーガン、ブッシュ政権によって解体され始めた時代だったと語っているが、R.E.M.もニルヴァーナもそういう背景の中で叫びをあげたバンドだったのである。筆者は歌詞を読み込んでR.E.M.を聴いていたわけではないが、彼らの音楽を聴くと、いつも怒りだけではなく、古き良きアメリカへのノスタルジー、悲しみのようなものを感じていた。と同時にそれが不思議と心地良く、気持ちをゼロポイントに浄化させてくれるエネルギーも感じていた。ざっくり言ってしまうとR.E.M.の音楽はいろいろな感情を包みこんでしまう奥行きがあり、深いのである。アメリカの政治に警鐘を鳴らす「イグノーランド」、映画音楽のような優美なメロディーの「スター・ミー・キトゥン」、ファンの間でも神曲として絶賛される全てのメロディーが秀逸な「マン・オン・ザ・ムーン」、鍵盤で始まるシンプルなのに鮮やかに残る「ナイトスゥイミング」など聴き継がれてほしい名曲ばかり。静かに潜るようなアルバムなのにラストが希望を匂わせる「ファインド・ザ・リヴァー」で締められるのもグッとくる。

著者:山本弘子

OKMusic編集部

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