フリートウッド・マックの『噂』は半
年以上も全米1位の座に君臨したモン
スターアルバム

ジョン・メイオールのブルースブレイカーズと並び、ブリティッシュブルースロック界をリードしたのがフリートウッド・マックである。しかし、このグループは、メンバーが替わるたび音楽性も変わるカメレオンのようなグループとして知られている。「フリートウッド・マックが好き」と言われても、時代によってまったくサウンドが違うだけに、必ず「いつの?」と聞かなければならない厄介なグループなのだ。今回紹介する『噂(原題:Rumours)』は彼らがイギリスからアメリカに拠点を移した後の77年にリリースされ、半年以上も全米チャート1位を独占し、全世界で4000万枚を超えるセールスを記録した驚くべきアルバムだ。

「ブラック・マジック・ウーマン」

最初にフリートウッド・マックの作品に出会った時のことは、僕の忘れられない思い出となっている。サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」が大ヒットしていた頃、僕は中学生だった。カルロス・サンタナのロックフィールにあふれるギターワークに魅せられ、毎日のようにこの曲を聴いていたのだが、ある日これはカバー曲で、オリジナルはフリートウッド・マックというブリティッシュロックのグループだという事実を知ったのだ。もちろん、オリジナルじゃないからっていうだけでサンタナが嫌いになるわけではないが、オリジナルが聴きたい衝動は抑えられず、情報を収集していた。当時はインターネットもケータイもない(毎回この話を持ち出してごめん)ので、音楽雑誌かレコード屋さんで調べるしか術はないのである。
そして、レコード屋さんで見つけたのがフリートウッド・マックの『英吉利の薔薇』というコンピレーションアルバム。というか、当時はこのアルバムしか日本発売されていなかったと思う。このアルバムのジャケットがすごいインパクトで(リーダーのミック・フリートウッドの女装&変顔のアップ)、中学生の僕としては恥ずかしくて買えなかった。結局、友だちが買ったのを借りて聴くことになるのだが、内容は正統派のブルースで、理解するにはまだ難しかった。でも、「ブラック・マジック・ウーマン」が収録されており、この曲はサンタナと同じぐらいカッコ良かった。特にギターは素晴らしく、リードギタリストのピーター・グリーンのことが好きになった。

ブリティッシュブルース全盛時代とピー
ター・グリーン

イギリスでは60年代中期までにヤードバーズ、ブルースブレイカーズなどが力作をリリースし、ブリティッシュブルースが全英を席巻していたのだが、フリートウッド・マックもそのうちのひとつで、エリック・クラプトンと並び称されるほどのギタリスト、ピーター・グリーンが在籍していたことで大いに注目されていたのである。ヤードバーズには、クラプトン→ジェフ・ベック→ジミー・ペイジという三大ギタリストが入れ替わりで在籍しており、ヤードバーズを辞めたクラプトンはブルースブレイカーズに移籍、その後のロックの進む道を決定付けた名盤『ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』(‘66)をリリースし、イギリスで最高のギタリストとなった。
そして、クリームを結成するためにブルースブレイカーズを抜けたクラプトンの後任に選ばれたのがピーター・グリーン、その人であった。クラプトンの後釜ということでのプレッシャーは大きかったと思うが、グリーンは大いに注目され、イギリス全土にその名を知られることになるのである。そして、グリーンはその地位にあぐらをかくことなく、ブルースを極めるためにブルースブレイカーズを脱退すると、ブルースブレイカーズよりも泥臭い本物のブルースを求めて、ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マックを結成する。

フリートウッド・マックの結成と音楽性
の変化

ミック・フリートウッド、ジョン・マクヴィー(このふたりの名前がグループ名になっている)、ピーター・グリーン、ジェレミー・スペンサー(エルモア・ジェイムズのようなスライドギタリストで、彼もまた腕が良い)からなるブルースバンドがここに誕生する(67年)。特に最高のギタリストふたりをセンターにしたパワフルなブルースは、イギリスの若者たちのブルース熱をますます熱くさせるきっかけとなった。デビューアルバムはどろどろのブルース作にもかかわらず全英4位まで上昇し、世界的にも名前が知られるようになる。しばらくして、3人目のギタリストとなるダニー・カーワンが加入し、冒頭で説明したすごいジャケットのコンピレーションアルバム『英吉利の薔薇』(‘69)がアメリカ向けにリリースされる。彼らの活動はセールス的にも音楽的にも順調であったのだが、4枚目のアルバム『ゼン・プレイ・オン』(’69)から音楽性が変わり、ポップなサウンドが目立ち始めた。これはダニー・カーワンとグリーンの確執によって生まれたもので、もはやブルースバンドとは呼べないサウンドになり、グリーンはこのアルバムを最後に脱退してしまう。
ここから彼らの節操のない音楽活動が始まる。70年にリリースされた『キルン・ハウス』ではロカビリーやカントリーロックまで登場し、ますますカーワン色が濃くなっていき、スペンサーはこのアルバムを最後に脱退。新たにクリスティン・パーフェクト(後にジョン・マクヴィーと結婚しマクヴィー姓となる)とアメリカ人のボブ・ウェルチが加入し、今度は彼らがグループを引っ張っていく存在となる。特にボブ・ウェルチの存在は大きく、よりポップにグループは変化していく。72年にカーワンが脱退すると、グループはボブ・ウェルチがまとめていくのだが、度重なるメンバーチェンジや人間関係などで不安定な時期が続き、活動拠点をアメリカに移すものの74年にはウェルチも脱退してしまう。
普通のバンドなら、すでに3、4回は解散していてもよさそうなものだが、フリートウッドとマクヴィーがいる以上は続けるという確固たる信念のようなものがあったのだろうか。そのあたりは理解できないが、我慢した甲斐があったというか、ウェルチの脱退後に怒涛の巻き返しが始まるのである。75年初頭に新たに加入したのがリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックス。このふたりが参加した『ファンタスティック・マック(原題:Fleetwood Mac)』(‘75)では、バッキンガム、ニックス、クリスティンの3人のコンビネーション(曲作り、ヴォーカルの両面で)が素晴らしく、初の全米1位を獲得し、1年以上チャート内にとどまるという快挙を成し遂げた。特にスティーヴィー・ニックスの出で立ちは、妖艶なのに愛らしく、顔に似合わないハスキーさと哀愁を併せ持つヴォーカルなど、かなりのカリスマ性がある。彼女の存在がグループにとって大きな意味があったのは間違いないだろう。当時、ニックスはバッキンガムと付き合っていたが、イーグルスのドン・ヘンリーと隠れて付き合っており、離れたところにいる時でも会いたい時はヘリで行ったとドン・ヘンリー本人が語っていて、さすがに大陸のセレブは違うなと思った…。

本作『噂』について

『ファンタスティック・マック』が大ヒットする中でリリースされた本作『噂』(‘77)は、前作の延長線上にある作品だが、ますます3人のコンビネーションに磨きがかかり、グループとして初の全米チャート1位となる「ドリームス」をはじめ「ドント・ストップ」(3位)や「オウン・ウェイ(原題:Go Your Own Way)」(10位)など、多くのヒットを収録している。中でもバッキンガムのギターワークは素晴らしく、彼のミュージシャンとしての頂点がここにあると言っても過言ではないだろう。クリスティン・マクヴィー作で彼女の最高傑作といってもいい「ソングバード」は、このコーナーで紹介したことがあるエバ・キャシディのカバーバージョンが98年に大ヒット、それによって『噂』に再び注目が集まることにつながった。
収録されたナンバーは、フォーク、ロック、ポップスなどさまざまな形態があり、アルバム全体を通してAORの雰囲気を持っている。60年代にロック好きの少年少女だった若者が大人になり、聴きたい音楽がマイケル・フランクスや『呪われた夜』以降のイーグルス、マイケル・マクドナルドを擁するドゥービー・ブラザーズ、そしてこのフリートウッド・マックなのは、ある意味で時代の要請でもあったと言えるだろう。
本作は、トータルで4000万枚以上売り上げ、翌年のグラミー賞では最優秀アルバムに輝いている。大人のロック作品として、『噂』はこれからも多くの人に聴き続けられていくだろう。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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