ストーンズの『メイン・ストリートの
ならず者』は時が経つにつれて輝きを
増す稀有のアルバムだ!
ローリング・ストーンズ初の2枚組みアルバムとして、1972年の発売前から大きな話題を呼んだ本作であるが、リリース後は“ポップな曲が少ない”とか“2枚組みの意味があるのか?”など、批判的な意見が多かった。実際、シングルカットされて大ヒットしたのは「Tumbling Dice」(邦題:ダイスをころがせ)ぐらいだろう。しかし、2002年に発表された『ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・ベスト500』では7位に選ばれるなど、時が経つにつれて、その輝きは増している。もちろん、ロック史上に残る名盤であることは間違いない。
ビートルズ VS ローリング・ストーンズ
ただ、僕の経験上でひとつだけ確かなのは、ストーンズ好きは学校の中でも“不良っぽい”奴らが多かったこと。これはストーンズの私生活が、ドラッグや女性関係で乱れているというゴシップ記事が多かったことで、反骨のロッカーみたいな扱いを受けたことが大きい。また、初来日(1973年来日予定)が決定し、チケットも完売していたにもかかわらず、ミック・ジャガーのドラッグ裁判絡みで入国審査がおりず、直前に中止になったことも、反体制の旗頭として“不良”少年たちに崇められた要因だと思う。
結成からブライアン・ジョーンズの死ま
で
62年に結成されたローリング・ストーンズ(Wikipedia)は、当初ブライアン・ジョーンズがリーダーとなって、アメリカのブルースやR&Bを、独自のスタイル(コピーバンドではない)で演奏するグループであった。もちろん、ミック・ジャガーとキース・リチャーズもアメリカ黒人音楽オタクであり、その知識は膨大であったが、楽曲のアレンジや楽器の演奏技術については、ブライアン・ジョーンズのほうが格上であった。デビューして数年経つと、レコード会社の意向もあって、オリジナル中心のグループに方向転換していくのだが、この頃からブライアンのドラッグ依存や体調不良などで、徐々にジャガー&リチャーズの2人が主導権を握るようになる。69年にブライアンが不慮(他殺とも言われる)の死を遂げてからは、ツー・トップが決定的なものになる。 この時代のストーンズに影響されたグループは多く、日本でもRCサクセションや村八分をはじめ、パンクロッカーにまでその影響は及んでいる。
70年代中期までのストーンズ
このメンバーで発表した
『Let It Bleed』…ミック・テイラーは2曲のみ参加(’69)
『Get Yer Ya-Ya's Out!』…ミック・テイラーが参加した初のライヴ盤(’69)
『Sticky Fingers』…ジャケットデザインはアンディ・ウォーホル(’71)
『Exile on Main St.』…初の2枚組アルバムで、渋~いゲストが参加(’72)
『Goats Head Soup』…ジャマイカ録音が話題に。収録の「Angie」は全米1位(’73)
『It's Only Rock'n Roll』…ミック・テイラーが参加した最後の作品(’74)
これらのアルバムは、ストーンズの代表作だけでなく、ロック史上に輝く作品群でもある。
『Exile on Main St.』の全体像
LP時代『Exile on Main St.』が、『LAYLA~』と同じく2枚組という体裁でリリースされたのは、ひょっとしたら対抗的な意図があったのかもしれないが、どちらの作品もロック史上に残る結果となったのは興味深い。
『Exile on Main St.』を貫くサウンド
・イメージ
LP発売当時、『Exile on Main St.』(邦題:メイン・ストリートのならず者)(リンク:Wikipedia)は2枚組であった。CD化に際して1枚のディスクに収められるようになり、便利になったことはありがたいのだが、各面(サイド1からサイド4までの4面)の特徴があやふやになってしまったことは否めない。 各面にタイトルを付けるとすれば、サイド1は“ロックンロール・サイド”、サイド2は“フォークロック・サイド”、サイド3は“スワンプロック・サイド”、サイド4は“ブルース&ゴスペル・サイド”みたいな感じかな…サイド3と4は似通った部分があるので、両面で“スワンプロック・サイド”にしても良いかもしれない。
アルバム全編を貫いているのは、先に述べたようにアメリカ南部の土臭さである。具体的に説明すると、彼らの出自でもあるブルースやR&Bに加えて、スタックス・レコード(リンク:Wikipedia)に代表されるようなサザンソウルのサウンドを土台に据え、ストーンズ流のロックを混ぜ合わせたものだと言えるだろう。余談だが、ミック・ジャガーのヴォーカルは、南部のソウル歌手ドン・コヴェイに瓜二つである。
著者:河崎直人