ロックの常識を覆した『ヴェルヴェッ
ト・アンダーグラウンド・アンド・ニ
コ』の早すぎたパンク精神

ポップアートの先駆者アンディ・ウォーホルとタッグを組んで、ポピュラー音楽としてのロックに実験性や前衛性、そして文学性をも持たせ、既成のロックを内部から破壊したヴェルヴェット・アンダーグラウンド。彼らのデビュー作となる本作は、ニューヨークパンクの根源であり、リリース当初から現在に至るまで“ロック・スピリット”とは何かを示し続ける傑作中の傑作だ。

“ポップアート”は、実はポップではな

50年代から、ニューヨークでグラフィック・デザイナー兼イラストレーターとして活躍していたアンディ・ウォーホル(Wikipedia)。60年代になると、芸術家として、ダダ(Wikipdia)に影響を受けた作品を創るようになる。ダダは既成の秩序や常識を否定し、それらを攻撃し破壊するという芸術運動であるが、この考え方って何かに似ていないだろうか? そう、パンクロックだ。70年代中期に起こったロックの革命は、実はその半世紀以上も前に、芸術の分野では既に始まっていたのである。

ただ、ダダやシュルレアリスム(Wikipedia)の思想的背景などは理解しづらい面もあり、一般大衆にはなかなか広がらなかった。アンディ・ウォーホルは、大衆相手の商業デザイナーであったから、自分の芸術が一般に理解できなければ意味がないと考え、誰もが理解できるかたちで自分の作品を発信しようとした。彼の意識がよく知られている「キャンベル・スープ缶」(’62~)や「コカコーラ」(’62)「マリリン・モンロー」(’67)などの制作につながり、一般の人たちにも大いに受けた。これらの作品は、リキテンシュタインやジャスパー・ジョーンズらの作品と並んで“ポップアート”
Wikipedia)と呼ばれ、“ポップアート”と呼ばれているぐらいだから“ポップ”なのだと錯覚する人が多いが、使われている題材はポップでも、その思想はポップとは対極にある、真性パンクである。ある意味で、それまでの芸術の常識をぶち壊したウォーホルこそ、“パンク”という概念を生み出した先駆者だと言えるだろう。

ニューヨークでの出会い

60年代の中頃になると、ウォーホルの人気は世界的なものとなり、新しいもの好きのミュージシャンや作家たちは、彼の“ファクトリー”と呼ばれる工房に押し寄せ、毎夜パーティーが繰り広げられていた。そんな中、ウォーホルは、照明、ダンス、朗読、映像などを使ったマルチイベントを企画、その場で演奏できるロックグループを探していた。そして、ダウンタウンのクラブで演奏していたヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以下VU)と出会うことになる。
VUは、シンガー・ソングライターでカリスマ性のあるルー・リード(2013年逝去)と、ニューヨークで現代音楽を学んでいたイギリス人のジョン・ケイルが中心になって結成されたグループだ。他にギター奏者のスターリング・モリスン、ドラムスのモーリン・タッカー(女性)を含む4人編成で活動していた。
リードは音楽というよりは詩の世界で自分の表現を模索しており、彼の書く挑発的かつ映画的な歌詞と、ケイルの鋭く前衛的な才能に、ウォーホルは惹かれたのだと思う。

企画していたイベントでの演奏を大成功させたVUは、ウォーホルの勧めで1stアルバムに取りかかる運びとなるが、ボブ・ディランに連れられてファクトリーに出入りしていた、ドイツ人スーパーモデルのニコ(Wikipedia)を参加させるよう、ウォーホルに説得される。世界のウォーホルが、プロデュースだけでなく、ジャケットデザインまで手がけることが決定していたVUにとって、この話は嫌でも受け入れざるを得なかっただろう。結局、ニコは本作に参加し、3曲リードボーカルを担当することになる。本作のリリース後、グループを脱退(…やっぱり)し、ソロ活動に入る。

1967年のロック事情

本作は「リリース当時は認められなかったが、それはVUが時代より先に進んでいたからだ」と言われることが多いが、これは間違っていると思う。実際、67年はロックの豊作の年で、僕の手元にあるレコードを見ても、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、バッファロー・スプリングフィールドの『アゲイン』、クリームの『カラフル・クリーム』、ジミ・ヘンドリックスの『アー・ユー・エクスペリエンスト』、ドアーズの『ハートに火をつけて』ピンク・フロイドの『夜明けの口笛吹き』、トラフィックの『ミスター・ファンタジー』、ヴァニラ・ファッジの『キープ・ミー・ハンギング・オン』(ジミヘンからヴァニラ・ファッジまでの4枚は、全部デビューアルバム!)、プロコル・ハルムの『青い影』など、ざっと見ただけでも、どれもロック史上に残る名盤ばかりである。
 
要するに、50年代に産まれたロックくんはスクスクと育ち、多感な青少年期をちゃんと成長してきたのである。この時代のロックは技術的にも音楽的にも、前向きなベクトルに満ちあふれていたがゆえに多くの注目を集めたわけで、リスナーもまた、ロックの進化とともに健全に育っていたのだ。
それに対しVUは、SMだのドラッグだの同性愛だの、凶暴で難解なテーマを、挑発的なサウンドにのせて、気怠く歌う…はっきり言ってグレていたのだ。そりゃあ誰だって、マイナスのベクトルを出し続ける音楽よりは、聴いてワクワクできる健全なロックを選ぶはずで、やっぱりこの時代はロックの黄金時代だったのだと、改めて思う。
 
リリース当初、ウォーホルとの関係性のみで注目されていた本作が、評価されるようになるまでに10年近くの時間を必要とするが、70年代の中頃までは健全に育っていたロックくんも、生活に疲れ(ロックが産業になってしまう)てマイナスのベクトルを出すようになり、過去に同じようなマイナスのベクトルを炸裂させていたVUに注目が集まるのは、ある意味で必然だったのである。67~70年代初頭まで、大幅な高度成長期が続くロック界は、やはり王道を突き進むシンガーやグループのほうが面白かった。しかし、パンクロックの登場によってロックのバブルが崩壊し、売れる売れないにかかわらず、嘘のない自己表現を模索していたVUのようなグループが若者たちに再評価されるようになっていく。ニューヨークパンクの第1世代となる、パティ・スミス、ジョニー・サンダーズ、トム・ヴァーレイン、リチャード・ヘル、デヴィッド・バーンらはもちろん、ロンドンパンクのジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)、ダムド、ジョー・ストラマー、ニューウェイヴ系のエルヴィス・コステロ、ニック・ロウ、イアン・デューリーなど、VUに影響を受けたミュージシャンは数限りない。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・
アンド・ニコ』の世界

本作の表ジャケットをよく見てほしい。バナナの絵(LP時代、バナナはシールで剥がせるようになっていた)に注目しすぎて気付かないことが多いが、ジャケットにVUの名前はどこにもなく、右下にアンディ・ウォーホルの名前だけが記されている…なんじゃこれ!ってことに普通はなるはずだ。ところが、現代アートの巨人がデザインしているという理由で、誰も文句は言えなかったのだろう。ポップアートのように「芸術は匿名でよいのだ」みたいな意味なのか、はたまたウォーホルの自己顕示欲が強いだけなのか、僕には真意が分からない。しかし、アルバムジャケット傑作選のような企画があれば、本作は必ずベストテンに入っている。こんなにインパクトのあるジャケットを作ったウォーホルは、さすがだと思う。
 
収録曲は全部で11曲。どれもクセのある曲ばかり。「I'm Waiting for the Man」のようにストーンズっぽいものもあれば、「There She Goes Again」などバーズみたいなサウンドもある。また、「European Son」のように、既にパンクロックとして完成された、8分近くにも及ぶノイジーなナンバーもある。

多くの曲がケイルによる“ミニマル・ミュージック”(Wikipedia)的なアレンジが施され、聴いている者は本作特有の世界に引きずり込まれてしまう。特に耳に残るのが「Venus in Furs」「All Tomorrow's Parties」「The Black Angel's Death Song」など、ヴィオラを中心にしたドローン(Wikipedia)効果で、これはケイルがアメリカ現代音楽の大家として知られるラ・モンテ・ヤングの教えを受けている(そもそもケイルは、ヤングに音楽を習うためイギリスから渡米している)からである。

リードが主導権を握っていた歌詞の面で言うと、「Venus in Furs」では性の倒錯、「Heroin」では麻薬、「The Black Angel's Death Song」では黙示録的世界、「I'm Waiting for the Man」ではゲイの日常が歌われ、どの曲もまるで長編映画を観ているかのようなリアルなストーリーが描かれている。アルバム全編にわたって、淫靡、退廃、挑発、凶暴、虚無など、それまでのロックでは考えられないダウナー的表現が用いられているが、ニューヨークのダウンタウンの片隅では、これらが日々の風景だったのではないか。真実か虚構かは定かではないが、そんなことはどうでもいいぐらいの“リアル”が本作には詰まっている。
 
これから、このアルバムを聴こうと考えている人は、英語が堪能な人は別として、できれば対訳付きの日本盤を購入してもらいたい。なぜなら、リードの歌詞がぶっ飛んでいるからだ。物語のあるもの、抽象的で難解なもの、ニューヨークのダウンタウンを描写したものなど、あえて常識的な“歌詞”ではないものを提示しようとしているのは明らかで、VUを脱退しソロになってからのルー・リードが、なぜカリスマ的な人気を得るのかが、ボンヤリとでも理解できると思う。
本作リリース後、音楽的な方向性の違いから激しい衝突を繰り返し、ジョン・ケイルは脱退するのだが、その後のソロ作品(数多い)には秀作が多いので、機会があれば聴いてみてほしい。ストレートに右脳を刺激されるはずなので、ぜひ♪

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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