徹底して心地良く洗練された、ドナル
ド・フェイゲンの『ナイトフライ』は
超アーバンな名盤

1980年代、お店やクルマの中など至るところで流れていたのがドナルド・フェイゲンが1982年に発表した1stソロアルバム『ナイトフライ』。35年近い歳月が流れた今でも彼の曲はドトールなどで流されているから、きっと何げなく耳にしたことがある人は多いはずだ。

 一分の隙もない極上の心地良さに貫かれた本作ほど、高層ビルが立ち並ぶ都市の夜景に溶ける音楽はないと個人的に思っている。実際、当時、ドナルド・フェイゲンの音楽をクルマでかけてロマンティックなムードを演出した人はたぶん、数え切れないだろう。空港なんかに向かった日には女子のテンションがアガること間違いなしである。そんな懐かしい話はさて置き、今、聴いても本作のクォリティーの高さにはひっくり返る。聴き飛ばす曲ナシ。粋なサウンド、グルーブに身をまかせているうちにアッと言う間に聴き終わってしまう音楽のマジックが散りばめられているのである。世界で初めてデジタル録音でレコーディングされたこのアルバムは後に多くのミュージシャンやサウンドエンジニアに衝撃を与え、最近では富田ラボこと富田恵一がこのアルバムについての長年の研究の成果を1冊にまとめた『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』という本を出版したが、それほどまでに玄人の耳を奪う作品であり、それでいて、例えば蕎麦屋で流れていたとしても「ん? このお店、オシャレだな」と思わせるポピュラリティーがある。こういうアルバムは滅多に出てこない。時代を超越する名盤である。

自らを最上級のオタクだと分析するドナ
ルド・フェイゲン

 さて、ドナルド・フェイゲンと言えば1970年代後半に一世を風靡し、AORの走りと言われたスティーリー・ダンのことに触れないわけにはいかないだろう。N.Yの郊外の大学で知り合ったドナルド・フェイゲン(Vo&Key)とウォルター・ベッカー(Ba)はプロのソングライターを目指して活動を始めるが、思うようにことが運ばずに“だったら、バンドを結成してレコード会社に自分たちの曲を売り込むほうが手っ取り早い”と考え、スティーリー・ダンを結成。1972年にデビュー。そのセンスとスキルが求められ、ビッグサクセスを手にすることになる。初期はライヴ活動も行なっていたが、ふたりとも裏方指向で楽曲、音、演奏のクォリティーをとことん追求したいゆえ、他のメンバーとの軋轢が生まれ、ラリー・カールトン、スティーヴ・ガッド、トム・スコットなど凄腕のミュージシャンを起用してレコーディングのみの活動へと移行するようになっていく。
 そんな中、1977年に発表されたアルバム『彩(エイジャ)〜Aja〜』はグラミー賞最優秀録音賞を獲得するほどの大ヒットを記録。ふたりのコンビが終焉を迎え、長い活動休止期間に入る前の最後のアルバム『ガウチョ』も売れに売れ、ジャズやソウルのテイストを洗練された手法で昇華したスティーリー・ダンの音楽はクリエイターにも多大な影響を与えることになった。そして、“ひとりスティーリー・ダン”という評価もされたフェイゲン初のソロアルバムは、まさに“匠の技”と言える作品に仕上がったのである。
改めて、この作品を聴いて思うことは、自然の風景がまったく浮かばないということである。これは彼自身が焦がれた景色、憧れていたカルチャーとも関係しているのかもしれないが、自身のエッセイでも語られているようにフェイゲンは学生時代、家に引きこもって本を読んだり、楽器をいじったりして過ごす生活をしていた(自分のことを最上級のオタクで悲しいほど孤独だったと語っている)。そう思うと、このアルバムにアウトドアの要素がまったくないことにも納得できる気がする。彼の音楽はあくまで密室型なのである。車やレストランの窓を通して見える切り取られた都市が似合う音楽。『ナイトフライ』をリピートしながら、そんなことを考えている。

アルバム『ナイトフライ』

 コーラス、ホーンセクションもオシャレなスパイス。レゲエのリズムを取り入れたグルービーな「I.G.Y.」からの幕開けは、まるで車が音も立てずに滑らかに走り出すかのような心地良さである。この曲に限らず、驚くのはとにかく楽器のひとつひとつの音が立っていること。ヴォーカルも味わい深いが、コーラスワークの美しさもシルクのような質感である。AORに薄められたコーヒーみたいな軽いイメージを持っている人も多いかもしれないが、ジャズやソウル、ポップスなど音楽に並々ならぬ愛情を持っていないと、こんなにクールなサウンドはクリエイトできないとつくづく思わされる。
 プロデュースを手がけたのはスティーリー・ダン時代からの盟友、ゲイリー・カッツで、参加ミュージシャンはラリー・カールトン、ヒュー・マクラッケン、リック・デリンジャー、マーカス・ミラー、ウィル・リー、ジェフ・ポーカロ、スティーヴ・ジョーダン、マイケル・ブレッカー、ランディ・ブレッカーなどなど書き切れないゴージャスな顔ぶれ。アルバムのテーマは1950年代から1960年代初頭のアメリカ東海岸の都会から遠く離れた郊外の街で暮らす若者が抱いていたファンタジーで、シニカルな視点はフェイゲン自身と重なる部分もーー。ジャズと粋なしゃべりで楽しませるDJが登場するタイトル曲が渋いジャケットのイメージにつながっている。全8曲中、7曲がオリジナル。3曲目に1950年代を代表するR&Bグループのひとつ、ドリフターズのカバーが収録されている。

著者:山本弘子

OKMusic編集部

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