オルタナティブロックを世界に知らし
めたソニック・ユースの『Goo』

本作は、ソニック・ユースのメジャー移籍第一弾アルバムというだけでなく、オルタナティブロックの概念を世界中に浸透させた重要な作品だ。『Goo』のリリース以降、ニルヴァーナ、パールジャム、サウンドガーデンらが次々と世界的な大成功を収めることになるのだが、その先駆的な存在としてソニック・ユースが果たした役割は大きく、90年代以降のロックの方向性を決めたと言っても過言ではないだろう。本作が、オルタナティブロッカーたちにどれだけ大きな影響を与えたのかを考えてみたい。

メジャー vs インディーズ

音楽産業の巨大化が進む70年代中期、ロックはすでに若者のものではなく、お金を落としてくれる社会人(かつてのロック少年たち)向けの耳ざわりの良い音楽となっていた。もはやロックとは呼べない音楽ばかりがチャートを賑わすようになると、既成の音楽を破壊し、若者のものとして再構築するために新たな“ロック”が必要となった。そして、誕生したのがパンクロックである。
しかし、パンクロックもあっと言う間にメジャーのレコード会社にからめとられてしまう。反骨心を持つロッカーたちは、インディーズレーベルや自主制作で作品をリリースするようになり、一旦は各地域でのライヴ活動が中心となっていく。
80年代に入ると、シンセサイザーをはじめとする電子機器の普及でロックの方法論は大きく変化し、テクノやエレクトロポップが主流になるのだが、MTVの登場もあって、売れる音楽と売れない音楽の差は広がっていく。例えば、マイケル・ジャクソンの『スリラー』(‘82)などはレコードだけでなく、ビデオの大ヒットもあって、全世界で1億枚以上を売上げる結果となった(未だにこのギネス記録は破られていない)。
メジャー対インディーズの結果は、ここまではメジャーのひとり勝ちのように見えるのだが、地下に潜っていたかのようなインディーズのミュージシャンに光が当たるのは、一般のリスナーがCMJ(カレッジ・メディア・ジャーナル)に注目する80年代中期になってからだ。

CMJ(カレッジ・メディア・ジャーナル
)というメディア

アメリカには膨大な数のラジオ局が存在する。日本でも最近では各地域にローカルFM局が増えてはいるが、アメリカでは70年代には既に1000以上もの局が存在していたようだ。特に、大学の構内に設置されたカレッジ・ラジオ局(1)は、地域で流行っている音楽をオンエアするという性質があるために、少し場所が離れるだけで、ヒットチャートも相当違った結果になっていた。
70年代の終わりには、全米に散らばったラジオ局のチャートを集計し発表する雑誌(CMJ)が登場し、このカレッジチャートこそが80年代の新たな音楽ムーブメントを生むトリガーのひとつになる。ようやく、インディーズのミュージシャンたちに光の当たる時がやってきたのだ…。
CMJはローカル局のデータを集めて集計したものであったため、メジャーのチャートとはまったく違う結果になった。また、感性豊かな大学生が中心リスナーだったから、地域で人気のあるバンドだけでなく、新しいポピュラー音楽や世界各地のワールドミュージックなど、さまざまな音楽がチャートに上がっていた。
ちなみに、手元にある1994年12月第1週のビルボード・トップテンとCMJ・トップテンを比べてみると…ビルボードでは1位と4位が Boyz II Men、2位にIni Kamoze、3位にReal McCoy、5位にBon Jovi、6位にMadonna、7位にSheryl Crow、8位にTLC、9位にBrandy、そして10位がJanet Jacksonという順位になっているのだが、CMJでは1位にBoss Hog、2位The Smashing Pumpkins、3位The Amps、4位Rocket From The Crypt、5位G. Love & The Special Sauce、6位Oasis、7位The Rentals、8位Sonic Youth、9位Stereolab、10位Pizzicato Fiveとなっている。10位に日本のピチカート・ファイブが入っているが、少年ナイフ、ボアダムズ、チボ・マットらもCMJの常連として知られている。
両者のチャートの違いを見るだけで一目瞭然だが、すでに80年代終わりには、大手レコード会社の思惑と、若い世代が求める音楽が乖離していることだけは明白な事実であった。

ロックのオルタナティブ化

ローカルエリアで活動していたロックグループにとって、60年代後半から70年代前半に人気を集めたハードロックや、70年代中期のパンクロックを手本にすることは“骨のある新しいロック”を生み出すために当然の流れだったのかもしれない。80年代に登場した新しいグループの多くが、ハードロックとパンクを合体させたようなサウンド作りを展開していたのである。
80年代の終わり頃になると、その後のロックシーンを予言するような重要なアルバムが、インディーズから相次いでリリースされている。ソニック・ユースの『デイドリーム・ネイション』、ダイナソーJr.の『バグ』をはじめ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやメタリカらの注目作も続き、そのヘヴィでノイズまみれのパンキッシュなサウンド群を、リスナーたちは“グランジ(2)”とか“オルタナティブロック(3)”と呼ぶようになった。ただ、この時点ではまだCMJを聴いている若者たちの周辺だけのブームであって、世界的なムーブメントには成り得ていない。

アルバム『Goo』がロックの未来を予言
した

さて、ようやくソニック・ユースである。ローカルエリアとCMJで絶大な人気を博していたソニック・ユースに、大手レコード会社のゲフィンレコードから新作リリースのオファーがあり、リーダーのサーストン・ムーアはこの話を受け入れる。そもそもゲフィンレコードのオーナーであるデビッド・ゲフィンは、イーグルスやジャクソン・ブラウンを世に出したインディーズレーベル出身の成功者であった。それだけに、ある種の信頼感があったのだと思われるし、ゲフィンレコードが新しいロッカーを発掘し続けていたその姿勢にも、共感し得た部分があったのではないだろうか。経緯はどうあれ、1990年に本作がメジャーリリースされると、熱心なリスナーや評論家の圧倒的な支持を集め、メジャーにはないサウンドを持ったオルタナティブロックの存在が世界に知れ渡ることになったのである。
この後は、サーストン・ムーアの紹介でゲフィンと契約したニルヴァーナの2nd『ネヴァーマインド』(‘91)がビルボードチャートで1位を獲得するなど、オルタナティブロックとして初めて、世界的な成功を手にすることになるのだが、これはオルタナティブの先鋒としてリリースされた『Goo』が伏線となったことは間違いない。
ちょうど同じ頃、パール・ジャムの『TEN』(’91)やサウンドガーデンの『バッドモーターフィンガー』(‘91)、ダイナソーJR.の『グリーン・マインド』(’91)などが相次いで大ヒットし、グランジ〜オルタナティブロックは完全に世界的な市民権を得ることになる。ただ、オルタナティブとひと口に言っても、ノイズ系、前衛系、メタル系、カントリー系、パンク系など形態は多岐にわたり、90年代はジャンルの細分化が進んだために一般のリスナーが混乱することも多く、この課題は今も解消されてはいない。

アルバム『Goo』について

本作は普通のアルバムのように、リズムやメロディーなどについて語ることは不可能で、1曲ずつ説明することはあまり意味がない。アルバム全編を貫くイメージとしては、70年代後半にイギリスのインディーズで活躍したジョイ・ディヴィジョンやザ・キュアなどのような耽美派のミュージシャンにもっとも似ているかもしれない。そうはいってもパンク系やノイズ系の影響はもちろんあるし、彼らと同じニューヨーク出身のヴェルヴェット・アンダーグラウンドっぽいところもある。
ひとつだけはっきり言えるのは、メジャー移籍直後にもかかわらず、ソニック・ユースならではの実験的なサウンドで勝負していて、大衆受けをまったく狙っていないところは本当にすごい。そのあたりが彼らがミュージシャンズ・ミュージシャンと呼ばれる所以だろう。ヒット曲はなくても、ロック史において非常に重要なアルバムが本作なのである。初めて聴く人にとっては、最初はとっつきにくいかもしれないが、何度も聴いてみてほしい。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着