ザ・ポップ・グループ、『Y』はロッ
ク史上最も“攻撃的”と評された問題
作!

 「英ポスト・パンク~ニュー・ウェイヴ・シーンを代表するバンドであり、70年代末から80年代初頭にかけての短い活動期間中、ロック史に残る名盤を作り上げた伝説的なバンド、ザ・ポップ・グループが本格的に活動再開する~」。つい先日、そんなニュースが巷の、マニアなロック好きの間で話題になった。活動再開のきっかけとなった旧作のリマスター盤と未発表音源+コンピレーション盤のリリースうんぬんについては後述するとして、この機会に今回は実質的な彼らのデビュー作にして、世界に衝撃を与えた名盤『Y』(邦題『最後の警告』)を紹介します。

  一般にはほとんど見向きもされていなかったというのが本当のところなのだが(なにせ、当時は空前のディスコ・ブームだったから)、1970年代末の洋楽シーンを彩っていたのは、まぎれもなくパンク・ムーブメントだった。ニューヨーク組はパティ・スミスやテレヴィジョン、ラモーンズ、ハートブレイカーズ…etc、イギリス組はセックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、ダムド、ストラングラーズ…etc、と、まあ雨後の竹の子のように出現したバンドが出てきては消え、世間を騒がしたりしていた。多少なりとも自覚的に時代の先端の音楽に敏感であろうとする人たちにとっては、それまでの大衆に迎合するようなビッグネームのロックバンドや商業主義にまみれたロックスターの姿勢をことごとく否定するようなこうしたパンクスの出現と、その素晴らしく稚拙な音楽を歓迎していたと思う。
 セックス・ピストルズは大いに売れた。クラッシュも大ヒットを連発していた。他のバンドも雑誌に取り上げられるにつれ、まずまず成功していた。その矢先にセックス・ピストルズは初のアメリカツアーで空中分解し、ジョニー・ロットンは脱退。残されたメンバーは迷走しつつ、シド・ヴィシャスの死によって完全に消滅する。それから時をおかず、先のジョニー・ロットンが名前もジョン・ライドンと改め、新たにPILこと、パブリック・イメージ・リミテッドを結成する。その頃からだろうか、一連のパンクロックとは一線を画すような、インディーズロックが続々と出現し始めたのは。後に大メジャーバンドになるザ・ポリスなどはその筆頭で、体裁こそパンクだったが、演奏スタイルも音楽性、実力もパンクスの比ではないバンドが現れ、メディアではこうしたバンドを次第に“ニューウェイブ”と呼ぶようになったものだった。オリジナルパンクの筆頭格であるザ・クラッシュなども、次第に音楽性を高めて世界市場にアピールできる充実作を発表するにつれ、その扱いは“ニューウェイブ”に格上げ(笑)されていたように思う。しかし、全体的に見れば、パンクもニューウェイブも大差ないもので、状況としては飽和状態に陥っていた

ポストパンク時代の幕開け

 明らかに音楽的にも大きな変化が起きていると実感させられたのは、パブリック・イメージ・リミテッドが78年に1stアルバム『PUBLIC IMAGE』を発表してからだ。セックス・ピストルズの成功もあって、メジャーレーベルのヴァージンからリリースされたそのアルバムは、セックス・ピストルズと趣きは180°異なり、サウンドは工業的、異様にメタリック、無機質でリズムは重く、内容も難解なものだった。主役のヴォーカルのスタイルも、もはや唾を吐き散らすものではなく、大きく変化していた。あのジョニー・ロットンが率いているのだからと、前評判だけでそこそこ売れたとは思うが、結局のところセールスは芳しくなかったはずだ。それでも、このアルバムが出て以降、つい先日まで自分たちもそのシーンにいたではないかという、パンクシーンさえ嫌悪し、後足で砂をかけるがごとくに商業主義に背を向け、主張の強い、より個性的な音楽を奏でるバンドが幅をきかすようになる。
 いわゆるポストパンクと呼ばれる新しい潮流だった。同時に、大手レーベルのような“縛り”にとらわれない、独立レーベル、いわゆるインディーズレーベルが次々と旗揚げし、個性派アーティストの活動を後押しするようになった。ラフ・トレード、スティッフ、チェリーレッド、ベガーズ・バンケット、ファクトリー、ZTT…等々。現在も生き残っているレーベルは数えるほどだと思うが、そうしたレーベルから出現してきたのが、ザ・ポップ・グループ、それからイアン・カーティス率いるジョイ・ディビジョン(後にニュー・オーダーへ)、スロッピング・グリッスル…等々、といったグループだった。
 名前を挙げればキリがない。いささか粗製乱造ぎみなくらい、輸入盤屋に行けば見たことも聞いたこともないバンドのアルバムがあり、音楽雑誌をひらけば毎月のようにそれら新進バンドのアルバムが紹介されている、といった案配だった。
 ポストパンクのバンドに共通するのは、サウンドが暗かったことだ。と言えば短絡的すぎるかもしれないが、ほとんどが暗かったのだ。政治色がない分、明るいサウンドを奏でていたデュラン・デュランやカルチャー・クラブ、スタイルもサウンドもクールだったU2やポリス、ほのかにビートルズの遺産を継承しているような香りが認められたXTCといったバンドは一般にも支持され、メジャーレーベルとの契約を取り付けていくのは、まぁ自然のことだったのだろう。だが、ザ・ポップ・グループ、スロッピング・グリッスル、サイキックTV、オーケストラ・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダークといったグループのアルバム中に、ポップチャートを狙えそうな曲など1曲たりとも見つからず、ひたすら、暗く、死の影さえ感じさせるようなアナーキーで暴力的、狂気じみたムードを漂わせていた。彼らがそういったサウンド指向をしていたのは、パンクでさえ商業主義に飲み込まれていくのを目の当たりし、改めて徹底した反抗精神を示そうとしたという理由もあるかもしれないし、音楽的に薄っぺらなパンクに馬鹿馬鹿しさを感じたこともあるだろう。形骸化していくロックそのものを否定し、初期パンクが示してみせた極端なアマチュアリズムが拓いた音楽の新しい可能性を追求していくという考えもあったかもしれない。
 また一方では、この時代のバンド、若者たちは大きな“怒り”を抱えていた。それをぶつける矛先はさまざまだったとは思うが、ひとつはサッチャリズム=時の首相マーガレット・サッチャー政権(1979年~1990年)に対する反抗だったと思われる。サッチャー政権は極端なインフレ政策をとり、その影響は労働者階級への激しい圧迫となってあらわれ、サッチャーの首相就任から英国の失業者数は倍増し、1982年には300万人を上回っていたという。そうした背景を思い浮かべる/浮かべないでは、ポストパンクのアルバムから伝わってくるものは大きく違ってくる。

旧来のロックや社会、既成概念に敵意を
剥き出しにした音楽

 というわけで、ザ・ポップ・グループの『Y』を久々に聴いてみる。ジャケットに使用されたのは、パプア・ニューギニアの少数部族の写真をキャプチャーしたものだという。今見ても、なかなかのインパクトのあるデザインだ。指示書がなければ、レコードショップの店員は民族音楽のコーナーに並べかねないだろう。
 冒頭のマニアなロック好きの間で交わされたのは、これが35年ほども前に作られたロック史上かつてない過激で実験的な作品なのであるが、その後、オルタナティブ / グランジ・ロックでさえ遠く彼方に飛び去った2014年という現代の耳に、どう響くのかということだった。現行の2007年にリマスタリングされ再発売されたCDは、先にデビュー時にレーダー・レーベルからシングルでリリースされた「She is beyond good and evil」が冒頭に据えられ、エンディングにボーナストラック「3:38」を追加した、アナログ時代とはやや趣きを異なものにしているが、トータルで48分、1979年当時に感じたのと同じように、家族と同居の時にはオープンエアでは鳴らせない、壁の薄いアパートだと近所迷惑を招きかねない、耳をつんざくような、凶暴な音が詰まっている。

 難儀なアルバムかもしれない。このバンドに、自分たちの音楽で人を楽しませようという発想など、そもそもなかっただろう。ロックというフォーマット(そんなものが仮にあるとすればの話だが)からは派手に逸脱している。アバンギャルドと言えば、まさにその通りだろう。まだ、キャプテン・ビーフハートのほうが聴きやすいかもしれない。フリージャズ、ダブ、アフロなどの音楽がミックスされ、そこに全編にわたってマーク・スチュワートの絶叫型のヴォーカルが絡みつくというふうだ。真剣に向き合うと疲弊しかねないが、ファンクビートに身を任せていると、案外、難なくアルバムは聴き通せてしまうから、この名盤の誉れ高いアルバムを聴いてみようと思い始めた方は、ためらうことなく耳を傾けてほしいと思う。相当に耳障りなマーク・スチュワートのヴォーカルだって、ヨーコ・オノの絶叫に比べれば遙かに聴きやすい? ファンク=ダンサブルであるべきものなので、その点でも一応、条件はクリアしているわけだ。  あくまで私感だが、このアルバムを聴いて真っ先に思い浮かべたのが、モダンジャズの帝王、マイルス・デイヴィスの『On the corner』だった。ファンクビートという共通性があることもひとつだが、マイルスの『On the corner』も、ジャム・セッションの音源をプロデューサー、テオ・マセロの手によって徹底的に切り貼り編集を施された作品として共通している。『On the corner』のほうは、主役はマイルスとなっているものの、彼の預かり知らないうちに創作されてしまった問題作なのだが、ザ・ポップ・グループの『Y』に関して言えば、先述したようにバンドはプロデュースをレゲエミュージシャンのデニス・ボーヴェルの手に委ね、精密にダブ加工を施してもらっている。ボーヴェルはこの後、坂本龍一の2ndソロ作『B-2 UNIT』('80)でもダブの手腕を発揮するのだが、坂本教授がザ・ポップ・グループとの仕事を見て自作の共同プロデューサーとしてボーヴェルに白羽の矢を立てたのかどうかは知らない。(本コラム“邦楽面盤列伝”参照 http://okmusic.jp/news/48919)  当時は“ダブ”という言葉もまだ耳慣れないものだったと思うが、それでも二十歳に満たない若造集団にしては、そこそこ整合性のある演奏をし、スリリングかつフリーキーというか、極めて自由度の高い演奏を披露しているのを聴くにつけ、私は世間一般がパンクバンドを評するほどに、彼らがヘタだとも稚拙だとは思わなかった(実際にはそれまでろくに楽器に触ったこともなかったという。いや、よくそう言うのだ。ほんとは弾けるのに)。彼らのライヴパフォーマンスがどのようなものであったのか(その気持ちがあったかどうかは別として、ライヴでアルバムをどれだけ再現できたのか分からないが)、デニス・ボーヴェルの手によって、解体 / 再構築といった相当に凝った細工が凝らされているのは間違いない。

 彼らは1978年にブリストルで活動を始めている。メンバーはマーク・スチュワート(Mark Stewart、作詞・ヴォーカル)、ジョン・ワディントン(Jon Waddington、ギター)、ギャレス・セイガー(Gareth Sager、ギター)、サイモン・アンダーウッド(Simon Underwood、ベース)、後にダン・カトシス(Dan Katsis)に交代。ブルース・スミス(Bruce Smith、ドラム・パーカッション)。デビュー時はメンバーの多くは20歳にも満たないような若者たちであったという。翌79年にデビューシングル『She is Beyond Good and Evil』をレイダー(Radar)レーベルからリリースし、続いて本作となるフルアルバム『Y』を、ダブサウンドで知られるレゲエミュージシャンのデニス・ボーヴェルのプロデュースにより制作する。直後にバンドはラフ・トレード・レコードと契約する。1980年には2ndアルバム『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』がリリースされる。このアルバムにはアメリカのラッパーの元祖であるラスト・ポエッツ(The Last Poets)が参加している。以降、バンドはライヴを続けながらも内部分裂のかたちで1981年に分裂する。メンバーはピッグバッグ(Pigbag)、マキシマム・ジョイ(Maximum Joy)、ヘッド(Head)、リップ・リグ・アンド・パニック(Rip Rig & Panic)といったグループを結成する。リップ・リグ・アンド・パニックにはフリージャズのトランペッター、ドン・チェリーの娘、ネナ・チェリーが参加したことでも話題を集めた。ヴォーカルのマーク・スチュワートは、ザ・スリッツとの仕事で知られるダブサウンドのプロデューサー、エイドリアン・シャーウッドと組んだり、ソロアーティストとして、いくつかの作品を発表している。

ブリストルという街が生んだミクスチャ
ーな音楽性

 黒さはないにしても、彼らがファンクやアフロビートに接近しているということが気になった。ブリストルというところは、イギリス西部の港湾都市で、ロンドンの西169キロ、急行で約1時間半ほど走ったところに位置している。人口は41万人ほど(近隣の町村を合わせると、約50万人ほどか?)の住民が暮らし、イングランドで6番目、イギリス全体で見ても8番目に人口が多い市ということになる。かつてはアフリカの奴隷貿易の玄関口、またアメリカとの貿易窓口として、英国第2の都市にまで成長した港町であり、第2次世界大戦後には、ジャマイカをはじめ西インド諸島などの旧植民地からの移民が移り住み、現在もコミュニティーとして存在し、機能しているそうだ。そうした人種混交による環境や文化が、ザ・ポップ・グループのような若者(当時の)を、ファンク、レゲエ、ジャズ等の音楽に向かわせたのだろうか。
 そう言えば、英国の音楽権利団体「PRS(Performing Rights Society)」が英国で「最も音楽的な街」というランキングを発表したのだが(その街が輩出したミュージシャンが人口比でどのくらいか、という統計らしい)、その結果、マンチェスターやリバプール、ロンドンを押さえ、ブリストルがトップなのだそうだ。今回の主役であるザ・ポップ・グループ以外にも、90年代にはマッシヴ・アタックやポーティスヘッドといった人気バンドも輩出しているのだが、60年代、70年代にさかのぼってみると、サックス奏者のイワン・パーカーやピアノのキース・ティペット、そしてロバート・ワイアットなんていう、フリー・ジャズ、あるいはジャズロック系の人がいたりする。
 1979年にリリースされた直後から、このアルバムは雑誌でもあれこれ紹介されたし、仲間うちでもかなり話題になったものだ。「あれ聴いた?」という問いかけは、極端な話、ザ・ポップ・グループの『Y』のことを指していたくらいだ。それは同時に各々の音楽的なキャパシティーを問うてくるようなものだった。「オレは結構好きだ」「とても聴いていられない」「クズだと思う」「繰り返し聴くのはしんどいけどね」「毎日聴いてるよ」…等々。反応は真っ二つに割れた。雑誌は絶賛していたし、その年のアルバム・オブ・ジ・イヤーに選ぶ評論家もいたように思う。私自身はそこまでの評価をする気にはなれなかったけれど、ポストパンク期に入った英国ロックシーンを代表する、ダークサイドの音というのが、ザ・ポップ・グループの『Y』に示されているのだなと感じていたものだった。
 アルバムで示されている音楽は少しも一般受けするものはなかったけれど、彼らの影響は思いのほか強く、80年代の日本のインディーズシーンにも、明らかにザ・ポップ・グループに影響されたか、彼らあるいはPILもどきのバンドが次々と現れては消え、現れては消えしていたものだ。誤魔化しが効くとは言いたくないが、即興性に加えてノイズ混じりの混沌とした演奏に、マーク・スチュワートのような絶叫型ヴォーカルが乗るというスタイル、それを生み出したザ・ポップ・グループの遺伝子というのは、ノイズ系のバンドが珍しいものではなくなった2000年以降の音楽シーンにも継承されているのかもしれない。
 私は同じ頃、彼らよりも一段と実験的で、ダブ、フリーミュージック、ノイズミュージックに接近していたディス・ヒート(This Heat)と並んで、結構好きだった。「これも有りだ」と思わせてくれたことが嬉しかったのだ。そして、最初に聴いた時から予感がしていたが、このバンドの寿命は長くは続くまいと思っていた。1980年に出た2ndアルバム『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』は、『Y』より過激さを増し、刹那的にひたすらアジっているようなヴォーカル、強烈なファンクビートは凄まじいほどで、こちらも評価は高かったが、バンド内ではそろそろ分裂が始まっていたようだ。ライヴテイクなどを収めた未発表曲集『We Are Time』(これもマニアの間では名盤と言われている)を最後にバンドはあっけなくキャリアを終えてしまう。
 タイミング良くアルバム『We Are Time』に触れたので、活動再開のきっかけとなる旧作のリマスター盤と未発表音源+コンピレーション盤のリリースについて書いておくと、今回発表されたのは、3rdアルバム『We Are Time』のリマスター復刻と、『Cabinet Of Curiosities』のタイトルでリリースされる未発表&初CD化音源コンピレーション。ザ・スリッツとの両A面シングルとして1980年に発表された「Where There's a Will」で幕を開け、バンドの代表曲とも言える「She Is Beyond Good And Evil」のアンディ・マッケイ(ロキシー・ミュージック)プロデュース・バージョンや、BBCのスタジオライヴ音源、さらに未発表曲が3曲収録されるなど、貴重な音源が多数発掘されている…とのこと。日本盤はビクターエンタテインメントより紙ジャケット仕様で10月22日にリリースされることが決定し、さらなる復刻リリースも近い将来発表されるらしい。
 それから、肝心のバンドの活動再開のニュースだが、どういう経緯か知らないけれど、彼らは2011年に再結成を果たしており、その際に『SUMMER SONIC』(日本)に出演したことが話題を呼び、その勢いを買って本国で行なったライヴが評判となり、徐々に活動を活発にしていたという。私の周りにこの2011年の『SUMMER SONIC』(日本)出演時のことを知る人はいなかった。それならばと、あれこれ人をあたってみたのだが、目撃情報を得ることはできなかった。確かに来日し、『SUMMER SONIC』の舞台を踏んだことは間違いないらしい。肝心の演奏はどうだったのだろうか? どうしてまた主催者は、この時代に、サマーフェスの雰囲気にまるでそぐわないザ・ポップ・グループにオファーを出したのか。
 今回の旧盤の復刻、未発表音源のリリースに合わせ、まずは英国内のツアーが発表されているそうだが、まぁ腐っても鯛じゃなかった、ザ・ポップ・グループ。『Y』や『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』、そして『We Are Time』を愛聴してきた者にとっては、35年経って角が取れ、丸くなったサウンドなんて聴きたくもないだろう。
 活動再開だって? どんな姿で、何を聴かせてくれるつもり?

著者:片山明

OKMusic編集部

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