坂本龍一の反YMOとも言える音楽性を
提示した野心作『B-2 UNIT』

先日、事務所を通じて中咽頭癌であることを公表した坂本龍一。当面は治療に専念し、公の行事、音楽活動は休止ということだが、ファンとしては全快し、再び彼の旺盛な音楽活動が再開されるのを心から願うばかりだ。今回ピックアップした『B-2 UNIT』はYMOが人気沸騰中の1980年にリリースされた彼のソロ2作目。発表当時から難解で過激、非商業的であることを貫いた問題作とも言われる一方で、坂本龍一の傑作アルバムのひとつに数えられるなど、最高の評価をするリスナーは少なくない。近年の作品のクオリティーだって高水準であるのは多くが認めるところだが、当時28歳の坂本龍一が思いっきりラディカルに、コマーシャリズムを否定し、そして自身がメンバーであるYMOにさえ反目するような姿勢を示した野心作であり、その革新性は今も色褪せずにある。

テクノが社会現象になるほどに、狂騒的
なブームを巻き起こした1980年のYMO

 『Solid State Survivor』('79)、『Public Pressure / 公的抑圧』('80)がリリースされ、ワールドツアーもこなし、マスコミへの露出も急加速、巷にYMOの音楽があふれ始めた頃のことだ。私は大学生だった。忘れもしない、普段、音楽の話をしたこともなく、まるでロックや西洋音楽にも興味もなさそうなバイト先の知人とたまたま配達の途中でクルマに同乗することになり、その彼が最近気に入っているというカセットテープを取り出してカーステレオに放り込んだのだ。流れ出したのは『Solid State Survivor』だった。知人はラジオから流れてくる「テクノポリス」や「ライディーン」といった曲を、最初は電子音ばかりで妙な音楽だと思っていたが、頻繁に流れてくるそれを繰り返し聴いているうちにすっかり“気持ち良く”なってしまい、とうとうアルバムを買ってそれをカセットテープにダビングしては、これまたソニーのウォークマンに入れて聴いているのだと言う。
 細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一のことはほとんど知らないという。もちろん“はっぴいえんど”のことも“サディスティック・ミカ・バンド”のことなんて知るよしもない。その音楽がテクノポップと呼ばれていることに対しても、教えてやると「へえー」と返してくるぐらいで、あくまで最新の歌謡曲のひとつ、ぐらいの意識でYMOを聴いているらしかった。「楽しいよね」「気持ち良いよね」と、シンプル極まりない、ひどく健全な感想を伝えてくる知人の言葉にうなずき返しながら、これこそがポップ音楽の当たり前な広がり方だと感嘆しながら、それを狙ったのであろう、実にしたたかなYMOの戦略に私は心の中で快哉を叫んでいた。一方で、細野晴臣という人はかつて“はっぴいえんど”というグループをやっていて〜、と解説をしてみたところが、知人はほとんど興味を示さず、それどころか「それもテクノポップのバンドか?」と返してくる始末で、こうしてメンバーの来歴や音楽のバックグラウンドなど関心を持たれることなくYMOは聴かれているという現実に、少し当惑したことを覚えている。同じようなことは、大滝詠一の『A LONG VACATION』が大ヒットした時にも起こったが、それはまた別の機会に書くとしよう。
 私はなかなかYMOのレコードを買えなかった。というのも、先の知人が自分のお勧めするYMOを私が気に入ったと思い込み(問いかけに頷いただけだったのだが)、「これ、あげる」とカセットテープをプレゼントしてくれたのだ。要らないとは言えず受け取ってしまった私は、結構それを愛聴した。結果、長くレコードを買う機会を失ってしまったのだ。では、内心はそれほどでもなかったのかと言うと、実に気に入っていたのだった。YMO出現以前から、コンピュータを大々的に導入したバンドとして、クラフトワークを筆頭にノイ、ラ・デュッセルドルフ、クラスター、トニー・コンラッドといったジャーマン・テクノの先駆者たちのレコードも聴いていたのだが、そうしたバンドにはない、ポップで、おまけにファンキーなグルーブさえもキーボードで生み出してしまうYMOに、私は新しさを感じていたのだった。街のレコードショップに入れば、ワールドツアーの様子をとらえた彼らのビデオ映像が流されており、3人の他に矢野顕子、渡辺香津美らを加えた超強力なラインナップによる演奏に、目が釘付けになったものだ。派手な演出もアクションもなく、主役の3人は無表情で演奏しているだけなのに、まったく新しい音楽が展開されているという輝きがモニター画面から溢れていたのだ。
※このワールドツアーの音源が、翌年の『Public Pressure / 公的抑圧』('80)に収録されるのだが、アルバムでは所属レーベルとの関係で渡辺香津美のギターがカットされてしまっている(坂本龍一のシンセサイザーが後からスタジオ録音でオーバーダビングされている)。それでも、店頭で観た映像にはYMOの中にあっても、巧みにギターを弾きまくる渡辺香津美の姿を観たように記憶しているのだが、勘違いだろうか? 
 それで、ジャズやフュージョンも聴きかじっていた私は後日、まずYMOのレコードを買うより先に渡辺香津美と坂本龍一が共同プロデュースという形で制作したセッションプロジェクト『KYLYN』('79)を手にしてしまった。『KYLYN』は渡辺香津美、坂本龍一の他に、 矢野顕子 、益田幹夫 、高橋幸宏、村上秀一、本多俊之、向井滋春、小原礼、ペッカー、清水靖晃 といった当時の若手腕ききプレイヤーが勢揃いしたバンドだった。プロジェクトはスタジオ録音盤とライヴを収録した2種類のアルバムを残したと思うが、どちらもなかなか面白い内容だった。豪華なプレイヤーが大集合した際にありがちな統一感のなさ、アルバムとしての緊密な仕上がりはなかったが、いわゆるジャズ/フュージョン系ミュージシャンとは明らかに異なった才能が混在(クロスオーバー)しており、屈折した楽曲はそれまで聴いたこともない種類の音楽と言えた。中でも、ひらめきを感じさせる坂本龍一のシンセサイザーには魅了された。すでにYMOは結成されているのだが、ここではシーケンサーを使ったり、コンピュータに頼って演奏するということはなく、キーボード奏者としての確かな腕前と感性を感じることができて、坂本龍一というミュージシャンに惹かれるきっかけになった。
 話を元に戻そう。1980年2月に発売された『Public Pressure / 公的抑圧』はYMO初のオリコンチャート1位を獲得し、巷ではYMOの人気がいよいよ沸騰していた。3月からは初の国内ツアー『テクノポリス2000-20』が行なわれ、6月にはスネークマンショーのコントを織り交ぜて制作された4枚目のアルバム『増殖』が発表されている。予約だけで20万枚以上の予約が入り、オリコンチャート初登場1位を記録するという快挙。10月には第2回ワールドツアー『FROM TOKIO TO TOKYO』がイギリスから始まる。ツアーは8ヶ国、全19公演行われ、12月の日本武道館での4日連続公演で締めくくられた。
 坂本龍一の2作目のオリジナルアルバム『B-2 UNIT』は、そんな慌ただしいスケジュールのさなか、1980年9月21日にリリースされている。
 売り場で逡巡したとは思うのだが、またしても私はYMOを後回しにして『B-2 UNIT』を買ってしまったのだ。あとになって前作『千のナイフ』('78)を聴いたところ、そちらのほうが後にYMOのライヴレパートリーに組み込まれる「Thousand Knives」や「The End of Asia」、現代音楽の作曲家/ピアニストである高橋悠治とのピアノデュオ「Grasshoppers」等を含み、現在に至る坂本龍一の音楽性が示され、なおかつ聴きやすさという点では勝っており、こちらを先に聴いていたら彼に対する感じ方はまた違ったと思う。しかし、私は『B-2 UNIT』を先に選んでしまったのだ。レコードショップに行ってこれを買ったのは店頭に並び始めて2ヶ月半ほどがすぎていたころだったろうか。ちなみに店内にはYMOはおろか、あるひとりのアーティストの音楽以外、ほとんど流されていなかったことを覚えている。そう、ジョン・レノンが暗殺され、彼を追悼(というか、それさえもセールスになってしまっているのだが)し、大ヘビーローテーションでアルバム『ダブル・ファンタジー』や「イマジン」等が流れている頃のことだ。
 本作は坂本龍一、28歳の時の作品で、前作『千のナイフ』から2年振りのアルバムとなっている。ジャケットの裏には、モノクロームで撮影されたポートレートがレイアウトされているが、その頃の彼の心象を反映しているのかどうか、麻薬中毒者のように不敵で倦怠感を漂わせた表情をしている。当時は知ることもなかったが、坂本龍一は『B-2 UNIT』を制作する前、YMOからの脱退を真剣に考えていたという。アイドル並に沸騰する人気やマスコミへの露出、過酷なスケジュール、何をやっても売れてしまうという馬鹿馬鹿しさ、音楽家ではなくスターになってしまったことにすっかり嫌気が差していたのだ。脱退をチラつかせた彼に対してアルファレコードはすでに第2回目のワールドツアーを予定していたこともあり、残留の条件として坂本龍一が提示してきたソロアルバムの制作とその制作費の負担という条件を飲んだのだ。

34年という時間を経てもなお、革新性を
失わない音楽史上に残る傑作

 針を落として聴こえてくる電子ノイズのようなサウンドに始まり、ダブ手法で作られた現代音楽のような実験性、全編を覆う攻撃的なサウンドには最初こそ面食らったが、期待通りというか、私がYMOに求めている尖った部分を担っているように思えた坂本龍一の音楽的な姿勢が全編に埋め尽くされていた。徹頭徹尾、非商業的な音楽が提示されている。ちなみに、『Solid State Survivor』と『Public Pressure』をダビングしたカセットテープをくれたバイト先の知人に、私は返礼とばかりに『B-2 UNIT』をダビングしたカセットを進呈したのだが、彼の感想は「これはアカンね。難解でさっぱり分からなかった。とにかく楽しくない」と、これまた単純明快なものだった。私のほうは、そこそこ難解な音楽には免疫ができていたので、全然苦痛にならなかった。というか、テクノではあるがポップではないこの音楽でさえ、ビートは刻まれているのであり、聴きながら膝を打っていたり体が反応しているのは自分でも驚きだった。まるで、凡庸な脳みそに楔を打ち込まれるごとくに、意識の変革を迫ってくるようなその響き。今回、これを書くためにアナログ盤を引っ張り出してきて聴いてみたのだが、さすがにシンセサイザーの音などに時代性を感じたりはするものの、鋭角的でラディカルなサウンドは今なお刺激的に聴くことができた。
 プロデュースは坂本龍一本人と後藤美孝(インディーズレーベルの「パス・レコード」を主宰)があたり、レコーディングは東京とロンドンで行なわれている。参加ミュージシャンにはXTCのアンディ・パートリッジやYMOのライヴでサポート・ギタリストを務めていた大村憲司の他、エンジニアとしてレゲエ・バンド、マトゥンビのリーダーで、リントン・クウェシ・ジョンソンによる一連のダブ・ポエトリー・アルバムをプロデュースしたデニス・ボーヴェルが参加。そのボーヴェルの協力を得て、DUB(ダブ)の手法を全編にわたって徹底的に使っている。今では当たり前の用語になっているのかもしれないが、ダブ(DUB)とは、“Dubbing”が語源で、楽曲からヴォーカルやベースなどのパートを取り出して大きくしたり、エフェクターを駆使したり、切り貼りしたり、全く別のバージョンに作り替えてしまう方法を指したりする。ジャマイカのレゲエのプロデューサー達が生み出したのが起こりだとされ、リー・ペリーが創始者とも言われる。パンク、ニューウェイブ期の英国でザ・スリッツのアルバムで示されたダブ(エイドリアン・シャーウッド)をはじめ、80年代以降はデジタル・データを加工したダブ手法がニューウェイブやテクノ、ヒップホップ、ダンス・ミュージックなどに使われた。デニス・ボーヴェルと組んだ坂本龍一の『B-2 UNIT』は世界でも最も早くデジタル・ダブ・ミックスを取り入れた作品とも言われている。
※1980年3月に後藤美孝とともに坂本龍一とのコラボレーションで『終曲(フィナーレ)/うらはら』を発表したことがある、パンク/ニューウェイブ系のシンガーとして知られるPhewが本作にもヴォイスで参加していると耳にしたような記憶があったのだが、確認が取れなかった。筆者の思い違いかもしれない。
各曲の解説などとてもやりようがないくらい難解なのだけれど、私感を挟みながら簡単に書いておこう。

1.「Differencia」

遠くからビート音が響いてきたと思ったら、ドタッ、ドタッとしたズレたドラムが怒濤のように押し寄せる。ドラムは坂本龍一自身が叩いているそうだ。これもダブ手法でドラムのピッチを詰めたり、切り貼りしたりしているのだろうか。そこに低音のシンセサイザーが絡み、現在の耳で聴いてもかなり強烈なインダストリアル系サウンド。これらのパターンが繰り返される背景に、いくつかのシンセ音がコラージュ的にかぶさっていく。「difference / differencia」=「差異」。最初はこの曲がアルバムのタイトルになる予定だったと言う。

2.「Thatness and Thereness」

メロディーラインにはクルト・ワイルの「三文オペラ」のような大衆芸能の影響があると本人が語っている。シンプルなシンセ音に導かれて、坂本龍一本人のヴォーカルで歌われる。最初は歌予定はなかったそうだが、後藤美孝の提案を受け入れてのことだとか。さすがにヴォーカルはお世辞にもうまいとは言えないが、ここではそれが効果的に響く(と好意的に解釈しよう)。タイトルは「それが何に見えるかーどこに見えるか」という、哲学的な問答。中盤にはピアノソロは入り、短いけれど、とても感動的な曲と思う。

3.「Participation Mystique」

この曲のドラムも坂本龍一自身が叩いている。虫が鳴くようなパルス音の狭間にドドドドッと強烈なシンセ音が響き無機的なリズムが繰り返される。ヘッドフォンで初めて聴いた時、その音圧に驚かされたものだ。

4.「E-3A」

ボーイング社の軍用偵察機の型番がタイトルになっているのだそうだ。これも強烈なダブサウンド。不連続にロード、ストップを繰り返しながら、奇妙なビートの裏側で、大村憲司がギターを弾いている。ギターにはとても聴こえない。かなり実験的な曲と思えるが、それでもこの曲など、不思議と体が同期して膝を叩いてしまったりする。

5.「Iconic Storage」

これも説明に苦労する曲だが、構成そのものは分かりやすくできている(と思う)。硬質のシンセサイザーの音色が耳に突き刺さってくるようで、心の中まで寒々としてくる。

6.「Riot in Lagos」

坂本龍一の代表曲のひとつに数えられるかと思う。アフリカのラゴスで実際に起こった暴動やその地で活動していたフェラ・クティ(アフリカン・ファンクのミュージシャン)の影響(リズムパターン)から生まれた曲。構造はAB、ABの繰り返し。ピグミー族の音楽もシミュレーションされているという。細野晴臣に激賞され、YMOのツアーライヴでも頻繁に演奏され、近年のHASYMO/Yellow Magic Orchestraのライヴでもセットリストに組み込まれている。デニス・ボーヴェルの手腕が発揮されたダブ曲で、現在の耳で聴いても新しさを感じさせる名曲である。後年、ジェームス・ブラウンと組むアフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa)はこの曲を気に入り、自身のラジオ番組で頻繁にオンエアしていたという逸話もある。

7.「Not the 6 o'clock news」

こんな曲でも、私は結構楽しんで聴けたのだが、なかなか一般には難解な曲なのだろう。缶を叩いているような音が途切れたあたりから、ミュージックコンクレートのような展開になる。リズムは途切れたりしながらも繰り返され、BBCラジオニュースの放送を切り刻んで作られた音声がコラージュで散りばめられているといったふう。音声加工したようなXTCのアンディー・パートリッジが弾いているというギター(アンプを通さず、カッティング音のみ)も変。パートリッジでなくても弾けそうなギターなのだが、この曲の意図するものを理解するプレイヤーに、作者は弾いて欲しかったのだろう。そして、アブストラクトであるが、こういう曲を作った坂本龍一の感性のすごさを示している曲。

8.「The end of europe」

“ヨーロッパ(西洋)文明の終焉”を意味するこの曲は、シェーンベルクとマーラーがモチーフなのだそうだ。ソナー音と終始一定に刻まれるシンセベース、重い電子音による陰鬱なメロディが終末感を掻き立て、胸騒ぎを覚えてしまう。
 売れるということと顔がわれるということはまったく別だったと、細野晴臣が後に語っているように、人気アイドルYMOにいささか嫌気が差していたのは何も坂本龍一に限ったことではなく、細野氏も高橋幸宏も同様であった。本当はやりたかったラディカルな音楽を、『B-2 UNIT』によって坂本龍一に先んじられたと両名が感じたとは思わないが、社会現象にまで発展した大ブレイクをターニングポイントとして、以降のYMOは大きく方向性を変え、『BGM』('81)、『テクノデリック』(同'81)では、それまでとは一転して実験性の高い音楽性へと作風を変えてしまっている。付いて行けなくなったファンが少しずつふるい落とされていく。セールス面でも初期の2作と比較にならないほど下降線を辿っていくなか、あくまでシリアスな音楽家としての姿勢を貫き、いよいよYMOは後世までリスペクトを受けるようなバンドへと登り詰めていくのだ。

著者:片山 明

OKMusic編集部

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