「どんなときも。」で見せた
アーティスト・槇原敬之の本質を
丁寧に作品へと映させた
『君は誰と幸せな
あくびをしますか。』
「どんなときも。」発表後の
2ndアルバム
《僕の背中は自分が思うより正直かい?/誰かに聞かなきゃ不安になってしまうよ/旅立つ僕の為にちかったあの夢は/古ぼけた教室のすみにおきざりのまま》《あの泥だらけのスニーカーじゃ追い越せないのは/電車でも時間でもなく僕かもしれないけど》
《もしも他の誰かを知らずに傷つけても/絶対ゆずれない夢が僕にはあるよ/“昔は良かったね”といつも口にしながら/生きて行くのは本当に嫌だから》《消えたいくらい辛い気持ち抱えていても/鏡の前笑ってみるまだ平気みたいだよ》(M11「どんなときも。」)。
《“昔は良かったね”》~《本当に嫌だから》なんて言っていることから過去に思いを寄せていることは分かる。《教室》や《スニーカー》というワードからするとその過去は学生時代のことであるとは推測できるけれども、どのくらい前のことなのか、中学校なのか高校なのかよく分からないし、もしかすると小学校なのかもしれない。
《どんなときもどんなときも/僕が僕らしくあるために/「好きなものは好き!」と/言えるきもち抱きしめてたい》《そしていつか誰かを愛し/その人を守れる強さを/自分の力に変えて行けるように》(M11「どんなときも。」)。
“好き”や“愛”という言葉もあるのでパッと聴きラブソングのように思ってしまう瞬間はあろうが、ここで《抱きしめてたい》と言っている《「好きなものは好き!」と/言えるきもち》は他者を対象としたものであるとは限定されていない。“愛”にしても《いつか誰かを愛し》なのだから、それはこの歌詞の中でリアルタイムに進行しているものではないようだし、《自分の力に変えて行けるように》とあるので──こう言っては何だが、物語というよりは、願望や決意と言っていいものである。少なくともラブソングと断言できるような要素はない。個人的には尾崎豊「僕が僕であるために」(1983年・アルバム『十七歳の地図』収録)に近いスタンスではないかと考える。…と思って、「僕が僕であるために」を聴き直してみたら、同曲には《別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ/こんなに愛していた》《慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ/こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから》とあるから、尾崎のほうはわりと恋愛要素が強かった。どちらがどうだというわけではないけれども、歌詞だけに話を絞れば、恋愛要素が薄い分、意外なことに「どんなときも。」のほうが硬派ではある(個人の感想です)。
「どんなときも。」のヒット、
実は異例!?
まぁ、とはいえ、ラブソングでなくても、年間チャート上位のヒット曲となることがないわけではない。図らずも「どんなときも。」発表の前年である1990年の年間1位はB.B.クィーンズ「おどるポンポコリン」だし、同年の4位はたま「さよなら人類/らんちう」だったりする。しかしながら、前者はテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』、後者は“イカ天”ブームがヒットの要因であることは間違いなく、それが楽曲そのものの良さを強力に後押しした格好だった。その点で言えば、「どんなときも。」にも何かタイアップがあったのかと調べてみたら、金子修介監督による織田裕二主演映画『就職戦線異状なし』主題歌だったとある。筆者はその映画を観たのことがないので作品の良し悪しに関しては何とも言えないが、邦画の歴代興行収入の上位にランクインされている作品ではないし、熱量の多いファンを擁したカルトムービーである…というような話を聞いたことがないので、『就職戦線異状なし』が「どんなときも。」のセールスを後押ししたとは考えづらい。また、複数の企業がCMソングに起用しているが、それはのちの話。いずれも2000年以降のことである。つまり、「どんなときも。」のヒットはほぼタイアップとは無縁と言っていいのである。これは相当にすごいことである。
「どんなときも。」は槇原敬之自身初のチャート1位獲得楽曲であるばかりか、初めてチャートインしたシングルである(それ以前に発表したシングル2作はいずれも100位以下)。それをいきなり1位に叩き込んでいる。しかも、1位となったのは発売から約1カ月半後。ロングセラーを記録して、翌年1992年に選抜高等学校野球大会の入場行進曲にもなっている。冷静に考えたら偉業に近いことではないかとすら思う。この頃、他に聴くべき曲がなかったかと言えばもちろんそんなことなく、前述の通り、他にもヒット曲は多々あった。そんな中で、ほぼノンタイアップの楽曲がヒットしたというのは、これはもう楽曲のポテンシャルが相当に高かったことに他ならないと思う(それ以外に何か要因があって、それを知っている人がいたらぜひ教えてほしいほどだ)。