「どんなときも。」で見せた
アーティスト・槇原敬之の本質を
丁寧に作品へと映させた
『君は誰と幸せな
あくびをしますか。』
リスナー納得の丁寧なアルバム
以降、M3「AFTER GLOW」は子供の頃にYMOに衝撃を受けたというだけあって、「NICE AGE」(というよりも「(JINGLE "Y.M.O.")」か)的なイントロに始まって「THE END OF ASIA」風のサウンドを聴かせていたり(いずれの楽曲も1980年のYMOのアルバム『増殖』収録)、M7「ひまわり」ではウォール・オブ・サウンドやサイケデリックロックを意識したようなサウンドがあったりするものの、何と言うか、そこが妙に突出した感じがないのである。M9「3月の雪」などはヴォーカルの旋律がややコンテポラリーR&B風で、コーラスワークにもドゥワップ的な要素を見出すこともできるが、それも強いて言えばそう思える…といった程度であって、マニアックに追及しようと思えばできるところをそうはしていない。M4「Necessary」で雨音、M5「満月の夜」で混線気味のラジオのチューニングの音、M8「CALLIN'」で電話のコール音と、SEを多用しているので、楽曲の世界観を膨らませる意識があるにはあったのだろうが、だからと言って必要以上にサウンドメイキングには固執していない印象なのである。
それによって何が強調されているかと言えば、これはもうメロディーと歌詞だと思う。もっと言えば、彼は楽曲制作においては歌詞先行、所謂“詞先”だというから、そもそも強調しているのは歌詞が描き出す物語やメッセージということになろう。逆説的な意味で、M10「僕は大丈夫」を聴けば、それがより理解できる気はする。M10「僕は大丈夫」はアレンジに服部克久氏が参加しているだけあって、ピアノ~ストリングス、さらにはブラスも入って来るという、ゴージャスな音作りが成されており、そのゴージャスなサウンドがこの楽曲の特徴である。その一方、歌詞は彼の作るものの中でも最も言葉数が少ない部類ではなかろうかと思うくらい短く、シンプル。もしもM10「僕は大丈夫」が言葉が多く、なおかつそこに物語性があったとするとこういうアレンジにはならなかったような気はしてならない。
まぁ、だからと言って、M10「僕は大丈夫」のサウンドがトゥーマッチだったかと言えばさにあらずで、このあとでラストM11「どんなときも。」へとつながっていくことを考えると、この流れは正解だったと言える。曲順はこれがベストであっただろう。このアルバム自体がシングル「どんなときも。」のヒット後に発売されたものだと冒頭で述べた。制作サイドにしてみれば(本人にとってもそうだったかもしれないが)槇原敬之というアーティスト像を多くのリスナーに印象付ける好機と感じていたに違いない。
オープニンでのM1「どんなときも。[インストゥルメンタル・ヴァージョン]」から始まり、物語やメッセージが強調されたさまざまな楽曲を経て、再びサウンドが強調されたM10「僕は大丈夫」を迎え、そこからM11「どんなときも。」が聴こえてくる。槇原敬之というアーティストの本質を肌感覚で理解していくようなとても丁寧な作りだ。それまでチャートとは無縁だった人が突然チャート上位にランキングされたりすると、その後はさっぱり…という、所謂“一発屋”となることは少なくないが、槇原敬之はそうなることはなく、今も日本のミュージックシーンにおいて欠くことができないシンガーソングライターであるのは、彼が不世出の音楽家であると同時に、「どんなときも。」のヒット後に『君は誰と幸せなあくびをしますか。』というアルバムがあったからではないか──今回、本作を聴いてそんな思いを強くした。
TEXT:帆苅智之