【ライヴアルバム傑作選 Vol.11】
黒夢の
『1997.10.31 LIVE AT 新宿LOFT』は
清春のスピリッツを
最もよく表した反骨の一枚
最大で年間100会場全112公演!
振り返れば、黒夢がデビューした1990年から2000年頃は、いわゆるビジュアル系と言われるバンドが大きく台頭してきた時期だった。黒夢以外では、LUNA SEA、GLAY、L'Arc〜en〜Cielが相次いでメジャー進出し、皆、人気を獲得していった。活動規模がどんどん大きくなり、音源は軒並みミリオンを超えるセールスを記録し、コンサートも次第に大型化。スタジアム公演、ドーム公演も珍しくなくなり、『LUNA SEA 10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY ∞』が10万人、『GLAY EXPO '99 SURVIVAL』が20万人、L'Arc〜en〜Ciel『1999 GRAND CROSS TOUR』東京公演が2日間で25万人を動員したのは、いずれも1999年のことだ。それぞれ順に5月、7月、8月のことである。各バンドがせめぎ合っていたこともうかがえる。
だが、黒夢はそこにはいなかった。件のバンドたちがライヴ会場のキャパシティを大きくし、最終的に上記のような超特大コンサートを開催したのに対して、黒夢はそれに倣わなかった。迎合しなかったと言ってもいいかもしれない。キャパを大きくするのではなく、会場の数を大幅に増やしていったのだ。全国各地から大都市へ観客を集めるのではなく、彼ら自ら全都道府県に出向いて行ったのである。別に清春は、彼らがあっちへ行くなら自分たちはこっちへ行く…というようなことは言っていなかった。当時よくインタビューさせてもらったのだが、少なくとも自分はそういうことは聞かなかったと記憶している。だが、全国のライヴハウスをくまなく回る当時の黒夢の方針には、ビッグキャパシティ傾向への反発、対抗心があったと見るのがスマートであろう。まさに比類なき、バンドのアイデンティティーを見出そうとしたのであった。
特筆すべきは、ライヴを開催するのが県庁所在地など大都市ばかりでなかったことだ。Wikipediaを見てみたら、1997年の『TOUR Many SEX Years vol. 2//Many SEX , DRUG TREATMENT』では、スターピアくだまつ、結城市民文化センターアクロス、鎌倉芸術館、1998年の『TOUR Many SEX Years vol. 5//CORKSCREW A GO GO!』では、守山市民ホール、泉の森ホールといった、少なくとも当時ロックバンドがツアーであまり訪れることがなかったと思われる会場名を見付けた(筆者の主観も入っているので、間違っていたらごめんなさい)。とても細かく回っていたことが分かる。インディーズバンドであったり、デビューしたばかりの人たちであったり、あるいはベテランと呼ばれる域に達しアーティストであったりが、普段なかなかメジャーな人たちが行かない場所でコンサートを行なうケースは今もたまに見かける。しかし、当時の黒夢はシングルもアルバムも出せば必ずチャート上位となっていたバンドである。当時も相当に稀なことだった。今そんなアーティスト、バンドはまったく見当たらないと思う。