甲斐バンドが気高くもストイックな活
動スタンスの末に辿り着いた名作『虜
–TORIKO-』

ここに来て甲斐よしひろの動きが活発だ。「フォークをしっかりやる」というテーマのもと、昨年に引き続いてアコースティック編成でのツアーを決行。アコギ、ウッドベース、フィドルという編成で5月から6月にかけて東名阪を回り終えた。そして、ツアー大成功の余韻も冷めやらぬ中、今度は音源がリリースされる。甲斐バンドと甲斐よしひろのアルバムと映像作品がパッケージされた『THE NEW YORK BOX』である。米国・ニューヨークで制作された甲斐バンドのアルバム『虜 –TORIKO-』『GOLD』『ラヴ・マイナス・ゼロ』の俗に言う“ニューヨーク3部作”の他、バンド名義、ソロ名義のアルバム3作品とボーナスCD、さらには1990年にVHSとLDで発売されたライヴ映像『Night Tripper A・G・LIVE・AT・THE APOLLO』のDVDを加えた豪華ボックスセット。もちろん、本人完全監修な上、“ニューヨーク3部作”はマスタリングし直しているというからファン垂涎のアイテムとなろう。6月29日のリリースに先駆けて、本コラムでも甲斐バンドを取り上げてみたいと思う。

“孤高”を感じさせるアーティスト

いささか私的すぎる見解であることを承知で述べるが、甲斐よしひろほど“孤高”という言葉が似合うアーティストはいないのではないかと思う。氏が何者にも組しないということではない。93年4月、福岡ドームのこけら落とし公演である『ドリームライブ in 福岡ドーム』では、井上陽水、財津和夫、武田鉄矢と並ぶ福岡出身のビッグ4のひとりとして出演。また、09年7月には『ap bank fes '09』において桜井和寿、Bank Bandと共演し、「漂泊者(アウトロー)」「翼あるもの」「破れたハートを売り物に」「HERO(ヒーローになる時、それは今)」を演奏しており、単独公演だけにこだわる人でないことは分かる。音源においてもそうで、97年には作詞にCHAGE、森雪之丞、GAKU-MC、作曲に後藤次利らを招いたコラボレーションアルバム『PARTNER』を発表している。さらには氏のプロデビュー30周年を記念して制作されたトリビュート・アルバム『甲斐バンド&甲斐よしひろ グレイト・トリビュート・コレクション グッド・フェローズ』(04年発表)には、DA PUMPやキンモクセイ、ハウンドドッグらが参加しており、フォロワーも少なくはない。
では、何故、甲斐よしひろに“孤高”を感じるのか? 孤高とは[個人の社会生活におけるひとつの態度を表し、ある種の信念や美学に基づいて、集団に属さず他者と離れることで必要以上の苦労を1人で負うような人の中長期的な行動とその様態の全般を指す]という意味である([]はWikipediaより引用。以下も同じ)。孤独うんぬんではなく、その[ある種の信念や美学に基づいて]の箇所が甲斐よしひろというアーティストに相応しい形容のように思えるのだ。[私利私欲を求めず他者と妥協することなく「名誉」や「誇り」といったものを重視する姿勢から、周囲が「気高さ」を感じるような良い意味での形容に用いられる]とも孤高の意味は綴られているが、まさしく、その“気高さ”を感じさせるアーティストではある。

世間に分け入った最初のロックバンド

甲斐バンドのデビューは74年。井上陽水のアルバム『氷の世界』が年間セールス1位になったほか(翌75年には日本レコード史上初のLP販売100万枚を突破する)、宇崎竜童率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドが「スモーキンブギ」や「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」をヒットさせたり、サディスティック・ミカ・バンドがアルバム『黒船』を発表したり、はたまた四人囃子がメジャーデビューを果たしたりと、シンガーソングライター、バンドも世間に認知されつつあったが、とは言え、メインはまだまだ演歌・歌謡曲だった時代だ。そんな中、75年に発表した2ndシングル「裏切りの街角」をヒットさせ、75万枚ものロングセラーを記録したアーティストとしてのポテンシャルは、改めて言うことでもないが、素晴らしかったと言わざるを得ない。矢沢永吉率いるバンド、キャロルはそれ以前から話題になっていたが、75年に解散している上、どちらかと言えば後に矢沢がソロシンガーになってからの評価が定着しているし、この時期、RCサクセションもバンドサウンドを導入した3rdアルバム『シングル・マン』(76年発表)をリリースしているものの、このアルバムが再評価され、再発されるのはRCがバンド編成となって以降の80年だ。つまり、ことセールス面を見ても、世間一般に分け入った日本のロックバンドの先駆けは甲斐バンドだったと言っても大きな差し障りはないのではないかと思う(60年代のグループ・サウンズにはロックバンドも含まれているようだが、個別のグループ単体のセールス規模で考えれば、まだまだGS時代のロックバンドは巷に入り込んだとは言い難いと思う)。
甲斐バンドはロックバンドならではの持ち場を堅持し続けた…と言ったらいいだろうか。そのイメージが“孤高”に直結する。「裏切りの街角」のヒット以降、アルバムは着実にセールを伸ばし、79年にはシングル「HERO(ヒーローになる時、それは今)」でブレイク。その後も「感触(タッチ)」「安奈」「ビューティフル・エネルギー」「漂泊者(アウトロー)」とシングルヒットを続けたが、音源制作とライヴ活動以外の動きはほとんどなかった。「HERO(ヒーローになる時、それは今)」は当時、圧倒的な人気を誇ったテレビ番組『ザ・ベストテン』にもランクインして、甲斐バンドは出演したものの、NHK-FMの自分の番組の公開録音スタジオからの生中継で、司会の黒柳徹子、久米宏とはまったく話をしないという条件の元での出演だったそうだ。甲斐バンドのあとにデビューしたバンド、ツイストやサザンオールスターズが積極的に歌番組へ出演していたことを考えれば、その姿勢は極めてストイックであった。しかし、その結果、ライヴの動員は圧倒的で、甲斐バンドは82年まで動員数ナンバー1バンドとして君臨し続けたというから、その姿勢は間違いではなかったと言える。

驚異的なペースでの音源制作、そして…

それまで演歌、歌謡曲のコンサートしか行なわれてこなかったNHKホールでライヴを決行したり、花園ラグビー場、新宿副都心、両国国技館、品川プリンスホテルといった、ロックバンドが使用しなかった会場でのコンサートを企画したりと、ライヴ活動は実に精力的で、ことライヴに限っては、今あまたのバンドが取っているスタンスは甲斐バンドがレールを敷いたのでは…と錯覚するかのようだ。80年代前半までの甲斐バンドはそのライヴ活動と並行して、コンスタントに音源も制作していたのだから恐れ入る。何と83年の10thアルバム『GOLD/黄金』まで毎年1枚ずつアルバムを出している。ちなみに81年に発表した『破れたハートを売り物』は、タイトル曲だけで120時間、アルバム全体では24曲の録音に1,100時間をかけ、その中から厳選した9曲を収録したというから驚きだ。制作時間の長さが作品のクオリティーに直結するわけでもないだろうが、甲斐バンドがいかに真摯に音源制作と向き合っていたかが分かるエピソードだろう。その『破れたハートを売り物』が思い通りのサウンドになるまでかなり苦労したことから、その後、ブライアン・アダムスやダリル・ホール&ジョン・オーツ、ブルース・スプリングらの作品を手掛けるボブ・クリアマウンテンにミックスを依頼したのが、俗に言う“ニューヨーク3部作”である。これらが今回、『THE NEW YORK BOX』として発売される。
その第一弾である『虜-TORIKO-』を聴いてみたが、やはりと言うべきか、流石にと言うべきか、かなりよくできた作品である。しっかりとしたバンドアンサンブルをきちんとパッケージしている。例えば、M2「ナイト・ウェイブ」。イントロのコーラスの重なり、そこから流れるパーカッションの鳴り、その音ひとつひとつがシャープで存在感がある。ギター、リズム隊、ストリングスも確かな音像で、それぞれを干渉することなく、折り重なっていく。あるいはM4「ブライトン・ロック」。サウンドはアルバム中、もっともハードなアプローチの楽曲で歌もワイルドだが、とは言え、パワーコード辺りに逃げることなく、サビではパーカッシブなサウンドをベースにして得も言えぬ高揚感を生み出している。間奏で聴かせるホーンセクションとツインギターソロとの流麗な絡みも実に気持ちがいい。かと思えば、ラストのバラード、M9「荒野をくだって」ではギターとブルースハープ、そして甲斐よしひろのヴォーカルというシンプルなサウンドで迫っているのも興味深い。歌もそれまでの氏のイメージにはない圧しの弱いパフォーマンスだが、それでいてちゃんと奥深い楽曲に仕上がっている。《よりよい世界 夢みながら 眠りにつく時がある/だけど沈んだままの心で いつも目をさます/寂しげなエンジンの音が 車の中にうずまき/真夜中 人影もない道を 俺は一人ゆく》と、まさしく“孤高”を感じさせる歌詞もいい。
続いて、『GOLD』『ラヴ・マイナス・ゼロ』を制作・発表、86年に『REPEAT & FADE』をリリース後、甲斐バンドは解散する。デビュー時は20代だったメンバーも30代を迎え、それぞれの環境が変化したことで、バンド内のモチベーションに不均衡が生じたことがその要因であったようだ。当時の事実関係だけを考えてみても、それは止むなしのことだっただろう。前述の通り、定期的なコンサート活動と音源制作とを10年間も続けたことがむしろ尋常ではない。言わば、短距離走のスピードでトライアスロンを続けるような超人的行ないであったと言える。そんな尺度はないので、これまた私的すぎる見解を承知で書くが、その活動の軌跡は日本ロックシーンにおける最長不倒ではなかったかと思う。その後、再結成と休止を繰り返していることを揶揄する声を若干耳にしないでもないが、その軌跡から考えると個人的には好意を持たざるを得ないバンドだ。今回『THE NEW YORK BOX』が発売されることをきっかけに、甲斐バンドが何度目かの正しい再評価を得られることを強く願う。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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